この世界をただはしる
おくとりょう
夜のランニング
真っ暗な世界を、光の欠片が後ろへ後ろへと流れていく。
それがまるで流れ星の大群の中にいるようで…。
彼女は、夜に走るのが好きだった。
草木も眠る丑三つ時。
マスク姿で自宅を出た彼女は、人気のない住宅街をリズムよく駆け抜ける。
街灯の音が耳鳴りのように響く静まり返った世界。
すれ違う人は、いない。
真っ暗な住宅街は、日中とは異なる雰囲気で、いつも少しの緊張感を覚える。ただ暗いだけなのに…。
街を彩る草木も季節に染まる山々も、夜にはうっすらとしか視えない。
それでも、ちゃんとそこにはあって、花咲く頃には香りが満ちる。
大通りに出た彼女は、少しスピードを上げた。
アスファルトの固さが足に伝わってくる。
等間隔に置かれた街灯だけが照らす真っ暗な道を、ぐんぐんぐんぐん駆けて行く。
もう、風を切る音と自身の息遣いしか聴こえない。
音も香りも置き去りに、彼女は風になる。
ふと彼女は先日、道を尋ねたときのことを思い出した。
土地勘もなく、人通りの少ない場所でのこと。
道に迷い、途方に暮れていた彼女の側を、ひとりの小学生が通りがかった。
ほっとしたのもつかの間、その子は、声をかけた彼女と目も合わさずに、防犯ブザーを握りしめ、一目散に走り去った。
近くの駅の方角だけでも教えてもらおうと、ただそれだけだったのに…。
大きな畑を横切る道に出た。
高い建物がなく、少し街灯も減ったため、星がよく見える。
街灯ほどの光量はないのに、じっと輝く星々。
ふと見知った民家が取り壊されていることに気づく。
『マンション建設予定』
彼女が暮らし始めた頃から、街は大きく変わってしまった。
田畑はガレージや家に、家は高層住宅に。個人商店は無くなり、大きな商業施設が現れ…。
街は変わってしまった。
「……。
…あれ?」
つい道に迷ってしまうほどに。
見慣れぬ小道に入り込んでしまっていた彼女は、線路の音と星空を頼りに最寄りの駅を目指すことにした。大きな駅なので、近づけばすぐに分かる。
家が増え、入り組んだ住宅街を、ぽつりぽつりと彼女は歩く。
瓦屋根の民家は少なく、真っ白の箱のような似たデザインの分譲住宅が目についた。
人が増えるから、家が増えるのか。家が増えるから、人が増えるのか。
以前は、改札しかなかった最寄りの駅は、今や急行列車も停まるターミナル駅になった。
駅周辺には、全国チェーンの店が建ち並ぶ。
しかし、それも閉店開店を繰り返す。
駅につくと、始発で帰って来たのか、ちらほら人が見られた。
その中で、千鳥足の二人組。
「綺麗なお姉さん、お茶しなーい?」
下品に笑う彼らにうんざりしつつ、ふと同僚の言葉を思い出す。
「
しっぽを振り振り、アンバランスな姿で微笑む彼女の言葉は、何だか腑に落ちた。
「そうね…」
ホッとしたような、諦めたような眼をした彼女は、マスクを外し、ニッカリ笑って、こう言った。
「あたし…綺麗?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます