第5話 バスを降りる前に
少し日本で旅行の準備をしていたときの話をしたい。
思いがけず行くことになったモン・サン・ミッシェル。
ツアーに申し込むとき干潟歩きについて説明を受けた。
「島内を歩く靴とはべつに、岩場も歩けるビーチサンダルをお持ちください。島の入口にある洗い場で足を洗っていただくようになります。タオルと、替えの履き物を持ち歩くための袋も必要ですね」
パンフレットには「砂浜散歩」と書いてあった。といっても岩場や泥深い干潟を体験するイベントだから干潟歩きとよびたい。
つまり、島に出入りする道を通過することとは別に、もっと広く干潟を歩いて回るのだ。
正直なところその時点では干潟歩きに対して、興味より不安というか億劫さが上回っていた。
道を無事に通って島を楽しく散策して帰れたら充分だと思っていた。
干潮時にのみ現れ、島への唯一の道となる干潟。それがこの島の一大スペクタクルとして、島の神秘的な魅力を一層高めていることに異論はない。
が、自分で実際に歩くとなると……ロマンも神秘も泥に埋もれてしまいそうだ。
体力と身体能力にとくに恵まれていなくても大丈夫らしいが、自分だけ転んだりしたら恥ずかしい。
新しいビーチサンダルが必要だ。
家にもあるが、もし知らない間に劣化していて岩場を歩く途中で破損したら悲惨なことになる。街中で鼻緒が切れるのとは訳が違う。
スポーツ用品店でそこそこカワイイのを買い、旅の準備の重要な一歩を進めた気分になった。しかし翌日、母が泣きそうな顔をしていた。
「あんたが干潟にハマって死ぬ夢を見たよ! そんな華奢なビーチサンダルじゃダメだよ!!」
呆気にとられて再起動した頭に浮かんできたのは、北原白秋「紺屋のお六」のラスト3行(歌詞だから引用しない)。
それほどまでに、母の意外な繊細さと何処かズレた思い込みの激しさに驚いた。
タグはもう切ってしまった。もう一足買わなくてはならないのか。そんなお金は現地での買い物にとっておきたい。
けれど両親には猫の世話をはじめ色々たのんである。余計な心配をかけては気の毒だ。それにビーチサンダルなんて一足ばかり余分にあっても何だかんだで履き潰してしまうし、無駄にはならないだろう……。
数日後に私はビーチサンダルを買い直した。
スケッチャーズの格好良いのだ。先に買ったのよりストラップの数が多く、頑丈そうだ。クッションがよく効いて快適な歩き心地。
これを持ってきて履いている。
ともかく、私にとって楽しみと懸念事項を強力に併せ持つのが、モン・サン・ミッシェルだ。わくわくしてきたぞ!
(第6話へ続く)
(次回、いよいよ島に上陸!)
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