第4話 正やん

 その日から佳代は何処へ行くのにも肌身離さず鬼切安綱を帯刀していた。


 鬼切安綱の刀気を体に染み込ませるためである。


 しかし、面白いことに呪いがかけられていることもあり、道端で挨拶を交わす人やすれ違う人は佳代が帯刀している鬼切安綱に気がつく者が殆どいなかった。


 それでも村の中の一部の人間は鬼切安綱が見えるらしい。そのうちの一人が村の裏手の山にある古い神社の神主である。


 神主の本当の名を佳代は知らない。村の皆が正(まさ)やん、正やんと呼ぶので自然と小さな頃から佳代も正やんと呼んでいた。


 ある日、竹子に連れられて佳代はその正やんのいる古くて傾いている神社へと足を運んでいた。


 神社のある山の麓にまず一つ目の鳥居がある。


 その鳥居の前で竹子が頭を下げた。それに習い佳代も頭を下げる。するとふわりとした風が佳代の頬を撫でた。


 二人は鳥居を潜ると並んで苔の生えて滑りそうな石段を登って行く。


 鬱蒼と茂る木々の枝がトンネルの様になっており、見上げても頭上を覆う木の枝のせいで空は少ししか見えない。


 何か物の怪の類が出てきそうな雰囲気である。


 すると二つ目の鳥居が見えてきた。苔や蔓に覆われ少し傾いた鳥居である。


 そしてその鳥居の先には仄かな明かりの灯る灯篭が一つ。


 そこでも竹子は頭を下げる。


 今よりずっと小さな頃からキヨや他の友達と何度も登り遊んだ事のある山であったが、鳥居を潜る前にわざわざ頭を下げた事などなかった。


「うちと同じようにすると良かよ」


 そう言われ頭を下げ鳥居を潜る佳代。


 気のせいかもしれないが鬼切安綱の刀気が強くなったような気がした。


 知らず知らずのうちに佳代は鬼切安綱の鞘を握る手に力が入る。


 そんな娘の姿を横目で見ていた竹子は、何も言わずにまた石段を登り始めた。


 二つ目の鳥居を潜り進むと山道はどんどんと狭くなり、人が一人やっと通れる位の道を竹子と佳代は歩いてゆく。


 しばらく無言のまま歩き進む二人の眼前に注連縄の巻かれた木が見えてきた。


 幼い頃に、この先に入ってはならぬとやかましく言われていた場所の目印である。


 竹子は佳代の方へと振り返ると静かに頷き、注連縄の先へと招き入れた。


 そこには先程までのいかにも山道と言った道ではなく、石畳の敷かれた広い空間が佳代の目に飛び込んできた。


 そこには普段見るよれよれの服を着て、ぼさぼさの髪に無精髭を伸ばし放しの正やんではなく、髪は整えられ髭もきちんと剃り、黒い袍(ほう)を羽織った衣冠単(いかんひとえ)姿の正やんが笏(しゃく)を両手で胸元に構え、竹子と佳代へ深々と頭を下げた。


「お久しぶりです、竹子様」


「正やん、こちらこそ久しぶりやね。元気にしとったね?」


 佳代は驚いた。


 確かに佳代の家は貧しい方ではないが、裕福な方でもない普通の家であったはず。


 そして母親である竹子も、ごく普通の女であり、誰かに『様』と言う敬称を付けられ深々頭を下げられる様な人種ではないと思っていた。


 そんな佳代の驚きをよそに、何やら話し込んでおり、その間手持ち無沙汰になった佳代は入ったことの無いこの場所をぷらぷらと歩き回っている。


 不思議なことにここの石畳には苔すら生えていないどころか、あれほど賑やかだった鳥の囀りや五月蝿いほど周りを飛んでいた羽虫達の姿すら見えない。


 注連縄を越えた辺りから別空間へと入り込んでしまった様に感じた。


「佳代、あんた。ちょっとこっちへ来んね」


 不思議な空間に心奪われていた佳代は、竹子に呼ばれたことで現実へと戻ってきた。


 そして、自分を呼んだ竹子の元へと歩み近づくと正やんが笏でとんとんっと佳代の頭頂部を撫でる様に数回軽く叩くと、そのまま笏を頭頂部に乗せたまま、目を瞑ってしまった。


「ひゃっ」


 突然のことに小さく驚いた声を出してしまった佳代に、竹子はくすりと笑ったが、すぐに真顔に戻ると動いちゃでけんよでと小さな声で伝えると、真剣な表情で佳代と正やん、二人の姿を見つめている。


 静かである。


 聞こえてくるのは三人の息遣いのみ。三人を木漏れ日が優しく包み込む。


「真になんて言って良いものか……」


 佳代の頭の上に乗せていた笏を退け、目を開いた正やんは、感嘆の溜息を漏らした後に小さく呟いた。


 そして、竹子の方へと顔を向け頷き、今度は佳代へ深々と頭を下げた。

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