第3話 疑問1
留置所の扉が開いたのは、中に入って2時間後だった。夕飯の配給と思ったが、普通に母が立っていた。
「帰るから」
仕事終わりということでテンションはめちゃくちゃ低い。取調室のハツラツ感は皆無だった。職場と家庭でのテンションの違いをまざまざと見た気がした。
目が虚ろで、肌も荒れている。髪もアホ毛が立ちまくり。腰も曲がっている。おばあさんのようだ。普段仕事中でも化粧をしていないので、実年齢を露呈しているんじゃないかと心配になる。
まさに虫の息といった感じだった。
警察という職業はストレスが相当あるようだ。
責任の重圧も相当なんだろう。
しかし、それとこれとは別だ。
別問題だ。別次元と言っても過言ではない。
ボクから言わせれば無関係。
考慮もしない。
配慮だってするもんか!
息子を留置所に監禁するなど、親の風上にも置けない。電気も無い。水も無い。オマケにトイレも無い。3Kの職場のようなところに現代っ子代表みたいなボクを幽閉したんだ。何かの間違いで発狂するところだ。
人間は光が無く、孤独が続くと発狂するらしいけど、あの空間は正直、冗談ではない。
あそこは自我崩壊を狙った作りだ。
悪意しか感じない部屋だった。
でも不思議なくらい、反省もしていた。
だから扉が開き、解放されることに釈然としないし、呆気にとられていた。
母に言われるまま、返事もしないまま、留置所の扉を潜った。
闇に慣れ切った瞳が光に当たる。刺すような痛みと共に涙が自然と流れた。
母が「解放されて泣く人は多い。謎だけどね」と他人事のように言う。放り込んだ本人が言うセリフではないと、少しだけ怒りを感じていたが沈黙を守っていた。
ここで余計なことを吐くほどボクは間抜けではない。
沈黙は金だ。
多弁は罪だ。
外に出ると、眼前には深い夜が待っていた。
夕方に来て、深夜。かなりの時間、拘束されていたみたいだ。
ヘトヘトだったが、吸う空気の種類が違った。
警察署は車の往来が多いところでお世辞にも美味しい空気ではない。二酸化炭素が多めで汚れた空気だったが、ボクには何より美味しかった。
ここでやっと解放されたと実感が湧いてきた。
どんな理由でも解放され、家に帰れることが嬉しかった。
後から聞かされた話だが、ボクが入れられた留置所は非公式の凶悪犯のみを入れておく部屋だったらしい。
殺人鬼。
放火魔。
未成年犯罪者。
痴漢。
下着泥棒。
セクハラ男。
主に女の敵を入れると母が意気揚々と話していた。
ある意味、ここに男女差別があるんじゃないかと思ってしまう。いや、これもある意味では男女平等なのかもしれない。………あまり深く考えるのは止そう。
その話しの延長線で聞いた話だけど、ボクがブチ込まれる前、ちょっと変わった人物が入っていたらしい。
どうやら、自殺を図ろうとして部屋の中を血だらけにしたとのこと。
なんとも悍ましい。
ボクはそんなところに滞在をしていたと思うと頭痛がする。
可能な限り、聞きたくなかった情報だった。
そんなとんでもない1日を終え、ボクは次の日を迎えた。
謎の島に送り込まれると思ったが、そんなことはなかった。鷹茶に奪われて制服も無いと思っていたが、母が用意してくれていたので新品の制服を着ている。
そして学校に行く。
つまり登校だ。
気分は必要以上に憂鬱だけど。
