隣人はストーカー

朝倉亜空

第1話

 ドアのチャイムが鳴った。時計は夜の八時を少し回っている。あいつだ。隣に住む男。美智子はそう直感した。なので、居留守を使った。

「美智子さん……」

 ドアの向こうから聞き覚えのある声。やっぱりあいつだ。郵便受けに何かが差し入れられる、スッ、スーッという音がした。「旅行のお土産です」との声がして、人が立ち去る気配がした。居留守には気づかれている。

 美智子はゆっくりと玄関ドアまで歩き、郵便受けにあるものを取り出した。奇麗な包装紙に包まれたそれは、可愛いアクセサリーか何かだろう。が、包みを開けることもなく、美智子はそれをそのままゴミ箱に捨てた。

「何でこんなことばっかりするんだろう……」心の不愉快が愚痴のように口からこぼれた。

 二年前に美智子はこのアパートに引っ越してきたのだが、美智子の部屋の隣には秋元義人が住んでいた。義人は都内で大学教員として働いている。そのお堅い仕事柄、女性と接する機会など皆無も同然で、三十過ぎて恋愛経験一度もなし、恋人のいない歴イコール自分の実年齢という残念な男の定番を地で行っていた。その義人の前に、二年前のある日突然、美しい理想の女性が現れたのだ。

 自分がモテナイ君だとよく分っている義人は、恋を成就させようと思った訳でもなく、ただ、自身の理想の女性、美智子に喜んでもらいたい、喜ばせたい、そう思ってついつい色々やってしまっていた。過度の贈り物だったり、訪れた美智子の友人がそう呼んでいたのを聞き覚え、自分も朝、「おはよう、ミッチー」と言ってみたり。この時は美智子に「あなたにそう呼ばれる筋合いはありません。やめてください」とはっきり言われた。

 悪意はまったく無いのだ。ただ、どうしようもなく女心が分からない、分からなすぎるのだ。そして、それ故の馴れ馴れしさ、押しつけがましさが美智子にとっては十分不快なストーカー行為であった。その行為は徐々にエスカレートし、贈り物もより高価なものへとなっていった。

 ストーカー殺人……。丁度昨日、テレビのニュースワイドショーでも取り上げられていたっけと、美智子は思った。初めは丁寧な態度で接し、何度かプレゼントを手渡し、付き合ってほしいとの申し出をしたのだが、断られた。すると、突然、態度が豹変し、暴力的に襲ってきたのだという。

 今まで何かされたわけではない。ただ、プレゼントを贈ってくるだけ。デートに誘うとかは一切なし。一体何を考えているのか、余計に気味が悪い。いや、怖い。美智子は恐怖心さえ抱き始めていた。そして、その恐怖心は日に日に大きく膨らんでいった。プレゼントの値段に比例するように。

「ストーカーに殺されるなんて嫌。どうしたらいいんだろう……」

 ある日、美智子が何気なく週刊誌のページをめくっていると食中毒の特集記事が載っていた。これだ、と美智子は思った。


「あの、こんばんは。秋元さん」

 美智子は隣室の義人の部屋のチャイムを押して言った。可愛らしいピンクの手袋をした手でタッパーを持っている。

「はい……。あっ、ミッ、美智子さん」ドアを開けて、義人が言った。「驚いたなあ。美智子さんがぼくのところへ来てくれるなんて」

「フフ、突然でごめんなさい。はい、これどうぞ。いつもお世話になってるお礼に」

「ほ、本当ですか!」

 義人はタッパーを受け取ると、その場でふたを開けた。「わあ、良い匂いだー」

「キノコシチューです。そのキノコ、自分で採ってきたのよ。結構大変だったんだから」

 義人は暫くシチューをじっと見つめた後、話し始めた。

「そうだったんだ……。でも、願いは叶うもんだな。一生に一度でいいから美智子さんからプレゼントが貰えたらって思っていたんだ。それが手作りの料理なんて。次はぼくが美智子さんの願いを叶えなくっちゃね」少し涙ぐんだ目で義人は心から嬉しそうに言った。

「そんなこと、全然、気にしないで」

 そう、気にしなくても叶うのだ。美智子が山で採ってきたのは、見た目は美味しそうな猛毒キノコ。手袋もタッパーに指紋を残さないため。義人が自炊した毒キノコシチューで中毒死したように見せかけるのだ。

 美智子が帰った後、義人は呆れたように苦笑した。「バカだな、ぼくは……。女心が分からないにもほどがある」

 貰ったシチューを鍋に移し替えた。

「少しは、ほんの少しくらいでも喜んでくれればいいなって、その程度のプレゼントだったのに、それが彼女をすっごく苦しめ、追い込んでたんだな」

 鍋をコンロの上に置き、着火スイッチを押した。

 義人は温まったシチューを皿に盛り、食べ始めた。「うん、美味い。美智子さん、味付け上手だ!」涙が一粒、こぼれ出た。

 義人は二口、三口とスプーンでシチューをすくい、口へと運んだ。

「このキノコも初めて食べたけど、味は案外、悪くないな。そうそう、昨日の日記に書き足しておかないと。明日の夕食用にキノコシチューを作るって」

 義人はシチューをあらかた平らげた。

「ああ、ごちそうさま。最初で最後の手料理をありがとう、ミッチー……」

 翌日。

 美智子が仕事を終え、夕方遅くにアパートへ帰宅すると、そこにはパトカーが止まってあり、数名の警察官が物々しく動き回っていた。

「あの、何かあったんですか」美智子は近くにいた一人の警察官に白々しく訊いた。

「いやまあ実は、このアパートに住む男性が死亡してね。どうもキノコの毒にやられたらしいんだが」そう答えた警察官は訝しげに言葉を続けた。「でも、変でねー、この男性、身元を調べたところ、大学の化学の先生で、植物の毒素、とりわけ、キノコについてを専門に研究している人なんだな。そんな人がこいつの猛毒に気付かないはず無いんだけど……。何かよほど悲しいことがあっての自殺なのかね」

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