雪薔薇のモノよ吹雪け

いすみ 静江

皇女アナスタシアの夜に

 夜更けに宮殿のロウソクがふっと消える。

 雪のせいだろう。

 私は、まどろみの中で、ノンナが窓を閉めてくれると信じていた。

 十三歳になったらお嫁に行かなくてはならない。

 それは氷が解けたら直ぐのことだ。

 それまでは、ノンナに甘えよう。


「きゃああ……!」


 ベッドの横からずるりと這い上がるモノがある。


「皇女、アナスタシアと知ってのことか!」


 私の上に男がのしかかって来たのだろう。

 よくぞこの迷宮を抜けて来たな。


「頬でも引っ叩いてやる。去るのならば、今の内だが」


 しかし、身動きが取れない。

 そこへ風が香りを運んだ。

 雪薔薇ゆきばらだろう。

 十三月じゅうさんがつにならないと咲かない花だ。

 ノンナが薔薇園から優れて美しいものをよく飾ったものだ。


「雪薔薇のモノよ、皇室が黙ってはいないぞ」


 その刹那、首筋に二つの棘が刺さった。


「ああ……!」


 痛い。


「静かにおし、アナスタシア」


 囁かれながら、ベッドへ強く沈められた。

 首の棘からは、冷たいものが流れる。


「これは、血――」


 棘が深く刺さって行く。

 恐ろしい。

 こんな感情になったのは初めてだ。


「雪薔薇のモノよ、正体を現すがいい」


「ククク……。ファファファファ! いい血だ」


 危険なモノだ。

 もしかしたら、殺められるかも知れない。

 逃げ出さなくては。


「いいかい、アナスタシア」


 雪薔薇のモノの棘が抜け、私の頬を両手が包んだ。

 気配が近づいて来る。


「ん……」


 私は、血生臭い口づけを強要された。

 息が苦しい。


「ふ、ふは。く、苦しい」


「クククク……」


 雪薔薇のモノが陶酔し始めたとき、頬を締め付けていた手が緩んだ。

 今だ。

 私は、思いっ切り突き飛ばした。

 ベッドから靴も履かずに逃げ出す。


「誰かある!」


「アナスタシア、助けなど来ないと思え」


 宮殿の床は冷たかった。

 そんなことは構わずに走り出す。

 後ろなど見もしなかった。


「来るでない、来るでない!」


 必死で叫び、追い払いつつ、やみくもに走る。


「雪薔薇のモノ、去るがいい」


 ノンナの活けた雪薔薇の香りがする。

 これは、窓が近くにある。

 あの花瓶を投げ付けてやれ。


「これは、運命なのだ。アナスタシアよ」


「運命? 戯言には付き合えない」


 右足を出し、左足を出す。

 走り逃げるにはそれだけのことをすればいい筈だった。


「あ、痛い」


 瞬間、転んでしまった。


「しまった! 髪を踏まれた」


「イリイイイイ」


 背後から迫って来る。

 私を捉えににじり寄る。


「来るでない、バケモノめ!」


「ムダだ――」


 渋い声が響いた。


「アナスタシアは、不死の体とならなければならない」


 窓辺にガタリと肩が当たる。

 夜目にもよく映った。

 花瓶が、ゆっくりと落ちて来る。

 私の手に奇跡を起こして!

 手に破片が刺さりながらも雪薔薇を掴めた。


「雪薔薇の花よ、バケモノを浄化させて!」


 花は私の血まみれになりながら弧を描く。

 すると、髪を踏んでいた辺りに投げ付けられた。


「ギャアア!」

 

 悲鳴が止まった時を動かした。

 ジュワアアア――!


「黒い煙が。やはり危ない」


 そして、ずるりと抜け出すことに成功した。

 右足を出して踏ん張る。

 次に左足で蹴り出すんだ。


「走れ――」


 全速力で宮殿を駆けた。


「よし、このことをノンナに話すんだ」


 ノンナが居ない。

 おかしい。


「このことを話すんだ」


 何故?

 誰も居ない。

 私は、皇女なのに。


「話すんだ!」




 十三月はもう終ろうとしている冬のこと。

 アナスタシアは嫁ぐこともなく季節は過ぎ行く。

 隣国との和平は成り立たず、国は乱れた。


「私はアナスタシア。十三歳にして皇女の席に身を置くもの」



 ――迷宮をさまよえる雪薔薇のモノとなったことを知る者は居ない。










Fin.

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