EP3 ローマ密約 ―2―

「使えるというのはどういう意味だ。ゴルゴダ」


 一番奥の男はすぐに笑みを引っこめると真面目な顔で皇帝に尋ねた。


「その前に、ロード・ウェリア。確認ですが、その作戦はアレクサンドリア総主教マルコ11世が武力を持って元老院派のアエギュプトゥス総督グレンティヌスを打倒する。この認識で間違いありませんね?」


「間違いない」


 グレゴリウスは厳かに答えた。


「では話は単純です。アエギュプトゥスは帝国最大の小麦産地なのですから、小麦相場で儲けて活動資金を作りましょう」


 皇帝が金髪の男に目配せすると、ため息をついてから金髪の男は補足した。


「ゴルゴダはいけ好かないが、言っていることはわかる。つまり将来的な小麦不足を見据えて価格が低いうちに買って、高くなってから売るってことだな」


「さすがはロード・パラティウム理解が早くて助かります。インサイダー取引、売り渋り、買占め、いかようにも言えますが、つまりそういうことです」


 金髪の男は七つの丘唯一の純ゲルマン人幹部だ。本名をピーター・フィッシャーマンと言い、アングル人出身の豪商。帝国でも一、二を争う大手貿易商会フィッシャーマンズ商会を経営している。


「……賛成したくはない策だ」


 マルクスが苦々しげに言う。


「ロード・キスピウスのおっしゃる通り、小麦の価格を吊り上げればただでさえ苦しい庶民の多くが餓死することになります」


 皇帝は瞑目すると続けた。


「しかし我々七つの丘の目的を果たすためならば、手段は問わない。それが七つの丘のルールでしょう?」


「ゴルゴダの言うとおりだ。儂はこの案に賛成する。反対のものがいれば聞こう」


 一番奥に座った男は鋭い目つきで7人を見渡すが声を出すものはいない。


「決まりだな。ゴルゴダ、何が必要だ?」


「ロード・パラティウムの資産とロード・ウェリアの指導力、加えてロード・オッピウスの原稿ですかね」


 グレゴリウスとピーターは黙って頷く。しかし隣に座る男は困惑した表情で皇帝を見つめた。


「ゴルゴダ、私はただの元議員だ。何の権限も今は持っていない」


 オッピウスは元元老院議員。本名をルキウス・セシウス・アントニヌス。教会によって建てられた学科修道院を卒業したのち非コルネリウス氏族の父の後を継いで元老院議員になったが、コルネリウス氏族との政争に敗れ辞職した。


 だがその弁論術と演説の構成力は天性のものがある。少なくなくとも皇帝は彼のポテンシャルを認めていた。


「ロード・ウェリアの演説は民衆の消費行動を変えるのに十分ではないかもしれません。しかし、ロード・オッピウスがプロデュースすればこの計画は必ず成功するでしょう」


 グレゴリウスは反論することもなく、深く頷く。彼自身が誰よりも自らに演説の才能がないことを知っていた。


 オッピウスはそれを見て覚悟を決めた。議員を辞職してから多少肩身の狭い思いをしていた彼は、ようやく役目を勝ち取れたと感じていた。


「確認しよう。まずパラティウムが小麦を買い占め、ウェリアがオッピウスの助けをもって民衆の不安を扇動する。小麦の価格を吊り上げた後、これを売り差額で儲ける。儲けた金は七つの丘の資金に充てられる。異論ないな?」


「「異議なし」」


 7人の答えが揃ったのを聞くと奥の男は頷き、「異議なしと認める」と低い声で認証した。


「では、今日の議事は以上だ。各自時間差をつけて別々の出口から出るように」


 それだけ言うと奥の男は席から立ち、自分の椅子の後ろにある階段から地上に出る。その階段はローマの裏路地に繋がっていると聞いているが、皇帝はまだ使ったことがない。


 議場から出る順番は年齢順なので最年少の皇帝は一番最後になる。ここでは地上での身分は関係ない。幹部ロードか、そうでないか。あるのはそれだけだ。


「ロード・ウェリア。私の部屋は焼けてしまった。しばらくはクイリナーレに置いてもらいたい」


 待っている間にグレゴリウスに話しかける。


「もちろんだゴルゴダ。我々は帝国再興を誓った同志。互いのために努力は惜しまないとも」


 グレゴリウスは穏やかに微笑んで皇帝に言った。彼が議事の初めに言った通り帝国は荒れに荒れている。常人ならば立て直すことなどできないだろう。


 だが、我々は違う。知恵を持ち、優秀な人材を持つ七つの丘は違う。


「ええ。作りましょう。キリストが死んだこの世界の福音を」


 グレゴリウスは微かに笑って答えた。


「否。我らの救世主は蘇った。私の贖い主、主は生きておられる」


 絶望の中でこそ希望は輝く。苦しみの中でこそ幸福は美しい。ならば地獄のような世界に作られた楽園はどれほど素晴らしいだろう。


 七つの丘はキリストの復活を信じ、望み、願い、人知による救済を目指す。あまりに異端な秘密結社だ。

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