昨日、食べたカツ丼のせいかもしれない。留置所の闇がトラウマ化しているのに母が家で夜食に作ったのだ。
時間帯は深夜2時。胃袋に対して配慮が足りない。若さで乗り越えられる時間帯を優に超えている。
「みんなコレ好きよ。犯罪者は」と疲れた顔で言うものだから、食べる他なかった。犯罪者というパワーワードに若干、引っ掛かるけど疲れている母に言っても無駄なのでスルーする。頑張って、箸を動かし、口へ運び、胃袋に詰め込んだ訳だけど完全に胃もたれをしている。
そのせいもあって、学校に行きたくない。
だが、昨日の今日だ。
ボクは鷹茶が呼んだパトカーに乗せられ、学校を後にしている。
放課後で、生徒の数は少なかったとはいえ、ボクがパトカーに詰め込まれている所を確実に目撃されている。
ボクの青春の1ページがパトカーのサイレンのように真っ赤になってしまった。
もう分かっているんだ。
学校に行けば、フーリガンのごとくボクを誹謗中傷が襲う。
小石を投げられ、上履きを隠され、家に落書きをされるんだ。
女子生徒にはゴミクズを見るような目で見られる。
刑務所に懲役する少女誘拐レ◯プ魔のごとく、酷い仕打ちの日々が始まる。
ボクの高校生活は死んだ。
死体袋に入れられ、ガソリンを掛けられ、ナイフでめった刺しにされるんだ。
ボクの青春グッバイ。
ボクの暗黒時代こんにちわ。
家に帰ろう。
学校に行っても、いじめイベントにエンカウントしてしまう。
ボクは強固な精神を持ち合わせていないので、絶対に登校拒否になる。
担任の先生は正義感が強いから、クラスメートを全員引き連れ、ボクの家に来襲する筈だ。
軒先で「みんな、お前を待ってるぞ」と叫んじゃって、でも生徒たちはやる気無し。後ろの方に立っている生徒はニヤニヤ笑っている。そいつ等がいじめの中心人物と知らず、熱血教師の熱いトーク。
想像しただけで、核ミサイルのボタンを押したくなる。
教育委員会も黙らないし、この御時世だ。マスコミをいいネタと思い、飛び付くに違いない。
そうなれば終わりだ。
ボクは時の人になる。
インターネットタトゥーが刻まれ、もう生きれない。
闇に紛れて生きるしかない。
そんなの嫌だ。
解決策がない以上、帰宅しようじゃないか。
それが一番、安全でかつ正解だ。逃げるのは負けではない。勝ちを掴む為の助走だ。
母さんも仕事があるから、そろそろ家を空ける筈だ。
そっと、帰れば何も言われない。
夜も適当に「学校だりぃ」とか思春期特有の演出をすれば「それでも学校卒業は大事だから頑張りなさい」とか、いう定石なセリフが飛ぶ。
その後は「うるさいなぁ」と言って、部屋に帰ればオッケー。万事解決。平和続行。それを毎日すれば、良い。バレたらバレた時に考えよう。
よし!
帰ろう!
家に帰るぞ!
ボクは踵を返す。
元気いっぱい歩き出そうとした時だった。
「
名前を呼ばれた。
びっくりすることにフルネームだ。
振り返らずにこのまま、家に直行する方が良いのは分かっている。
声からしてあの人だ。
予測しないでも分かる。
だからこそ、悩みどころだ。
選択肢としては、無視。
もしくは応答。
の、2択になるわけだけど、ボクは無視を選ぶ。
何も言わず、呼吸すらも一時的に停止して歩を進める。
歩くスピードを徐々に早め、歩きから走りにシフト。
もうボクを捕まえられる者はいないぞ!
