第9話  選定

「どうなっているんだ? さっきまでアリーナにいたはずなのに」

 勇斗の目の前は氷に支配されていた。

 壁も床も目に付くありとあらゆるものが凍りついている。

 其処彼処に造られている氷像が、ここが日常ではないと謳うように不気味な雰囲気を醸し出している。

「暑い。なんでこんなにここは暑いんだ?」

 凍り付いたこの空間は視覚で感じる温度と体感温度に異常な差をもたらしている。

 勇斗は羽織っていた上着を腕まくりし、周囲を観察する。

 この空間で、一番目立つもの。この温度の下ですら、溶ける気配のない氷像群の一つに近づいてよく見てみる。もしかしたら、ここが何処なのかを知る手掛かりになればいいと、一縷の期待を抱いていた。

「なんだよ。これ」

 氷像だと思っていた。しかし、氷の中に人がいた。迷い込んだ人を凍らせているのだとしたら、彼自身も危険と隣り合わせの場所に迷い込んでいるということになる。

「氷自体は、普通に冷たいのか。誰か分からないけど、氷の中で生きているのか?」

 触れた感覚は至って普通の氷。冷たくて硬い。軽く叩いて音がするほどの硬さ。

「また誰か来たのですか?」

 誰もいないと思っていたこの場所に少女の声が何処からか木霊する。

「誰だ! どこに居る!」

「うるさいですよ。そんなに大声を出さなくとも聞こえます」

 勇斗が叫ぶと、声が上から聞こえてくる。

 見上げると、そこには少女が逆さまに浮かんでいた。

 さらさらと薄氷を携え舞い降りてくると、勇斗の目の前で止まる。

 腰近くまである純白の髪、細い眉と眠いのかほとんど開いていない右目。薄い青色のTシャツと髪の色と同じ純白のロングスカート。そして何よりも目を引く、左目を含む顔の二割近くを覆う氷。その端正な顔の一部を隠していることで、この少女の魅力を更に上げている。

「んー、初めまして? まぁ、ここに来た人間は元の場所に戻れたためしがないから初めましてですよね」

 呑気な口調に合わない物騒な発言を呟く。

「何年振りかしらねぇ。ここに人が来るなんて。ふふふ」

 ふわふわと辺りを漂いながら、ゆるゆると感慨に耽っている。

「なぁ、ここから出られないのか?」

 誰かがここに訪れたから、姿を見せたのだろう。その割にパキパキと氷を撒き散らしながら、何の説明もせずにふわふわと漂う少女にしびれを切らして、中断させるように問いかける。

「出られないことはないですよ? ただ出ることができるか、凍死するかの二つに一つ」

 少女が提示したのは、凍って死ぬか、生きて帰るか。一応帰る手段はあるようだ。

「どうすればいい」

 この空間に長時間居座ることで戻れなくなりそうな気配。

 そこから来る焦燥感が勇斗を精神的に追い詰める。

「簡単ですよ? あれに手を突っ込んで、凍らなければ帰れます」

 彼女が指し示す先に祭壇があり、そこに蒼い炎が灯っていた。

「あれは、凍桜の魔力根源。そして選定の焔。才能と運がなければ、凍桜の魔力によってその身を凍らされる。それだけです」

「つまり、ここは凍桜の中ってことか?」

 この少女が言うことから導かれる答えは、この空間が凍桜の内部ということになる。

 その場合、彼女はここに閉じ込められている。もしくはここの管理人なのだろうか。

「とりあえず、とっととかざしに行ってくれます? わたしが凍桜を制御するのも飽きてきたので」

 眠そうにあくびをしながら、勇斗をけしける。

 どうせ氷漬けになって死ぬであろう。そういうものだと割り切って諦観している。

 ここにある氷像はすべて、凍桜に選ばれなかった人間のなれの果て。そう考えるなら、彼女が勇斗を見限ったような塩対応なのもうなずける。

 たとえそうだったとしても、ここで諦めるようなことを勇斗は考えていない。

 凍り付いた床を一歩また一歩と不安を、恐怖を、身体が竦むのを振り払い、祭壇に近づく。

「命を賭ける覚悟はできたのかしら?」

 祭壇の前まで来た勇斗の顔を覗き込み、選定される覚悟を確認する。

 少女は彼の安否を心配するように不安そうな顔をしていた。

「そうだな。怖い。死にたくない。だけど………」

 目を閉じて、深呼吸をする。

 この炎に選ばれなければ死ぬ。その恐怖は齢一五の少年には重い。それでも、この空間から脱出するためには、避けられない。

「だけど、俺は選ばれる」

 根拠なんてものはどこにもない。理由も確証すらない。それでも

「こいつは、俺を待っていた。だから………」

 何時か見た夢を思い出したから。

『きみはいつか魔器装を手にするだろう。氷の空間と少女に会う。そのときは何も恐れる必要はない。なぜなら、きみのための魔器装なんだからね』

 顔も知らない青年のあの言葉が脳裏に浮かんできたから。

「俺がここで死ぬ理由がない」

 目を開けば、蒼い炎が真の所有者の来るその時を待っている。

「そう。貴方があの人の言っていた人なのね。なら心配する必要はなかったわね。さあ、手をここへ」

 少女が手を取り、蒼炎の前へと誘う。

 勇斗の顔から不安も恐れも消えている。その代わりに自信と覚悟が満ちている。

「彼の者は選定を望む者。恐れを超え、時を超え、覚悟と勇気を以って此処に立つ」

 先程までとは打って変わって凛とした声で詠うと、蒼炎はより強い炎になる。人一人丸ごと飲み込めるほどの大きさに肥大化して、その大きさを維持する。

「さあ、その手をこの中へ」

 腕どころか勇斗の身体を丸々飲み込める炎の大きさを考慮すれば、手を出すことに不安が湧き上がってくる。

「やるしかないなら、やってやるさ」

 もうここまで来たら、迷っている必要はない。

 勇斗はやけくそ気味にその手を握りしめ、蒼炎の中に突き出す。

 固く握られた拳が炎の中に全て入ると、勇斗の身体を包み込むように流動すると、その勢いのまま少女も飲み込む。

 蒼炎は一度二人を飲み込むと、その大きさは徐々に小さくなり元の大きさに戻った。

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