ユニークジョブ『ランナー』は闘わない

かきつばた

運び屋カケル

「ぎゃああああああああ! しぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 深い森の中、とある男の情けない悲鳴がこだましていた。

 彼は今逃走の最中にあった。顔面蒼白、恐怖に歪み捻じれて大層滑稽なことになっている。目撃者が一人もいないことが残念なくらいに。


 男の名前は久城翔ひさしろかける。この世界では、カケルと名乗っている。

 所謂、異世界転移者だ。世界にごく稀に現れるイレギュラー。管理者の招かれ人で、強大な加護を持つ……はずなのだが。


「なんなの、こいつ! なんでこんなデカい図体で、無茶苦茶足が速いんだよ!」


 繰り返すが、彼は現在追われていた。


 相手は大型の魔獣。頭には禍々しい鹿のような角、身体はマンモス並みの大きさ。長く伸びる牙が前方に対してかなりの脅威。


 両者の距離は二、三十メートルほど。シカマンモスは獰猛な肉食獣ぐらいに速い。

 命がけの追いかけっこは、かれこれ数分間は続いていた。


 それこそが、カケルの持つ加護。ユニークジョブ『ランナー』。文字通り走行能力に優れ、パッシブスキルとして『絶対逃亡』を持つ。


 とは言ったものの、敵の前から瞬時に消え去れるわけじゃない。圧倒的な速度と逃げ切れる距離まで走り続けられることが保証されているだけ。


「だれか、たすけてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 こうして、今日もまたカケルの断末魔が大地に響き渡る。『悪魔の遠吠え』と巷で噂されているのを、当人はつゆ知らず。





「ニーチャンそれ、森のヌシだぜ」


 カウンター越しに、酒場の店主がカケルに話しかけてきた。


「なんすか、それ」


「アンタが通ったのはグロウルの森だろう。そこにはな、とてつもなく凶暴な魔物が住んでてよ。ここらの人間は、ヌシって呼んで近づかないようにしてる。いったい、何人が犠牲になったことやら」