こう見えて、逃げ足は速い。
鬼ごっこをさせれば、鬼役が怒って帰宅するレベルだ。
50m走だって、負けない。
けど、目立ちたくないし、人様の視線とか気にして、いつも順位3位止まり。
現実世界はパフォーマンスを100%出せる人間が脚光を浴びると思う。
ボクの場合は、ダメダメだ。
何かの大会とかで、活躍した記憶がない。
子供的には親を喜ばせたい気持ちがあるけど、幼少期の頃が本当に駄目だった。
でも、こういう場面は別だ。
ボクの俊足に舌鼓を打つが良い。
「止まりなさい」
「!?」
強引に停止させられた。
スピードがあったから、持たれた肩を基点に身体が空に浮いた。
身体が空で横向きになり、そのまま落下した。
「くぅー」
声にならない声を出す。
ボクはアスファルトにボディプレスを繰り出してしまった。
強制的に。
もう最悪だ。
痛む身体を動かして、顔を上げる。
「待ちなさいと言ったのに」
「嫌だよ」
案の定、そこに立っていたのはボクの父だった。
グレーのスーツ。
白髪混じりの薄い頭皮。
油が浮くメガネ。
線は細く、ガリガリだ。
衣と中身がそぐわない天ぷらのような人だ。
スーツは身体のサイズに合っている筈なのに、中身が異様にガリガリなため、必然的に不気味な感じだ。
まるでマントのようなスーツを着ているという表現がピッタリだ。
そして、外見に釣り合わない嘘みたいな身体能力。
筋肉は無いくせに足が速い。速過ぎる。アメコミの世界のような速度だ。
加えて、合気道も嗜んでいる。合気道を使っているところは余り無い。ただ、記憶に新しいのは、父さんより3倍くらい大きい人を
空中で回転させて、転ばしていた。
本人曰く、身体の使い方らしいがボクの理解の範疇を頭2つ分くらい上をいっている。
「学校のホームページ内にある掲示板に書き込みがあったよ。また力を使ったって。多分母さんと思うが」
いやいや。
直接言えよ。
どんだけ、遠回りなんだ。第3者が見まくりじゃないか。
父は、母さんの携帯番号を知らない。
でも母さんは父の携帯番号を知っている。
別居とかしているわけではない。
昔から2人は直接話さない。
家でも一緒にいるところなんて見たことがない。
いつもボクが伝言役だ。
気恥ずかしいと聞いたことは何度かある。顔を見るだけで水が沸騰するみたいに顔が赤面する。
身体が震え出し、尿意が凄いことになるらしい。ヨダレも分泌され、食欲も増すという。
この場合、どっちかがそうなのだ。と言いたいところだけど、両方がそうなのでお手上げだ。もう好きにしてくれ! 死んでくれ!
状態だ。
相思相愛を通り越して、相思異常だ。
見ているだけで、吐き気がする。頭痛がする。親のラブコメなんて犬も食わない。泥水まみれろって感じだ。
まぁボクも人間だ。
女性側、つまり母親サイドが父さんにときめくのは許そう。勿論、嘔吐はするけど、許そう。だが、コイツだ。この親父が純粋に恋している主人公ばりにドキドキとかするのはやめてほしい。
ラブコメは現実世界でするものではない。
妄想でするものだ。
「父さんは心配だ」
ボクはアンタ等、親が心配なんだが。
「父さんは、教鞭を振り下ろす者だ」
振り下ろすな!
執れ!
振るえ!
なんで振り下ろすんだ。まるで体罰をしているようだ。この令和時代に教師が生徒に手を上げると大問題だぞ?
言葉もそうだ。
言い間違いでも、叩かれる時代だ。
ネットに晒され、一生消えない傷になる。誹謗中傷の嵐。アンチコメント自体が記事になり、ネットの海を泳ぎまくる。
ここは息子として、言うべきだな。
「父さん? 教鞭は振るう。または執るんだよ?」
優しい口調で言ってあげた。
息子だとは言え、年下の子供に言葉を正されるのは癪に障るだろう。
ボクは配慮も考慮も出来る人間だから
「御男? 何を言っている? 父さんはいつもコレを振り下ろしているんだよ? 言葉など時として暴力の前では無力。儚いものなのだよ」
スーツの内ポケットから、針金のような金属製のコードが出て来た。
かなり細く、しなやかだ。
でも形を保つ強度も持ち合わせている。
まるで極細の鞭だ。
「言葉の壁とは心の壁なんだ。どんなに強い言葉。酷い言葉よりも、心の壁が高いと届かない。だから暴力で壊す。御男、君も言葉では分からないようだ。母さんは優しいからな」
父さんは素振りをするようにその鞭を振るう。
空気が裂ける音がして、鞭自体のしなるような音がした。当たれば、たちどころに肌が裂けるだろう。裂けなくても、太いミミズ腫れが出来そうだ。
完全に危険人物だ。
しかも教師。
ボクが警察に厄介になるより、この人を刑務所にぶち込んだ方が良いのでは?
