第10話 身をていした恩返し
その日、駅の近くのコンビニによって家に帰る途中。街灯も少なくなってきた住宅街に差し掛かったあたりで、道の端に白くて細長いものがうごめいているのが目に入った。
ヘビだろうか……白いヘビとは珍しい。そう思って遠巻きに眺めていたところ、私はいきなりソレに声をかけられた。
「突然すみません。もう一昨日になりますが、うどんをつまみ食いしようとしていた配達の人に注意しませんでしたか?」
話しているのは間違いなくソレのようだけれど、暗がりでよく見えない。そもそもヘビはしゃべらないものだ。そんな問題に目をつぶるのであれば、私にはソレの言うことに心当たりがあった。
一昨日、ちょうど私の目の前でうどん屋から出てきたウーバーイーツの配達員が、ちょっと味見してやろうかな……という感じでフタを開け始めたので声をかけたのだ。「もしかして味見でもするんですか? お客さんに届ける商品じゃないんですか?」と、まあそんな感じだ。
その配達員は見られていると思っていなかったのだろう。苦々しげな顔をしながらうどんを戻し、何も言わずに走り去っていった。
「実はですね、私が、――その時に助けていただいた『うどん』です」
「…………はい?」
「その時、配達員に食べられてしまったら、私の一生はそこで終わりを迎えていたのです。しかしあなた様が声をかけてくださったおかげで私は生きながらえることができたのです。つまりあなた様は私の命の恩人なのです」
よくよく見ると確かに目も口もウロコもない。ツルっとしたコシのあるそのフォルムは紛れもなく『うどん』だった。
「おかしいな。まだ今日は一滴も飲んでいないはずだけど……」
「いえいえお気になさらずに。私も同じようにこの世に生を受けて、人と話すことができる『うどん』には会ったことがありません。おそらく非常に珍しい現象なのでしょう」
「『気になさらずに』って言われても……。というか配達員に食べられなかったとしても、配達先で食べられるはずだったんじゃないの?」
「その通りでございます。行った先で一介の『うどん』として一生を終えるはずだったのです。しかし幸か不幸か、私はどんぶりの底に1本残されてしまったのですよ。人生は本当にいろいろありますなぁ」
「それで……ここで何を?」
「一本気でコシの強い讃岐の男としてはですね、ここで生き残ったからには、やはり何か意義のあることに人生を使いたいと、そう強く思いましてね。必死でどんぶりを這い出してきたのですのです。――では何をするか、と考えた時にまず思い当たったのが、あなた様に助けていただいた恩に報いなければならないという思いだったわけです。その思いを胸に遠路はるばるここまでやってきた次第であります」
しゃくとり虫のようにここまで来たのだとすれば、かなり時間もかかっただろう。よくぞ私の顔を覚えていたものだ。さっきはよく見えていなかったが、暗闇に慣れた目はその『うどん』が土や砂でかなり汚れている様子が見てとれた。
「……はあ。えっとじゃあその、恩返しをしてくれるってことなのね。何かもらえるのかな?」
「私もここまでくる道すがら、あなた様に何を返したら一番喜んでいただけるかを考えてまいりました。不詳私めは、残念ながら金品等は持ち合わせておりません。特別な情報を持っているわけでもありません。まじないの類に長けているわけでもありません。それならばいっそのことこの身をていして、あなた様に食べていただくことこそが、私のできる最大限の恩返え……」
「――絶対いやだ」
そういい放つと、私は『うどん』を振り返ることもなくその場を立ち去った。きっと昨日の酒が残っていたんだろう。不思議なこともあるものだ。明日も仕事だから今日は、お酒も控えめにして早く寝よう。
次の日、朝起きると玄関の外にはぬめぬめとした『うどん』が落ちていた。
「いやーここまで来るのに時間がかかりました。いきなり行ってしまうのですから慌てましたよ。さぁ、私めはいつでも準備万端です! 讃岐に『うどん』して生まれついたからには、『うどん』としての人生をまっとうさせていただければと思いますゆえ、煮るなり焼くなりあなた様のお好きな方法で……」
「――絶対いやだ!!」
勢いよくドアを閉め、今日はどこへも行かないことにした。ドアを叩くペチペチという音をバックに、私はどうにかしてカラスにでも食べられてはくれないだろうかと願わずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます