真夜中、あなたのもとへ
amanatz
真夜中、あなたのもとへ
もう夜も深まりつつあるというのに。
ふと、前触れも、脈絡もなく。
あなたのことを考えてしまった。
こうなってしまうと、もう、だめだ。
途端に、私は、あなたに会いに行きたくてたまらなくなってしまう。
恋しい気持ちを、胸のうちに押しとどめることができなくなってしまう。
どうしようもなく、弱い私になってしまう。
もちろん、最初はそんな考えを振り払おうとした。
時間も時間だし、もうこのまま寝るつもりで、すっかりくつろいだ恰好になっているのだ。これから外に出るなんて。しかも、あなたのところまで、行こうだなんて。
でも、そんな風に頭の中で否定しようとしても、私はすっかり、そわそわしている。明日の準備をしていても、雑誌を読もうとしても、落ち着かない。
そして、気が付くのだ。私は今、葛藤しているんじゃなく、「行く」と決断するのをただ待っているだけだということに。行くと決めるまで、この気持ちを収められるとは、自分自身、少しも考えていないということに。
会いに行きたい。
全力で、走っていきたい。
こんな時間だから、ちょっと迷惑かもしれない。
あなたはいつも、遅い時間まで、身を削って働いている。
たくさんの人を笑顔にするために、自分の仕事を全うしている。
そんなところも好きだ。
でも、きっと、息せき切って会いに行ったら、あなたは拒否したりはしないだろう。
こんなにも弱い、自分勝手で勢い任せの私でも、きっと、優しく満たしてくれるはずだ。
よし、決めた。
ランニングウェアに着替えて。
まだ肌寒いから、パーカーを羽織って。
お気に入りのプレイリストを準備して。
一目ぼれで買ったシューズに足を通して。
準備をしている間、ずっと口元が緩んでいたことに気が付く。
高揚している自分を自覚する。
それをもう、止めようともしないまま、玄関のドアを開ける。
夜の郊外の、とろんとした風が、心地良い。
階段を下りて、一息深呼吸。
そして、走り出す。
家々の明かりも消えていく、どこの家庭も寝静まる頃の時間帯だ。
誰も歩いていない、ほの暗い道。
電信柱の等間隔の灯を、ひとつひとつ、くぐり抜けていく。
羽根が生えたように、足が、軽い。
ダイエットのためと自分に言い聞かせながら走っていた時期とは、全然、違う。
目指すものがあるだけで、気の持ちようが変わるだけで、ただ走るだけが、こんなにも楽しくなるものか。
中心街からそれなりに距離のある私のアパートから、あなたは駅を挟んで反対側。
多少の距離はあるけど、でも、同じ街だ。
思い立ったときに、こうして行けることが、たまらなく嬉しい。
住宅街を逸れて、河川敷に出る。
生ぬるい夜風。土の匂い。闇の中で、川が流れる音。
遠く向こう、こんな時間でも車の行き交っているあの橋まで到達すれば、あなたの居所までは、すぐそこだ。
ハッ、ハッ、ハッ。
大きくなる呼吸音しか響かない河川敷で、全身に広がりゆく苦しさの中で。
私は、ひたすらに、あなたのことを思い描く。
初めて出会った日のこと。
邂逅を重ねるごとに、深まっていった気持ち。
まさに今のように、突然どうしようもなく心を突き動かされて、あなたの元へと向かってしまった、あの日。
自分の恋焦がれる心を自覚したのは、あのときだっただろうか。
さすがに息が上がり始めた。
だけど、それすらも心地良い。
余計なことは、何も入ってこない。
あれこれ変に思考を巡らせる余裕がなくなってきた、だからこそ。
ただ、あなたへと向かって進んでいく、純粋でまっすぐな気持ちそのものになったかのように、私は、走っていく。
どうして、私は、こんなにもあなたのことが好きなのだろう。
見た目とかではないと思う。もちろん、決して外見が悪いわけじゃないけれど。
たぶん、あなたの傍では、私が私らしくいられるから。
他人からしたら、綺麗ごとに聞こえるのかもしれないけれど。
ありのままの自分でいさせてくれる、あなたのことが、私は好きなんだ。
ぜいぜいと息を切らしながら、それでも笑っている自分に気が付く。
目標の橋までやってきた。この道沿いに曲がって行けば、もう、あなたは目前だ。
人通りもあるから、もうへらへらしてないで、引き締めないと。
でも、そう思ってさえ、笑顔が込み上げてくる。
もう少し。
駅前広場を抜けて、高架の線路をくぐって、繁華街へ。
見慣れた店構えが、目に飛び込んでくる。
私は、最後の力を振り絞って、駆け込んだ。
「へい、らっしゃい! ・・・ご注文は?」
「・・・こってりラーメン、大盛り、煮卵ににんにく増しで!」
ああ、良かった。
ラストオーダーに間に合った。
呼吸が落ち着いてきて、肩の上下動が収まっていく。
水を一口飲んだところで、「お待ちどお!」と、目の前に湯気の立つ丼が差し出された。
会いたかった。
一度そう思ってしまうと、もう、止められない。
たとえ真夜中だって、走ってまで、求めてしまう。
それほどまでに、私は恋焦がれてしまっている。
この、こってりしていながら洗練された深みのある、匠の一杯に。
食欲をさらに刺激する、美しさすら感じる盛り付け。
でも、何よりもこの、中毒性のある味付けがたまらない。
勢いよく麺をすすり上げる瞬間、私は、他のどんな時よりも私らしくなれるのだ。
思うままに食べたいものを食べる、ありのままの欲望を、全力で開放できるのだ。
たとえ、深夜のこの時間帯が、間食するのに一番よろしくなかろうと。
たとえ、取得するカロリーがマジでヤバいことになっていようとも。
大丈夫。
私は、そっと、自分自身に言い聞かせる。
ここまで頑張って走ってきたんだから、しっかり運動したんだから、理論上、カロリーはゼロになるから、と。
真夜中、あなたのもとへ amanatz @amanatz
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