第8話 お父さんは何になりたいの?

「お父さんは何になりたいの?」


 俺の「酒がないからもってこい」という催促にこたえ、研究室に酒を持ってきたのは上の子だった。今年で8歳になる彼は、学校では学級委員長をやっており、勉強も運動も良くできる自慢の息子だ。俺はすでにだいぶ酔っぱらっており、質問の唐突さに気がつくこともなかった。


「お、なんだ? 学校でそういう課題でも出たのか?」


「……うん。そんな感じ」彼はそう答えて、部屋に置かれたソファーに腰かける。俺は受け取った酒に口をつけてから答えた。


「そうだな……。これはお前にはまだ難しい話だと思うがまぁ聞いておけ。――俺はな、『お前』になりたいんだ。いや、なる予定だ、と言ってもいい」


 こんな話は酔った勢いでも『実験対象』にぺらぺらと語るような内容ではない。そうやって自制する内なる声が聞こえた気がしたが、どうやらそういった理性はアルコールが溶かしてしまったようだ。


「それは――どういうことなの?」


「あのな、実はな……お前は俺の細胞を使って作られたクローンなのさ。いわゆる複製人間だ。遺伝子情報は俺と全く同じ。年齢は違うけれど、双子みたいなものというとわかりやすいかもしれん。そして、お前の体がもう少し大きくなったら、お前の体に俺の脳みそを入れて、俺は若い体を手に入れるという筋書きなのさ」


「それって……僕は殺されるってこと?」


「殺す、なんて物騒なことを言わないでくれよ。人類の新たな一歩のための尊い犠牲ってところさ」


 どこまで理解しているのかわからないが、彼に動揺するようなそぶりは見られなかった。


「ということは弟も、父さんのコピーで……つまりスペアってことなの?」


「おお、察しがいいな。流石、俺と同じ遺伝子を持っているだけのことはある。実験に失敗はつきものだし、スペアを持っておくことは大切なことだからな。お前たちは最初から俺のために生まれた存在ってことだ。そういう運命ってことさ」


 俺はコップに残っていた酒を一息に流し込んだ。自分の置かれている状況にさすがに気がついたのだろうか。彼は、しばらく何も言わずじっとこちらを見つめていた。――そしてその後、ゆっくりと口を開いた。




「そう――やっぱりそうなんだ」


「……やっぱり?」


「お父さんが僕たちをそういう対象として見ていたことは何となくわかってたよ。でも流石に確証が持てなかったし、お父さんがいない間に、弟と2人で、この部屋を見て回ったんだ。もちろんバレないようにこっそりとね。理解できない部分も沢山あったけれど、僕たちがお父さんのために作られた『スペア』に過ぎない存在だってことは間違いなさそうだった。それにさっきの話も聞けたし、ああそういうことなんだなって……ちゃんと聞けて良かった」


 彼の話を聞いていたその時、急に視界がぼやけるのを感じた。おかしい、酒が回りすぎたか……? それにぼやけるどころか、視界はゆらゆらと揺れはじめてきている。なんだこれは……どういうことだ?


「あのね。さっき、お父さんのお酒にクスリを入れておいたんだ。とりあえず睡眠薬。しばらく眠っておいてもらおうと思ってさ」


 ゆれる視界の片隅で、部屋のドアが開き、下の子が入ってきたのが見えた。下の子はすべてを知っているようで、この状況を問い詰めることもなく、上の子の横に座りこちらをにらみつけた。


「――それでね、聞いてよお父さん。僕ね、なりたいものがあるんだ。早く『大人』になりたいんだ。それにもちろん死ぬのはイヤだ。そんなこと考えていたら、気が付いちゃったんだ。あ、大人の体……ここにあるじゃんって。入れ替えても何も問題のない、これ以上ない条件の『対象』が。――ほら、お父さんだって、僕たちを殺して入れかわろうと思ってたんだから、まさか立場が逆になっても文句は言わないよね?」


 そんな上の子の言葉を最後まで聞くことができなかった。

 視界は暗転し、床にぶつかった衝撃が、俺の最後の記憶になった。

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