EP18 コンスタンティノープル講和会議

 その男はメッカの奴隷として生まれた。


 彼の両親はイスラム海賊によって捕らえられ、奴隷化された。ムスリムとなればその運命からは逃れることができるが、両親は頑としてそれを受け付けなかった。


 しかし彼が七歳の時に、転機は訪れた。


 メッカにやってきた乙女マリア騎士団長が七歳以下のキリスト教徒の奴隷をすべて買い戻していったのだ。


 コンスタンティノープルへと戻っていった少年達はムスリムへの強い憎悪から魔術への適性が非常に高かった。


 特にその男は魔術適性が突出して高く、瞬く間に各地の戦場で武功をたて、乙女マリア騎士団長にまでのし上がった。


 人脈を広げ、軍部への強いパイプを持った彼はコンスタンティノポリス総主教を退位させ、自らがその地位に就いた。


 ミカエル9世。それが彼の今の名前だ。


 奴隷だった少年は華麗な衣装に身を包み、事実上すべての教会組織の頂点に君臨している。


 守旧派の長老、東方の王レックス・オリエンティス、世界の半分の支配者、最も高貴なる聖座。いくつもの異名で呼ばれる彼の胸に残るのは今も昔も変わらない、ムスリムへの憎悪だった。




 コンスタンティノポリス総主教庁があるハギア・ソフィア大聖堂の一室に会議室が割り当てられた。


 参加者は四名。コンスタンティノポリス総主教ミカエル9世、アラビアの大宰相イブリーム、元老院全権大使ユラティヌス・コルネリウス・スキピオ。そして皇帝テオドシウス6世である。


「諸卿が揃って会議が行えることを喜ばしく思います」


 皇帝が発起人として開会の言葉を述べる。


「私はこの会議において、『誠実な仲介人』として振舞うことを約束します。平和を願うローマ市民の第一人者として誰の肩を持つこともなく、また味方をすることもしません」


 皇帝は淡々と述べると、アラビア側に話を振った。


「ではアラビアとして要求する条項を述べてください」


 イブリームは上等な紙を取り出して読み始めた。


「アラビアのカリフはローマ帝国における教会実効支配地域に対して以下の要求を行う。


 一つ、アレクサンドリアにおけるムスリムへのあらゆる種類の迫害の即時停止。


 一つ、これから5年間に渡るムスリムへの免税権を付与することで、迫害したムスリムへ賠償を行うこと。


 一つ、カイロを元老院へ返還する代償としてエルサレム総主教区を割譲すること。


 一つ、教会の実効支配地域をムスリム商人が恒久的に安全に通行する権利を認めること。


 以上」


 金と領土をよこせ。実にベーシックな講和条件である。


「わかりました。では元老院側の要求を」


 ユラティヌスが部下から一つの巻物スクロールを受け取った。


「元老院は教会派勢力について以下を要求する。


 一つ、シナイ半島をアエギュプトゥス総督の管轄下に置くこと。


 一つ、アレクサンドリアにおける徴税権を10年間に渡って元老院に譲渡すること。


 一つ、アレクサンドリア総主教はアエギュプトゥス総督のアレクサンドリアにおける指導権を認めること。


 以上」


 やはりこちらも金と領土。なるほどと皇帝は頷いて口を開く。


「妥当な提案ですね。総主教いかがですか?」


 ミカエルは苛立ちながら首を振って提案を否定する。


「これが妥当だと? 冗談もほどほどにしてくれ。教会が押さえている都市は一つとして陥落していない!」


 大声で皇帝に反論するが、皇帝は全く動じない。


「確かに教会の勢力圏の都市は侵略を受けていません。しかしそれはアラビアの軍がカイロに駐留しているからでしょう? アラビアの軍が動けばアレクサンドリアが陥落するのは時間の問題です」


 アレクサンドリアだけではない。聖地エルサレムを失陥すればエルサレム総主教の失態では済まない。五大総主教座全体の威信が揺らぐ。


 それはもちろん引き渡した場合でも同じだが、少なくとも軍事力の大幅な漸減は防ぐことができるだろう。


「我々には無傷の騎士団が4つも残っているのだ!」


「総主教殿。我々アラビアにはアッラーの剣たる軍勢が3万人。ほとんど無傷で進撃を続けている。元老院と同時に相手できると考えているのなら、少々頭を冷やすべきでは?」


 イブリームは挑発するように総主教に言い放つ。


 ミカエルは激高し、会議は決裂寸前のところまで行ってしまった。


 皇帝はそれを収めるでもなく、火に油を注ぎ始めた。


「結末は二つに一つ。滅亡か、調印か。平和か、戦争か。直ちに選択していただきたい」


 結局のところ、平和というのは叶わぬ願いなのだろうか。

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