「よくある話ね、それ」


 カケルの隣に座っていた女が冷めた感じに口を挟んできた。

 彼女はイルメ。運び屋をしているカケルのマネージャーのようなもの。運送の依頼を仲介するが主な職務だ。


「そう言うなよ、ネーチャン。よくある話かもだが、害があるのは本当だ。近頃じゃ、ギルドも重い腰を上げてな。懸賞金だって懸かってる」


 店主はなぜか得意げな顔をして、その金額を2人に伝えた。


 額の大きさに目を丸くするカケル。彼の仕事、1000本分以上の対価がそこにはあった。


「マジか! 一生遊び放題じゃん!」


「お前には無理よ。足しか取り柄がないんだから。大人しく運び屋として稼いでなさいな」


「……自分の仕事がなくなるからって」


「なんか言った?」


 イルメの追及に、カケルはぶるぶると首を振る。持ちつ持たれつの関係だが、基本彼はこの女に頭が上がらない。

 突然この世界に放り込まれ途方に暮れる中、手を差し伸べてくれた経緯がある。


「にしても、森のヌシか。お前ね、行きはともかく帰りくらいは安全なルート選んだら?」


「行きはいいんだ……」


「当然よ、迅速確実に荷物を届ける。それが運び屋カケルのモットーでしょうに。あたしもそれで売り込んでるんだから」


「へいへいわかってますよー。――ま、そんな心配すんなって。逃げ切れる確証があるから近道してんだから」


「……べ、別に心配なんて。あたしはただ自分の稼ぎがなくなるのが不安なだけ。お前なんか、単なるついでよ!」


 イルメは否定の言葉を捲し立てる。今までの落ち着き払った口調はどこにも残っていなかった。


 それを、カケルはニヤニヤしながら受け止めた。ジョッキを煽って中の液体を流し込む。

 仕事終わりのこの時間こそ、彼にとって至福のひとときなのだった。


 その後、話題をコロコロと変えながら2人は酒を進めていく。酒場の主も店内が賑わうにつれて、あれこれと忙しくしていた。


 酔いも回り、カケルたちは店を後にしようとした。そこへ、ひとりの男が近づいてきた。

 大柄でとてもガタイがいい。身に着ける装備も上質だ。


「おい、聞いたぜ。アンタ、森のヌシを見かけたらしいな」


「ああ。そうだけど。――そちらはいったい?」


「ヤミー軍団って聞いたことないかい? ここらじゃ有名なパーティなんだがね」


 そう言って、男は後ろを振り返った。

 店の中央のテーブルに、やはり彼と同じような屈強な男たちが四人ほど陣取っていた。荷物から冒険者だというのがわかる。


「悪い。あちこち動いてるもんで、そういうのに詳しくないんだ」


「……そうかい。――聞いたぜ、アンタ『運び屋』なんだってな。いいよなぁ、俺たちがせっせと魔物討伐してる中、荷物を運ぶだけで金もらえるなんて」


 店中に聞こえるような声。合わせて起こった笑い声は、ヤミーの仲間たちのものだった。


 面倒なことになった。カケルはちょっと苦い顔を作った。こういうトラブルは日常茶飯事だが、それでも心に波風を立てないことはできない。


「そりゃ、ヌシ相手にも逃げるのが精いっぱいだよなぁ! 俺たちなら、瞬殺してやんのによぉ」


「そうか、それはすごいな」


 少しも思ってもないことをカケルは口にする。テキトーに受け流すのが最適解だと、彼はよくわかっていた。


 しかし、ご機嫌なヤミーは今度はイルメの方を見た。


「そこの美人さんもよ、こんな運び屋なんてしてる奴じゃなく俺たちと楽しもうぜ?」


「お生憎様、そのを始めたのはこのあたしなの。――行くわよ、カケル。明日も仕事の依頼あるんだから」


 イルメに腕を強く引かれ、カケルは酒場を出た。余計なトラブルにならなかったことに安堵を覚えながら。


 彼らが去った後の酒場には下卑た笑い声が反響する。

 ヤミー軍団は、ちぐはぐな2人組をこき下ろすので大盛り上がりだった。





 街を出て数分。カケルは例のグロウルの森に差し掛かった。脳裏に、酒場の店主の言葉が過る。


 それでもカケルは何の躊躇いなく森に向かって駆けだした。

 迂回する手もあった。彼の足ならばそこまでのロスにはならない。しかし突っ切るのが目的地までの最短ルート。彼にとってはそれが全てだった。


 昨日とは違い、ヌシの存在は認知済み。知っていればこそ心の余裕が生まれ、なおさら危険度は下がる。


「た、たすけてくれーっ!」


 順調に森を進んでいたところ、どこからか悲鳴が聞こえてきた。

 男の気味の悪い甲高い悲鳴。発生源はカケルの進行方向からはやや斜め後ろ。


 森のヌシに誰かが襲われている――そんな想像が頭を過り、彼は声の方向へと駆け出していた。


「大丈夫か!? ――って、お前は」


「た、助けてくれ! こいつ、強すぎる!」


 木々の狭い隙間を縫うようにして、男――ヤミーは必死に巨体を揺らしていた。装備の損傷具合はひどく、ところどころ血まみれ。


 その後方には、カケルが昨日目にした怪物、森のヌシがいた。環境のせいで、その健脚はすっかりなりを潜めてはいる。


 近くにヤミーの仲間の姿はない。逃げ延びれたか、それとも――


「あいつを倒しに来たのか。で、失敗と」


「なんとでも言いやがれ! 走るしか能がないてめぇとは――」


「うるせえ」


 さっと近づいて、カケルはヤミーに当て身をした。魔法の力をミックスしたそれは、あっという間にヤミーの意識を奪った。


 言いたいことはいろいろあれど、今の最優先は戦線離脱。

 目標を再設定して、カケルはヤミーの巨体を抱きかかえた。今日の配達が一通の手紙でよかった、と妙に納得しつつ。


 速く走れる――それが『ランナー』の最大のアビリティ。だが、それだけじゃない。

 付随して、身体能力のかなり強化されている。戦闘向きなジョブではないものの、彼だって一応転移者だ。この世界の本来の住民とはちょっと違う。


 カケルはゆっくりと後ろを振り返った。距離を縮めつつある森のヌシを強く見据える。


「ホントはお前を倒したいけどな。でも逃げる。それができるのは俺じゃない、別の誰かだから」


 吐き捨てて、彼は強く地面を蹴り出す。

 『ランナー』はどんな戦闘からも逃げ切れる。



 数時間後、街の近くで眠りこけるヤミー軍団が発見された。どこか無様な姿で、しばらく街の笑いものになったという。






「ありがとー、おじちゃん」


「お、おじ……いや、どういたしまして」


 幼い子供の残酷さに打ちのめされながら、カケルは何とか笑顔を取り繕った。


 少女は自らの言葉の鋭利さに気づいていない。ただ満面の笑みを浮かべるだけ。その手に握られているのは、遠い地にいる父からの手紙。


 改めて配達相手に別れを告げて、カケルは村の外へ向かって歩き出した。


 大変なことは山ほどある。強敵から逃げ切った後なんかは、いつも運び屋を廃業したくなる。

 でも、結局カケルは今日までこの生き方を貫いてきた。仕事終わりの一杯と、依頼人の喜びを糧にして。

 元の世界では味わったことのなかった、やりがいと幸福と達成感。


「さて、イルメのところに戻るか」


 酒の肴は自分には珍しい人助け。相手が昨日絡んだ連中だと知ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。

 そんな想像に顔を歪めながら、カケルはゆっくりと走り出す。


 一心不乱に足を動かす。スピードが上がるにつれて、風を強く感じる。そして、一体となったかのような錯覚。

 弾む息、軽快な足取り、無心の時間――走るのが好き、それがカケルの『ランナー』としての本質。



 太陽が煌めく果てしない平原を、ひとりの男がどこまでも駆けていく――

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