EP16 地には平和

 時は来た。


 すでにカイロは陥落し、二度目の陥落も間近。ここで小麦を売りさばく。小麦価格は市場への大量放出で一時は安定するだろうが、戦争が終わらなければすぐに暴騰は再開することになる。


 だからこそ、次の手を打つ。この戦争を終わらせるのだ。教会、元老院、アラビア、誰にも得はさせない。得をするのは七つの丘だけだ。


 罪悪感などどうして抱く必要があるだろう。計画のための引き金はすべて引かれ、あとは撃鉄が落ちるのみ。


 今日を境に帝国はもう一度歴史の中にその居場所を見出すことになるだろう。




 ピーターは笑みを浮かべて手紙をもう一度読む。


 暗号化されたその文章には確かに地下倉庫にため込んだ小麦をすべて売却するよう書かれている。


 すでにすべての在庫を売り払うようすべての倉庫に指示を出した。後は各地の部下がうまく売って利益を出してくれるだろう。不安の種だった在庫がなくなると同時に、かなり精神的にも楽になる。


「これで俺の仕事は終わり。後はゴルゴダとウェリアの仕事だな」


 最後のラスぺティア倉庫長に向けた指令書にサインしてペンを置く。


「そのようですね」


 マリアは所在なさげに答える。見当違いだっただろうか、彼女には商才はなかった。計算はできているのだが、儲けがいくらとか損失がいくらとかいう話がどうもピンと来ていない様子である。


 どこか他のロードのもとで働いてもらうべきだろうか。


「マリア、紙をもう一枚持ってきてくれ。そこの一番安いのでいい」


 いくら儲けが出るだろうかと試算してみるが、何度試算しても要塞が一つ建てられる程度には儲けがでている。これで何をするかはピーターの管轄外だったが、この儲けがどんな未来を作るのか、ピーターは期待を持って見ている。




 翌日には皇帝から勅令が出た。


「民衆を困窮から救うため、元老院の各議員と五大総主教座に対して講和を行うよう皇帝は勧告する」


 そう書かれた書簡がミラノとコンスタンティノープルに送られた。


 実に500年ぶりということで帝国は大きく混乱するかに思われたが、そんなはずもない。皇帝の権威は長い内乱の中で失墜し、誰もその言葉に耳を貸そうというものはいなかった。


 しかし十分な根回しがあれば話は違う。先の演説とは対照的にマルクスを動かし、停戦派の議員と元々停戦したがっているコンスタンティノポリスとアレクサンドリアの総主教庁がこれに同意した。


 元老院議会は十分な利益が確保できるならという条件でスキピオ家の継戦派の議員を公使として選出。アラビア側も大宰相を全権とし、コンスタンティノープルで講和会議に持ち込むことに成功した。


「ずいぶんとんとん拍子に行くものですね」


 ソフィアが感心したように言う。


「もともとやりたがっていた人にきっかけを与えただけですから」


 結局のところ、みんな無理をしているのだ。小麦が高値をつけている状態で継戦の意思を持ち続けているのは前線の将軍だけ。内政に携わる者は一様に頭を悩ませている。現に各派閥のトップは早くも戦争の辞め時をうかがっていた。


 そこをついて、きっかけを与えれば会議を開くくらいまでならどうとでもなる。


 皇帝の勅命は大義に過ぎないが、これで一応の停戦を迎えることができるだろう。後はコンスタンティノープルでの会議で一人勝ちするだけ。


「でもできるんですか? 会議なんてろくに出たこともないのでは?」


「ウェリアもやってくれたことですので、やるしかないですね」


 不安がないと言えば噓になる。だが、成功させなければならない。権力の行く末も繁栄の趨勢もそこで決まるといっても過言ではない。


「人はみな、生存をかけて戦うのです。そこから逃げ出すには国家の庇護なくしては成功し得ないでしょう」


 ソフィアは自分とそう変わらない年齢の少年が想像以上の覚悟を決めていることにどこか悲壮さを感じた。


「私たちのゴールはどこにあるんでしょう」


 呟くような問いかけに返答は必ずしも必要ではないように思われたが、皇帝はその問いにも律儀に自分の持っている答えを晒した。


「全人類の救済なくして、この組織にゴールはありません」


 クイリナーレの夜が更けていく。

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