止まれないから
コタツの猟犬
はしる理由
「今日も精が出るねぇ」
「え⁉ あ、ああ……ど、どうも、ありがとうございます」
すれ違い様のいきなりの声掛けに、
僕は戸惑いながらも笑顔で応じた。
僕は今ランニング中だ。
今は、夕方の6時半ぐらいだと思う。
毎週欠かさず、これぐらいの時間に走っている。
やれる時は毎日だ。
これを始めてから、だいたい二年が経った。
目的はスタミナの強化。
効果が現れたのか、試合でスタミナ切れを起こすことは、ほぼ無くなった。
で、今声を掛けてくれたおばさんは、
知人とも、知り合いとも言い難い、難しい関係の人だ。
当然、そんなんだから、
何処に住んでるとか、どんなことしている人とか、
そもそも名前すら知らない……まぁとにかく何も知らない。
だから、おばさんに見えて、
実はおばあさんかも知れない。
でも、僕がこの時間に走ってて、
トレーニングをしている、という事は知っている人。
長くなったけど、単純に僕が走っている時に、
ときどき顔を合わせる事があるだけの人なのだ。
ただそれだけの関係。
今日まで挨拶すらしたことはなかった。
でも、この声掛けに僕は少し救われた。
おばさんとすれ違ってから、
三十分後ぐらいにランニングを終えて、家に帰った。
シャワーを浴びて、ジャージに着替えて、
机に向い、開かれているノートに書く。
「ランニング45分に、縄跳び少々と…………」
で、僕は道場に向かった。
「お前は、攻守とも悪くないけど、
攻め込まれた時にどうしてもあたふたするから、
それなら遠間からの攻撃手段を身につけて、
近づかせないってのが良いぞ?」
「押忍。すいません」
「いや、責めてんじゃないよ。戦術の話だ。
勿論、一朝一夕で身に付けられるもんじゃないし、
それがどうしても難しいってなら、
思い切って場外に逃げて、仕切り直しちまうのも有りだぞ?」
「なるほどっ! 押忍。ありがとうございます」
「別にさ。昔と違って、今は押忍とか付けなくて良いんだぞ?」
「そ、そうですね。すいません」
「ま、まぁ兎に角、期待してるぞ」
「押忍……あ、いや、すいません」
「ま、まぁ、別に(付けても)いいんだけどな」
正直に言って、僕は格闘技が好きだ。
先輩に恵まれたし、楽しい。
でも、未だに痛いのは嫌いだし、
誰かを殴ることが好きなわけでもない。
でも相手と競うことや闘うこと、そして試合は好きだ。
それは自分が磨いた技術や、
培って来たものを全力でぶつけられるから。
この感覚を人に説明するのは難しい。
一番は教わる人に恵まれたからだとは思う。
僕が組手(人によってスパーとかマスとか言う)をやりたいと言って、
初めてやらせて貰った時に言われたことは未だに覚えてる。
「初めてなんだから、カッコ悪いのは当たり前だし、
そんなの気にしくていい。でも、全力でな。
加減したり、手を抜くってのは一番(相手に)失礼な事だからさ」
今まで、人に合わせて、空気を読んで来たし、
それが当たり前の事だった。
何となく、そこそこで申し合わせて、巧くやる。
それが人間関係で必須だと思ってた僕にとって、
この言葉は衝撃だった。
で、格闘技を始めて六年が経って、
僕は県大会に出れるぐらいになった。
でも初めて出場した去年は一回戦負け。
運の悪いことに相手は県下で有名な選手。
というか全国でもそこそこ名が知れてる人だ。
んで、結論から言うと、なんにも通じなかった。
試合開始の10秒で、
ハッキリと自分の全てが通じないという事を悟った。
たったそれだけの時間で分かってしまった。
スピードが、
パワーが、
テクニックが、
フィジカルが、
メンタルが、
その他ありとあらゆる、
格闘技に必要な能力という能力の全ての桁が違った。
何にも出来ずにボロ負けだった。
というか、気付いたら試合が終わってた。
「お疲れさん」
「押忍」
応援してくれて、心配してくれた人には悪いんだけど、
内容が内容なだけに、負けた時は、
一般的な悔しいとかってそういう気持ちは無かった。
だから、
「才能の差を知って、一生勝てないとわかったら、
競技から離れました(選手として引退)」
というのは、もちろん全くなかった。
でもだからと言って、
死んだ気になって、勝つために死力を尽くす……
って風にもならなかった。
なんか自分の中のパッションが溢れて…………
なんてのは無い。
だから今日も練習するわけだ。
好きだからね。
だって悔しいじゃん。
好きなことで負ける事ってさ。
別に相手に勝ちたいとか、
一番になりたいって、そういう積極的なのとは全然違う。
でもさ、好きなことでは、
やっぱり負けたくないじゃん。
だから、明日も走るのさ。
止まれないから コタツの猟犬 @kotatsunoryoukenn
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