34. 【地】灰化4-2 オリンピック

「総理、IOCのシュート会長からお電話が来ております」

「は?」


 日本の総理大臣、棚橋勇三。潔白政治を推進する決意の証として国民に自らの生活を二十四時間公開することを選んだ男。いくら灰化対策とはいえあまりにもクレイジーな政策に外国から気が狂ったのではないかと揶揄されている有名人だ。

 その棚橋の元に電話をかけるということは話の内容が公開されるということであり、多くの場合は相手の要望に沿って電話の間だけは配信を停止する措置が取られている。

 配信停止が必要かどうかは秘書が事前に先方に確認しており、電話を取り次ぐ際にジェスチャーで教えてくれるのだが、今回は停止の必要性無しとのこと。


「いやいや、本当に止めなくて良いの?」

「はい」


 電話の相手がIOC会長という海外の超大物であることから配信継続は何かの間違いではないかと聞き直したがそうではないという。これまで間違いを起こしたことの無い秘書を信じて棚橋は電話に出ることにした。


「ハロー、ミスター・シュート」

「ハロー、ミスター・ユーゾー」


 電話先のIOC会長の声はどことなく生気が無く感じられた。相手に弱みを見せるなど上に立つ者としてあり得ない。何が起きたのかと棚橋は訝しんだ。


「東京オリンピックの件ですか?それなら順調ですよ」


 IOC会長が棚橋に連絡する内容は一つしか考えられない。それは開催まで一か月を切った東京オリンピックについてだ。


 灰化が始まり邪獣が出現したこの年。実は東京夏季オリンピックが開催される予定だった。灰化と邪獣出現のコンボにより世界は戦争状態になり、しかもマスコミは壊滅状態。スポーツも長らく停止しておりオリンピックは中止になるのが妥当だと誰もが考えていた。

 だが戦線が安定し始め、灰化の条件もおおよそ判明し、スポーツやテレビの再開を受けて、オリンピックは中止では無くて延期にして開催すべきではないかという声が出始めた。

 当然、オリンピックなどやっている状況では無いと批判が噴出。だが一方では娯楽が極端に減少した今の世の中だからこそオリンピックを開催して楽しみたいという意見も出ており、世論は真っ向から対立していた。

 そんな中、棚橋は東京夏季オリンピックの開催を決定。経済活動の復興や国境を越えた絆の成熟、人類のメンタルサポートなどのメリットを前面に押し出して何度も何度も国民にオリンピックの開催意義を説明する。


 ただしオリンピックを開催すると言っても、灰化前と比べて参加不可能な国が増え、それに伴い演出や競技や代表選手の再選出など課題が山ほどあり、IOC会長からの電話もそれらの件についてのものだと考えていた。


「ああ、違うんだ。今日電話したのはトーキョーの件では無いんだよ」

「え?」


 だがIOC会長は別の件での電話だと伝え、棚橋は疑問に思う。それ以外で自分に電話をかけてくる理由が思い当たらなかったからだ。


「現在我々は十二年後のオリンピック開催地を選んでいるのをご存じだろう?」

「ええ、オーストラリアのメルボルンと南アフリカ共和国のケープタウンが候補地であると伺っております」


 これは灰化が始まる前に候補として挙げられていた場所であるため、現在のアフリカ大陸の大混乱を考えるとメルボルン一択だと言われている。


「残念なことにその件でやらかした・・・・・委員が多くてな。このままではIOCの存続危機なのだ。そこでユーゾー氏にどうしたら良いかアドバイスを頂きたい」

「……正気ですか?」

「どちらがだい?」

「どっちもですよ!」


 まず正気を疑ったのは、灰化が始まってから時間が経過して灰化条件の情報が出揃って来たにも関わらず、今更やらかして灰になったということだ。


「そもそも金など動かさなくても決まったようなものじゃないですか」

「それでも欲が出ると動いてしまうというのが人間というものだと思い知らされたよ」

「しかし命を懸ける程のものですかね」

「どうやらあの馬鹿どもはトーキョーの再始動が問題なく進みそうなことで、金のやりとりも問題ないと勘違いしたらしい」

「本当に馬鹿ですね。私がやらかしたのは過去だったから灰にならないってだけの話なのに」

「全くだ」


 オリンピック誘致に関する賄賂。東京オリンピックでも国から、そしてスポンサーとなる企業から多くの金が動いており、その件に関しても棚橋は全てを暴露して謝罪済みである。だがその悪事を実行したのは過去の事であり灰化の対象にならなかっただけであり、今新たに実施すれば灰になるのは明らかだ。

 また、賄賂自体が必ずしも灰になるわけではないが、今回の場合はほぼメルボルンに決まっている状態であるにもかかわらず金をせびり取ろうとした悪質さが灰化の条件にひっかかったのだろう。その程度のことは子供でも分かりそうなものだが、賄賂というものが日常化していた委員にとっては分からなかった。


 そしてもう一つIOC会長の正気を疑ったのは、畑違いの棚橋に相談を持ち掛けてきたことだ。


「まぁそれはそれとして、IOCの不祥事の結果をどうにかして欲しいと言われても、私はそちらの専門家ではないので分かりかねますよ」

「それは承知の上だ」

「(それでも私に連絡して来た……ああ、そういうことか。だから私なんだな)」

「ゆーぞー?」

「いえ、私からは全て公開して真摯に謝る、ことくらいしか言えませんね。二十四時間公開はお勧めしませんが」

「はっはっは、流石に私もそこまでのことは出来ないさ。だがそうか、やはり全て公開するのが一番か」

「ええ、一番ですね」


 それこそがIOCの信頼を取り戻すには一番手っ取り早いのだ。自分達はこれだけのことを今までやってきました、これからは改心して真面目にやります。この全てを暴露する手段は強引ではあるが信頼を再構築するにはこれほどまでに効率的な手はない。

 どうせこれから先、裏で悪事を企んで儲けようとしても灰になる可能性が高いのだ。それならば真面目にやって信頼された方が儲けるために取れる手段は増えるはず。

 信頼を素早く得るためにIOC会長は敢えて配信停止をせずに棚橋に電話をした。二十四時間私生活公開という無茶なことを実施中の棚橋からアドバイスを受けたという体を世界中に見せることで、これから先に暴露することはIOCの全ての悪事であると思わせやすくしたのだ。そこで敢えて暴露の内容を調整して会長本人への悪印象を抑えるような印象操作をするのが狙いなのであろう。


「まったく、人間は欲深いものだな」


 電話を終えた棚橋は思わずつぶやいた。配信されようとも言葉の意図は伝わらないだろう。むしろ賄賂に関することだと思われるはずだ。


「総理、オリンピックに関する灰化が増えております。再度国民へのメッセージをお願いします」

「分かった」


 オリンピックを開催することで国民に精神的なゆとりをもたらせるとはいえ、その前に数少ない国民が消えて無くなるのは困る。ゆえに、アンチオリンピックによる灰化が増えないように国民に向けたメッセージを何度も何度も懇切丁寧に伝える。


 式典は派手にはしないということ

 税金を無駄遣いせず、オリンピックよりも邪獣や灰化に対して優先的に活用していること

 悪質な中抜きなどの誰かが『極端に』儲けるための仕組みは排除したこと

 スポンサーは運営のために必要で、その意向を汲むのは当然のことであると言うこと

 スポーツが嫌いな人も好きな人のために協力して欲しいと言うこと

 延期して時期が真夏からずれたので日本であっても運動しやすい気候になること


 国民から不満の声が届くたびに、それらについての答えをつまびらかに説明する。それでもなお反対の声を上げて灰になる人が止まらず、棚橋は悩みに悩む。


 理由も無く金儲けを毛嫌いする者、スポンサーの意向で競技時間やルールまでもが変わることを何故か嫌がり糾弾する者、大義も無く政府批判をしたいだけのために開催反対する者、オリンピック開催を期待している人が多く居るにも関わらず、彼らの気持ちを考えずに道が混む・外国人に来て欲しくないなどの自分勝手な理由で反対する者。


 灰化前であればある程度正しい批判であったものもあるが、今はすべて灰化対象だ。特に『金が動く』ということを全て悪いことだと思い込んで暴言を吐く人が多かった。


「(日本人はここまで愚かだったのか……)」


 灰化によって多くのクズが既に消え去っていた世の中だと考えていたが、まだまだ社会の膿は残されているのだと痛感した棚橋であった。


 なお、今回のオリンピックはアフリカ大陸や滅亡間近の国からの避難民の保護という側面もあり、経済活性化のために儲けるための活動が公に推奨され、空の邪獣を殲滅出来ていたとはいえ残っていた空の移動に関する不安も払しょくされたことで、オリンピックそのものは質素な演出であるにも関わらず社会的にも経済的にも大成功となった。


 また、日本人がメダルラッシュとはならなかったが、そんなことよりも競技に出場出来るだけで喜び涙する各国の選手たちの姿を見て、感動の嵐となるのであった。

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