空から男の子が降ってきたお話 1



「……はあっ、はあっ」


 暗闇の中、走る。本来なら討伐しなければいけない魔物モンスター相手に、私は無様に背中を見せて逃げ回る。


 聞いてない。こんなの聞いてない。


 冒険者になる前に実力を証明できればいいと思って森に来ただけなのに、まさかAランクの魔物に出会すなんて。この森は比較的安全で、ボスだって高々Dランク程度のはず。私なら鼻歌を歌いながらでも討伐できる。そう思ってここを選んだのに……。


「どうして、どうしてこんなところに血塗られた乱杭歯ブラッディファングが……!」


 全速力で足と頭を動かしてもなんの解決策も思い浮かばない。さっきから高速走行ファストランと魔力感知を並行し続けてるせいか、魔力も集中力も残り少ない。歩きづらい獣道を全力疾走して体力もすでに限界。あたりは真っ暗闇で、上を見上げても道標となる星の代わりに、なんの変化もない木々と生茂る葉っぱがあるばかり。

 そんな状況で、今どこを走ってるのかもわからない。一体どうすれば……。


 ——アオォォォォン!!

「ひっ!」


 突如響いた、背中を叩きつけるような雄叫びに足がもつれて倒れ込む。

 鼓膜どころか、森全体の空気を揺らすようにビリビリと響く雄叫びと木々を押し倒しながら近づいてくる轟音に、わずかに残った理性まで失いそうになる。

 それでも、私は半狂乱になりそうになる心のうちとすりむいた膝の痛みとを必死に抑えて立ち上がり、もう一度高速走行ファストランを掛け直して走り出す。

 怖い。苦しい。だけど、死にたくない。勇敢に戦って死ぬくらいだったら、無様に生き恥を晒し続けたい。この状況でこんなこと言うのはわがままだってわかってるけど、今まで我慢してきたんだから、誰か私を助けてよ。

 やっとの思いであの場所を抜け出して、憧れだった冒険者の道まであと一歩。こんなところで死ぬわけにはいかない。なんとか生き延びて、帰らないと。


「……出口?」


 あたりの木々が途絶え、暗がりに一筋の光が差し込んだのを認めてつい頬を緩める。

 やっと帰れる。ボスは縄張りから出ることはできないはず。森を抜ければ、無事に帰れる。

 泣きそうになりながらも、涙をグッと堪えて光の差す場所へ足を踏み入れる。希望の光に、私は残りの体力を使って思い切り飛び込んだ。


「……そん、なあ」


 しかし、現実はそう甘くなかったらしい。当然だ。もし夢だったらとっくに醒めて、嫌な汗をかいて飛び起きてるだろう。


 喜んだのも束の間。一筋の光明は、どうやら私にとって助けだの救いだのと言ったおめでたい意味を持たなかったらしい。

 木々に覆われた獣道を抜けた先に広がっていたのは、星の輝く夜空。当たりを薄く照らす月明かり。浮かび上がる開けた空間。そして……。


「うそ、でしょ……?」


 その先の断崖絶壁。行き着いた広場の地面は途中で途切れていて、はるか向こうの景色がよく見えた。

 そこには本当の意味で何もなかった。活路も、退路も、生きる希望も。

 ただ一つ。申し訳程度に、古ぼけて苔むした石碑が一つ。まるで墓石のように、これから起こる出来事を象徴するように、広場の真ん中にポツンと置いてあるだけだった。

 遠くを見渡せば、まだ明かりの灯る冒険者の街が広がっている。そして、頭上には満天の星空。


「最初から、こうなる運命だったってこと……?」


 血に濡れた乱杭歯ブラッディファングは狼種の中でも知能が発達した種族で、森の中においては冒険者の一番の天敵。ここまで迷い込んでしまったというよりは、逃げ場のない崖っぷちまで誘導されたと考える方が自然だ。

 目の前には希望を象徴する景色が広がってるのに、まるで梯子を取り払われたような感覚に襲われる。


「……は、はは」


 眩いばかりの光景を眺めながら中央の石碑に歩み寄り、膝をつく。私の身長くらいの、だけれどもやたらと大きく見えるその台座に一粒の滴が落ちて弾ける。

 あたりは月灯りに照らされてやけに神秘的で、泣きたいのについ笑いが零れた。そして、やっぱり涙も零れた。


 絶景とも呼べる景色は、最後の景色と呼ぶには皮肉げなほどに綺麗で、逃げ道というにはあまりにも投げやりで。

 どうして世界はこんなにも残酷なんだろう。絶望してしまうには、目の前に広がる景色は、この世界はこんなに美しい。たとえ絶体絶命でも、ここで死ぬなんてもったいない。こんな景色見せられたら、もがき苦しんででも、見苦しくても生きたいじゃない。


 ——たすけて。


 地面を揺らしながら近づいてくる足音と鳥たちの羽ばたきに混じって、そんな声が脳裏を過ぎる。それは口に出したのかもわからない。だけど、紛れもない本心だってことはわかる。


「誰か、助けてよ。誰でもいいから、助けてよ」


 そんな嗚咽混じりの声が、目の前の石碑に溶け込むように消えて、あたりに響くこともなく、嗚咽と一緒に消えていく。


——そんなに生きたいなんて、変わり者だな。


 ……だれ?

 ふと、消えていった嗚咽の代わりに空から響いた声に、私は顔を上げる。目の前には石碑以外に何もない。だけど、確かに声は聞こえた。

 助けが来た? よかった。いや、ダメ。ここに来ちゃダメ。Aランクの魔物に勝てるような人が、わざわざこんなところにくるわけないじゃない。

 一瞬安堵するも、すぐに現状の困難さに思い直す。誰か来たところで、この森は推奨Dランク。相応の場所には相応の冒険者しか来ない。それは身をもってわかっていた。


 ——Aランクだかなんだか知らないが、俺に勝てる奴がこの世にいるわけねえだろうが。たとえ魔王でもな。


 何を言って……魔王に勝てる人間なんているわけ……。

 そんな当たり前のことを思うと、なぜか目の前の石碑が物凄い勢いで光り出す。それは広場を、森全体を太陽みたいに照らしていき、自然と不安の黒や焦りの赤まで真っ白く塗り替えていくかのようで。


「きゃぁっ!」


 ついには石碑から溢れる魔力の本流が、濡れた視界を一面の白に塗り替え、石碑が砕ける轟音と共に天高く登って行った。

 それは星空の真ん中で辺りを照らす丸い月に達しそうなまでに上がったと思いきや、何かを拾って戻ってくる。


「な、何が起こって……」


 あれは……人間? こっちに向かってる?

 満月と重なったその光は次第に速さをまし、ついには流れ星のような速さでこちらに接近し、目の前の台座を激突して派手な音を立てた。


「……ふう、ざっと百年ってところか。長かったな」


 その光は次第に明滅に変わり、最後は一人の少年を私の目の前に置いていって空に登り、星に変わって消えていった。


 降り立った少年は腰を抜かした私をみて、いたずらっぽい笑みを浮かべて親指を立てる。そして


「……待たせたな。正義の刃、勇者見参!」


 さっきまでの絶望を明るく染め上げてしまうほど誇らしげに名乗りあげた少年に、不覚にも希望を抱いてしまったのだった。


「そ、空から男の子が……!?」

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