いや、疑問系で話すもおかしい。
逮捕して欲しい。
身内だが、仕方ない。
この人は完全に社会の害悪だ。
自分の生徒を鞭打ちにするなんて非道。
まさに外道。
犬畜生だ。
ゆえにボクは、残念だけど。
「父さん、ボク、学校に行くよ」
と、言わざる得ない。
あんな凶器と狂気思想を目の前で禍々しく見せられたら、従う他ない。
でも、途中で引き返せば良い。父さんと一緒じゃなければ、何とでもなる。
「父さんも一緒に行く」
「…うん」
だよね。
ボクが通う学校の先生だから、そうなるわな。
ボクは気不味い雰囲気の中、父さんと並んで学校に向かう。
終始無言だった。
何か、話した方が良いんだろうか?
何を話せば良いのだろうか?
手堅いのは天気の話だな。
「今日は天気が良いね」
「天気でテンションを左右される人間にはならないでくれよ」
「……」
先手を打たれた気分だ。
普通、そこは相槌じゃないのか? 次は気温で過ごしやすいとか、朝晩は冷えるとか、トークの定石を織り混ぜ、本題に進んでいく。
この人、欠陥品かもしれない。
どうして、息子のボクが気を遣わないといけないんだ。
「最近どう?」
「漠然としているな。馬鹿に見えるよ御男」
「……」
コイツ。
もういい。
話さない。
教育委員会に訴えてやる。教員免許を剥奪されれば良い。
学校に武器を所持で向かうなんて、許されてはいけない。
「御男」
「ん?」
次は父さんから話し掛けて来た。
「力って何?」
「え? えええええ?」
知らないの?
いやいや、そんなこと無いでしょ? 一緒に暮らしているよね?
母さんとは恥ずかしいから会話が皆無でも、ボクとはあったよね? もしかして、上の空? 母さんが同じ空間にいるから上の空だった!?
嘘でしょ?
もう疑問だらけだ。ってか謎過ぎる。
しっかり父の務めを果たして欲しい。今後、何かあっても絶対、相談はしないけど。
さて、あの力のことを言うべきか。
言わない方がいいかもしれない。
変なところ、教師っぽいところあるから、本当に鞭で打たれそうだし。
痛いのは嫌だ。
鞭で打たれるなら、こんなくたびれたおっさんなんて願い下げだ。
ハイレッグカットで、股間部の角度もエグく、胸が飛び出そうなSMの女王とかにしばかれたい。
いや、縛られたい。
「コレが欲しいんだろ?」とか、上から言われたい。
「言わないとコレだぞ?」
父さんが胸ポケットから鞭を取り出す。
ほとんど、恐喝だ。
うーん。
悩みどころだ。
仮にも父親。
「昨日、警察を呼んだのは父さんなんだ」
父さん? まさかの父さん?
鷹茶は男子トイレからダッシュで逃げたから、てっきり鷹茶が通報したと思っていたけど、父さんだったのか。
おかしいと思ったんだ。
普通、事情とか聞いてから、パトカーに詰め込む筈なのに警察官は無言だった。流れ作業的にパトカーへ乗せられて、行き先は母さんが待つ取調室だった。
「父さん、母さんに逢いたいからすぐ警察呼んじゃう」
私欲じゃねぇか。
息子をダシにするな。
「女子生徒が職員室に来て、男子生徒に襲われたっていうから、言い終わる前には警察に通報していたよ」
言い終わる前に通報は意味不明だろ。
「父さん、見切り発車だったって思ったよ。でも御男が犯人だったから間違いでもいいかと」
コイツ。
絶対に話さない。
「ボクにだって、秘密があるんだ」
「でも家族だ」
「通報するのは家族じゃないよ。父さん」
「でも家族だ。知る権利がある。そして通報する自由もあるんだ。そして母さんに逢いたい気持ちを奪う権利は誰にも無いんだ」
「………」
ダメだ。
この人はダメだ。
とことんダメだということが分かった。
適当に言って、学校へ先に行こう。
「母さんとボクしか知らない秘密だから、母さんに聞いてよ。ボクは他言出来ないんだ。じゃ!」
ボクは走り出した。
父さんは考えるように空を仰ぎ、携帯を取り出し、膝から崩れた。
予測だが、母さんに連絡をしようとしたんだと思う。勿論、携帯番号を知らないから連絡は出来ない。
なんとも惨めだ。
もう色々、疑問だが、父さんと早めに離婚をして下さい母さん。
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