青春の助走
護武 倫太郎
第0話 青春の助走
小学生のころ、女子にモテるのは足が速い奴だった。足が速い奴は何をやらせても凄い。あいつは思わず嫉妬するくらい、とてもかっこよかった。
僕にとっての最大のライバル、
晶は、鬼ごっこで無敵だった。持ち前の脚力を活かして鬼から逃げるわ、逆に鬼にまわったらすぐに誰かを捕まえるわ。誰も晶には敵わなかった。
それに、晶はドッジボールも上手かった。小学生のころって、足が速い奴はどんな運動をさせても強かっただろ。晶もその例に漏れず、スポーツ万能だった。味方チームなら鬼に金棒、敵チームなら最強のボスキャラ。そんな奴だった。
だからだろう、あの頃女子はみんな晶のことが好きだった。バレンタインに貰ったチョコの数は尋常ではなく、憐れみでよく僕におこぼれをくれた。悔しくて仕方がなかったが、貰ったチョコに罪はないから、食べてやった。悔しいけど美味しかった。
「ねえ、桃花ちゃん。どうして晶は、あんなに女の子にモテるんだろう?」
小学6年生の春、僕は不覚にも口走ってしまった。桃花ちゃんは俺の初恋の相手だった。くりくりとした大きな瞳がかわいらしい、お人形さんのような女の子だった。
「えっ、やっぱりかっこいいからかな。それに、足も速いし」
桃花ちゃんは、何を当たり前のことを言っているのかといわんばかりに、言いきった。きょとんとした表情がかわいらしかった。
このとき僕は、思わず疑問を口走ってしまったことを、今でも褒めたくて仕方がない。やはり、足が速い者はかっこいいのだと分かったからだ。そのときはまるで、天啓を得た気分だった。
「そっか。分かった。じゃあ、いつか僕が晶に競争で勝つことができたら、僕と付き合ってくれ」
「うーん……、良いよ。運動会で瞬くんが晶に勝ったら、付き合おっか」
桃花ちゃんは、しばらく悩んだ様子だったが、最終的には折れてくれたようだった。……どうしてOKしてくれたのかは、今でも正直分かっていない。
とはいえ僕はこの日から、毎朝のランニングが日課になった。放課後も遊びに呆けていた時間をトレーニングに割くようにした。最初のうちは疲れるし、めんどくさいし、もう止めてしまおうかと思う日もあった。それでも、晶に勝ちたい、桃花ちゃんと付き合いたい、かっこよくなりたい、そう思うと心の奥底から気力が湧いてきた。
いつの間にか、毎日走りこむのが当たり前のことになっていった。
「ねえ、瞬。毎日走る特訓してるって本当?」
どこかで小耳にはさんだのか、晶が僕に聞いてきたことがあった。
「ああ。僕は晶に運動会の徒競走で勝って、桃花ちゃんと付き合うんだ」
「へえ、そうなんだ。でも俺も、絶対に負けないから」
晶も桃花ちゃんのことが好きなのか、あるいは負けず嫌いな性格なのか、闘志を燃え上がらせていた。この日からときどき、晶とも日課のトレーニングを一緒に行うようになった。6月の運動会に向けて二人で一緒に特訓したから、晶もめきめき速くなっていった。
「なあ晶、やっぱりライバルが強いと燃えるな」
「だな。俺も瞬に絶対負けたくないって思ったら、まだまだ頑張れそうだ」
僕らはお互いにライバル視していて、二人で高めあう関係になっていった。雨の日も風の日も、僕らは走ることをやめなかった。
そして、運命の運動会当日。僕は風邪をひいて欠席してしまった。6月の雨はまだ冷たかったせいだろう。
晶との勝負は不戦敗となってしまった。
そして、桃花ちゃんは親の仕事の都合で夏休みに転校していってしまった。
勝負も告白も、全てがうやむやになったまま、僕らは小学校を卒業してしまった。
中学校でも、僕と晶は共に陸上部で切磋琢磨してきた。
お互いがお互いに負けないと強く意識しながら、毎朝一緒に走りこむ日課も途絶えることなく、僕らは陸上に邁進していた。
そして高校生になってすぐに、僕らは運命の再会をすることになる。
「ねえ、瞬。陸上部の様子でも見に行く?」
「ああ、どうせ僕ら二人とも入部するだろうしな」
「ねえ、瞬くんと晶……だよね」
放課後、いつものように晶と談笑をしていると、突然女の子に話しかけられた。
その子はくりくりと大きな瞳が特徴的な美少女で、初恋のあの子によく似た面影をしていた。髪も身長も伸びていたが、よくできた人形のような姿には見覚えがある。
「もしかして、桃花……ちゃん?」
その子は、パッと花のような笑顔を咲かせた。
「うん。久しぶりだね。小学校で転校して以来かな」
「桃花、本当に同じ高校だったんだね」
晶は桃花と連絡先を交換していて、よく連絡を取り合っていたのだと聞かされた。だから、ここに桃花がいることにも驚かなかったのだと。
僕だけに仕掛けられたサプライズというわけだ。教えてくれればよかったのに。
「ねえ、瞬くんは晶と付き合っているわけじゃないんだよね?」
「ああ。晶は永遠に僕のライバルだからね。それに晶が僕なんかと付き合ってくれるはずがないよ」
晶の顔が曇ったような気が一瞬したが、勘違いだろう。僕らは絶対に負けられない好敵手なのだから。たしかに、晶は中学生になったころからどんどん、女の子らしくなっていったし、たしかにかわいくなったなとも思う。一人称もいつの間にか俺から私になっていてびっくりしたくらいだ。
すらっとした健康的なスタイルも相まって、正直めちゃくちゃモテるが誰とも付き合っている様子はなかった。理想がおそらく高いのだろうし、僕なんかでは釣り合わうはずもない。
「そうだよ。私が瞬と付き合うなんて……あるわけ、ないだろ」
「そうなんだぁ。ふーん……」
晶は桃花のじとーっとした目から逃れるように、さっと目をそらした。
「これから楽しくなりそうだね、瞬くんっ。晶、私も負けないから。じゃ、また明日ね」
いたずらな笑顔を見せると、桃花は走って教室を去っていった。
「晶、桃花ともなんか勝負しているのか?」
「う、うん……。そうといえないこともない……、かな」
晶にしては珍しく、狼狽した様子だった。真っ赤な顔をして一体どうしたんだろうか。
「そ、そんなことより、陸上部見学に行こうぜ、瞬。先に行ってるぞ」
そう言い残すと、晶は何かから逃げ出すように廊下を駆け抜けていった。制服のスカートの裾をもう少し気にした方が良いのではないかと、いらぬ心配をしてしまう。
「桃花……」
小学生のころ、うやむやになった告白のことを、桃花は覚えているのだろうか。僕はこれからの高校生活に期待が降らんでいくのを感じる。
あけ放たれた窓からふわりと春の風が吹き込んでくる。僕は晶を追いかけて、春の風と共に駆け出す。
この日を境に、僕らの青春は勢いよく走りだした。
青春の助走 護武 倫太郎 @hirogobrin
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