26. 【地】本物と偽物
「遥くん、本当にごめんね」
「謝らないでください。むしろありがとうございます」
楓を心配してデモ隊に特攻しようと暴走した遥をヒデと香苗の力でどうにか止め、その間に凛が灰対に連絡して楓の救出を依頼。すぐに機動隊に連絡が行き、羽交い絞めにされていた楓を保護。近くに居た男共は捕縛された。その結果を教えられて遥はようやく止まり、冷静になって皆に謝罪した。
「遥くんって、やっぱりお兄ちゃんなんだねー」
暗くなりかけたムードを凛が明るくしようと考え、軽く遥を弄った。
「そりゃあ妹ですから。どれだけ腹が立つ奴でも、心配するのは当然じゃないですか」
「それを当然と言えるのが遥くんの、ううん、
「何恥ずかしい事言ってるんですか、ヒデさん」
「そこは呼び捨てにする流れじゃないのかい!?」
「コミュ障にそんなこと期待しないでください」
『あははは』
少なくともレオナサポート室の中において、遥はもうコミュ障では無い。自然に会話をすることが出来るようになっていた。ヒデのことを呼び捨てにする時も近いだろう。
「そ、そそ、それでり、凛さん、妹は」
「だからなんで私だけー!」
『あははは』
いや、相変わらず凛に対してだけは上手く話を出来ない。お約束のようなものである。
だが絆はもう出来ているはずだ。きっと、おそらく、多分。
「まったく。妹さんは灰対の部屋で大人しくしてるってさ。怪我も無いし、暴れることも無くて良い子にしてるそうだよー」
「良かった……」
てっきり助けてくれた人達にも暴力を振るっているのではないかと心配な遥であった。
妹が大丈夫となると気になるのは外の状況。これまでのような声を揃えた抗議の声は無く、大勢の人がバラバラに叫び合っていて声が重なり何を言っているのかいまいち良く分からない。
「そういえば外が騒がしいですね」
遥が外を見ようと窓の近くに移動しようとするが、ヒデが少し困った顔を浮かべて止めた。
「あー……見ない方が良いかも」
「そうなんですか?」
「どうやらデモ隊が内輪揉めしているらしいんだ。割と醜い感じだから見ない方が良いと思うよ。しばらく経てば落ち着くと思うから、それまで待ってよう」
罵声を浴びせ、掴みかかり、殴り合う人もいる。灰化した人も数多く、暗い感情をぶつけ合うだけの見るに堪えない風景が窓の下には広がっている。
「東京だけじゃなくて、世界中で同じ感じみたいだよー」
凛はネットで世界中のデモの様子を確認していた。テレビは無くても個人配信者が山ほどいるこの世の中。それらをかたっぱしから開いてリアルタイムの状況を調べていたが、どこも東京デモと似たような感じで大小差はあれども諍いが起きていた。それ以外のデモ参加者もどうして良いか分からず困惑し、解散して帰る人も多く見られる。
「もしかして助かったってことでしょうか」
「うん。このまま自然消滅しそうな雰囲気」
とはいえ、しばらくはまだ自宅に帰ることは出来ないだろう。悪意を持ってデモを煽動した者達が、遥達に復讐しようと襲い掛かってくることも考えられるからだ。本来であれば灰化する行為であるが、『誰かのため』という名目を悪用して灰化を逃れて攻撃してくる可能性はゼロではない。
「なんで突然、状況が変わったんですかね?」
「さぁ、何でだろうね。まぁ良いじゃん」
自分の言葉が配信されていたことを知らない遥は、何がきっかけで風向きが変わったのか分からない。だが大ピンチを乗り越えられたならまあいいやと深く考えなかった。
ようやくレオナサポート室に充満していた緊張していた空気が弛緩する。
「ごめんね、みんな。安心したところほんっとうに申し訳ないけど、もう一つだけやらなきゃならないことがあるの」
その空気は香苗によって再度締め付けられた。
「カプセル邪獣をどうにかしなきゃ。デモが収まっても、このままじゃカプセル邪獣を倒せなくてキヨカちゃんが負けちゃう」
むしろデモよりもそちらの方が深刻だ。せめてハードモードが解除される程度に撃破しなければキヨカが死ぬ可能性が高い。また、ボスをギリギリ倒せたとしても地球に邪獣が出現し過ぎて軍隊で対処しきれるか分からない。
「でもそれって灰対が対策を考えることでは?」
遥の疑問も尤もだ。ここはレオナサポート室であって、邪獣対策を考える場所ではない。
だが、今回に限ってはこの部門でなんらかのアクションをとらなければまずい。それは偏に、この会議を世界に公開してしまったから。
