この世界をただはしる

おくとりょう

夜のランニング

 真っ暗な世界を、光の欠片が後ろへ後ろへと流れていく。

 それがまるで流れ星の大群の中にいるようで…。


 彼女は、夜に走るのが好きだった。


 草木も眠る丑三つ時。

 マスク姿で自宅を出た彼女は、人気のない住宅街をリズムよく駆け抜ける。

 街灯の音が耳鳴りのように響く静まり返った世界。

 すれ違う人は、いない。

 真っ暗な住宅街は、日中とは異なる雰囲気で、いつも少しの緊張感を覚える。ただ暗いだけなのに…。


 街を彩る草木も季節に染まる山々も、夜にはうっすらとしか視えない。

 それでも、ちゃんとそこにはあって、花咲く頃には香りが満ちる。


 大通りに出た彼女は、少しスピードを上げた。

 アスファルトの固さが足に伝わってくる。

 等間隔に置かれた街灯だけが照らす真っ暗な道を、ぐんぐんぐんぐん駆けて行く。

 もう、風を切る音と自身の息遣いしか聴こえない。

 音も香りも置き去りに、彼女は風になる。


 ふと彼女は先日、道を尋ねたときのことを思い出した。



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 土地勘もなく、人通りの少ない場所でのこと。

 道に迷い、途方に暮れていた彼女の側を、ひとりの小学生が通りがかった。

 ほっとしたのもつかの間、その子は、声をかけた彼女と目も合わさずに、防犯ブザーを握りしめ、一目散に走り去った。

 近くの駅の方角だけでも教えてもらおうと、ただそれだけだったのに…。


**************************************************


 大きな畑を横切る道に出た。

 高い建物がなく、少し街灯も減ったため、星がよく見える。

 街灯ほどの光量はないのに、じっと輝く星々。

 ふと見知った民家が取り壊されていることに気づく。


『マンション建設予定』


 彼女が暮らし始めた頃から、街は大きく変わってしまった。

 田畑はガレージや家に、家は高層住宅に。個人商店は無くなり、大きな商業施設が現れ…。


 街は変わってしまった。



「……。


…あれ?」



 つい道に迷ってしまうほどに。


 見慣れぬ小道に入り込んでしまっていた彼女は、線路の音と星空を頼りに最寄りの駅を目指すことにした。大きな駅なので、近づけばすぐに分かる。


 家が増え、入り組んだ住宅街を、ぽつりぽつりと彼女は歩く。

 瓦屋根の民家は少なく、真っ白の箱のような似たデザインの分譲住宅が目についた。

 人が増えるから、家が増えるのか。家が増えるから、人が増えるのか。


 以前は、改札しかなかった最寄りの駅は、今や急行列車も停まるターミナル駅になった。

 駅周辺には、全国チェーンの店が建ち並ぶ。

 しかし、それも閉店開店を繰り返す。


 駅につくと、始発で帰って来たのか、ちらほら人が見られた。

 その中で、千鳥足の二人組。


「綺麗なお姉さん、お茶しなーい?」


 下品に笑う彼らにうんざりしつつ、ふと同僚の言葉を思い出す。


人間ヒトは、勝手なものだから」

 しっぽを振り振り、アンバランスな姿で微笑む彼女の言葉は、何だか腑に落ちた。



「そうね…」

 ホッとしたような、諦めたような眼をした彼女は、マスクを外し、ニッカリ笑って、こう言った。



「あたし…綺麗?」

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