サヨナラ
サイトウ純蒼
サヨナラ
タケオはリカのことが好きだった。
三上タケオ、小学四年。
リカはクラスの人気者。可愛くて頭も良く、スポーツもできそして性格も良かった。誰も言わないが、誰もが認めるまさに高根の花であった。
タケオとリカとは幼馴染みではないが、比較的家が近いことからタケオ自身変な優越感を持っていた。そう、ただ持っていただけ。実際この1年近く、リカとは話すこともできていない。
そんなタケオだが、唯一リカに勝てることがあった。
――走ること
昨年も同じクラスだったふたり。タケオは学年のマラソン大会で6位入賞を果たした。
運動場で表彰を受けるタケオ。クラスの列に戻ると、近くにいたリカが言った。
「タケオ君、足速いね」
何と返事したのか覚えていない。
気が利いた返事などできるはずもない。きっと嬉しさと恥ずかしさでつまらない態度をとったのだろう。
そして今年のマラソン大会は来週行われる。
「えっ、リカ、引っ越すの?」
国語の授業が終わり、タケオが教科書を片付けているとリカとクラスの女子が話す声が聞こえてきた。
「うん、今週末に。お父さんの仕事で……」
タケオの心臓はバクバクと音が聞こえるほど鳴った。教科書を触ったり、筆箱を開いたりと意味のない行動をして耳を澄ます。
「急なんだね」
「うん、先生はもう知っているけど……」
タケオは自分の体が自分のものではないような感覚に襲われた。
不安? 寂しさ?
いや違う。そんなものではない感情がタケオを埋め尽くした。
次の日もリカは普段と変わらぬ様子で授業を受けていた。
タケオは斜め後ろからリカを眺める。
長い髪。綺麗な髪。
(女の子の髪ってどうしてあんなに綺麗なんだろう)
タケオは決して届きはしないリカの髪を見つめて思った。
翌日、授業が終わると隣に座っている女の子から一枚の色紙がこっそりと渡された。
(寄せ書き。書いといてね)
女の子は周りに気付かれないように小声で色紙をタケオに手渡した。タケオがその色紙を見ると既にたくさんのクラスメイトが寄せ書きをしている。実際こういった寄せ書きを見ると、リカが引っ越すことが現実として突き付けられる。
タケオは筆箱からペンを取り出して、机の下でメッセージを書いた。
「あっちでも元気でね」
自分で書いておきながらなんと当たり障りのないメッセージなんだ、タケオは書いていてそう思った。
リカが引っ越す3日前、クラスで彼女のお別れ会が開かれた。
多くの女子はささやかだがリカにプレゼントを渡していた。そう言うことができる女子を自分とは違う生き物だと感じつつも、どこかで羨ましくも思った。
クラスの寄せ書きを渡す学級委員。
それまで笑顔だったリカが初めて目を赤らめた。
「ありがとうございます」
リカは寄せ書きを受け取ると丁寧に頭を下げて言った。
嫌だった。
嫌じゃないんだけど、嫌だった。
タケオにとってそれはとても辛い時間であった。
翌日、リカは学校に来なかった。
タケオが勘違いしていたのだが、昨日のお別れ会が最後の登校であった。
座る主をなくした机が無機質に寂しさを訴えかける。
その机だけが時間が止まったかのように存在する。
タケオは自分の馬鹿さを情けなく思いつつ、その机にリカの映像を重ねた。
教室の窓から風が吹く。ふわりと風になびくリカの髪。
きっといい匂いがするんだろう、タケオはひとり机を見ながら思った。
土曜日、今日はリカの引っ越しの日。
ただ今日は朝から親戚の法事が入っていた。
「タケオ、行くわよ!」
母親がタケオを呼びに来る。
今車に乗ればもうリカには会えない。
「うん、分かった。今行く」
車に乗った。
誰も悪くない。そう、誰も悪くないんだけど、誰か悪い。
自分のようなちっぽけな存在じゃ何にも抗うことができない事実をタケオは感じた。
法事が終わり家に戻ると既に夕方になっていた。
タケオはすぐに家を出ると、リカの家まで走った。
誰もいなかった。
当然である。引っ越したのだから。
電気もついていない主をなくした家は、タケオにとって十分過ぎるほど酷なものであった。
これが現実。
タケオはひとり家に帰った。
翌週、学校のマラソン大会が行われた。
走るのは嫌いじゃない。
でもそんな気にはなれなかった。
「よーい、スタート!!」
教員が声を掛けると皆が一斉に走り出した。タケオも周りに合わせて走り出す。
――タケオ君、足速いね
昨年リカと話した言葉がタケオの頭に流れた。
走る。走ろう。
タケオはギアを一段階上げて強く走った。目の前にいる奴らを抜き去って、思い切り走ろう。
タケオは不思議と体から力が沸いて来るのを感じた。そして頬には涙が流れる。
タケオは走った。
その先にあるもうひとつ大きな自分に向かって、思い切り走り出した。
サヨナラ サイトウ純蒼 @junso32
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