EP7 エジプト戦争 ―2―

 カイロの総督府は来るべき時に備え、防備が固められつつあった。城門は閉じられ、バリスタに矢が込められている。軍団レギオンはもはやまともに機能していないが、攻囲戦なら頭数さえそろっていれば誰でもできる。要するに周りの敵に、何かしらを、投げればいい。


「元老院はかなり混乱しているようです。ミラノに送った使いもまともな返事は持ってこれませんでした」


 副総督で弟のディカティウス・コルネリウス・スキピオ。兄から二年遅れてアエギュプトゥスにやってきた。彼ら兄弟はなかなか安定しないナイル流域で試行錯誤しながらもひとまずの安定を手に入れていた。


「あのコンスタンティノープルの犬どもめ。とりあえずは内にこもるしかあるまいな」


 これまでもこういった種の攻勢はあった。グレンティヌスはこの攻勢もそういったものの一環と考えており、小麦の収穫が始まる前には襲撃が収まるだろうと考えている。何しろアエギュプトゥスの小麦はたがいにとっての生命線。これを失ってでも得たい利益というものがあるとは到底思えなかった。


 そもそもアエギュプトゥスの小麦の輸入が滞ることなど許されない。そんなことをすればアエギュプトゥスの民衆は困窮することになる。それは教会側も望まないはず。


 時はすでに5月も半ば。7月の初頭あたりには小麦の収穫が始まる。さて、教会はどれほどの期間で引くつもりなのだろうか。


「閣下、準備万端整っております。いつ騎士団が来ても迎撃できるでしょう」


 騎士団が強いのはその魔術技術によるものが大きい。騎士修道院の中には魔術を専門にしている修道会もある。そういった蓄積から騎士団は魔術技術では帝国一どころか世界一といって差し支えないだろう。


 その根幹にあるのは、魔術の規模や発動方法をある程度コントロールしている点にある。訓練を積めばできるようになるのかもしれないが、残念ながらその訓練の方法はほとんどわかっていない。


 もっとも魔術とて万能のはずがない。魔術の威力とはつまり人一人を殺すに足るものだが、城壁を砕くに至らない。――ただし、ごく一部の例外を除く必要はあるが。


 魔術を使いこなせるものは暗殺には頻繁に用いられ、野戦でも携行が容易な大火力として大いに威力を発揮する。しかし、攻城戦ではそれほど役に立たない。


 決定的に火力が足りないのだ。そんなものに頼るくらいなら多少苦労してでもトレビュシェットを使った方がよほどいい。


「確認するぞ。我々の勝利条件は二つ。一つはミラノの元老院が混乱から立ち直りこちらに征伐軍を差し向けてくること。そうすれば元老院の軍とこちらで挟み撃ち、さすがに勝利できるだろう。そして二つ目は小麦の収穫時期を迎えること。向こうの騎士団にだって小麦の輸出で儲けてるやつがたくさんいるんだ、そんな商機を逃せるはずがない」


 グレンティウスは弟に勝利条件を確認する。彼らの目的は単純明快。負けなければ勝ちなのだ。


「はい閣下。加えてムスリムがエルサレムを落とせば奴らは軍を引くでしょう」


「さすがに対策はしているとは思うが、どうなるか」


 アラビア半島のイスラム教徒がどう動くのかは正直全くつかめていない。ミラノの元老院ならもう少し詳しいことを知っているのだろうが、アエギュプトゥス総督にそんな知識を求めても仕方がない。いずれにしても多少の動きは見せるだろうから、それには期待する。


「あるいはキレナイカ総督のアレクサンドリア入城もあり得ますが」


「望み薄だな」


 キレナイカという土地はそのほとんどがリビア砂漠。アエギュプトゥスより力がない彼らに元老院の援助なしでどうこうできるとは思えない。グレンティウスはもとより彼らにはそれほど期待していなかった。


「まあ、そうでしょうな」


 ここで騎士団が地平に見えたという報告が入り、総督たちは戦いの準備をさらに進めた。エジプト戦争はその翌日に開戦することになる。

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