『そこまで言うなら、お前らは倒せるんだろうな』
苦し紛れの、だけれども真っ当な指摘が多く寄せられていたのだ。
キヨカにもレオナサポート室にも罪は無く、個人が邪獣を頑張って倒さなければならない。そう意見した癖に、倒さずに逃げようものなら遥の言葉の説得性が薄れてしまい、またデモが再燃しかけない。
「そう……なんだけどね。ええと、その」
配信を遥に黙っているため、遥の質問にも答えられずに香苗は焦ってしまう。
「灰対も対処法を考えてるんだけど、解決案が思いつかないんだってさー。うちの仕事じゃないかもだけど、キヨカちゃんを助けるために私達も考えようよ」
「そうなんですか……」
凛が適当な理由をでっちあげて遥を誤魔化し、香苗をフォローする。香苗はアイコンタクトで凛にお礼を言った。
「(ごめんね)」
「(気にしないでくださいー)」
その間に遥は少し考え、これまたとんでもないことを口にした。
「それじゃあとりあえず誰か戦ってみれば良いんですかね。誰からやります?」
『え?』
親しい人と戦わせて躊躇させるのが今回の邪獣の嫌らしいところなのに、遥は何も気にしないかのように戦ってみましょうと気軽に提案した。まるで、自分は何も問題ないとでも言いたげな表情で。
「あの……遥くんは、戦えるの?」
「多分大丈夫だと思います」
『え?』
やはり遥は今回のカプセル邪獣と戦うことに対して、それほど大きな抵抗を感じていないようだ。
「今回のカプセル邪獣って、親しい人がその人のイメージ通りの武器を持って攻撃してくるんですよね」
「そうらしいわ」
これまで灰対に寄せられた情報から、『親しい人』の基準はまだ不明だけれども、武器はその人のイメージに相応しいものが選ばれることが分かっている。例えば邪獣のエースの場合、年老いた母と草刈り鎌という彼が実家の庭で良く目にしていた組み合わせだった。また、包丁や金属バットなどの凶悪な武器は選択されず、殺傷力の低めの武器が選ばれることも分かっている。
「香苗さんだったらきついですけど、香苗さんが包丁以外の武器を持ってる姿って想像出来ないんですよね。もし香苗さんだったら頑張って抑えてデコピンとかしっぺとかで何とかしますよ」
「そんなの危ないよ!」
「う~ん、香苗さんだったら怖くないでしょうし、大丈夫だと思うんですけどね」
他に出現する可能性としては父と母だ。父親は同じ男であるし、小さい頃は良くじゃれついていたこともあり、軽く頭を叩く程度ならそれほど抵抗は無い。母親は香苗と同様に襲ってくる印象が無い。ヒデや凛の可能性もあるが、より親しい人がいるのにそちらが選ばれる可能性は低いだろう。
「分かりました。俺が、頑張って戦ってみます」
――――――――
まだ外には出られないので、部屋の中のリビングを片付けてスペースを作る。遥は武器は要らないと思っていたが、もし予想外のことが起きたら問題だと、強制的に金属バットを持たされている。
「こいつ、出す前の雰囲気の方が嫌なんですよね。早く出して香苗さんに変身してもらった方が楽です。なんてね」
緊張を紛らわせるためなのか、それとも本気なのか、遥は軽口を叩きながら準備体操をする。以前はカプセルを見るだけで吐き気を催して倒れていたが大分慣れたようだ。戦いを何度も経験し、相手がそれほど強くないことを本能が理解し始めたのかもしれない。実際、世界中の戦い経験者は同じように慣れて来ていた。
「あの……」
「レオナちゃん!」
そろそろ準備も終わろうかという時、レオナが部屋から出て来た。
「あいつが戦うんだよね」
「うん」
レオナはやや俯いて香苗と話をしながら、チラチラと横目で遥の方を見る。香苗はレオナの頬が染まっていることに気が付いて察し……ということにはならなかった。
「あれ?お前部屋に居たのに何で俺が戦うって知ってるんだ?」
「あ、うん、そのね、実は私がさっき教えに行ったの。ほら、近くでやるなら教えとかないと危ないかもしれないじゃない」
遥の質問に慌ててそれどころではなかったからだ。
『クズのくせに何格好つけようとしてんのよ。きもーい。キヨちゃんや苗ちゃんが困らないように死んでも情報手に入れなさいよね。あんなにはそれくらいしか価値が無いんだから』
いつものように暴言を吐いて煽ろうとするのに、その言葉もすらすらと思い浮かぶのに、それがどうしてか口に出せない。むしろ遥がこれから戦うことに対する不安だけが募る。
結果、レオナは何も言わずに、そのまま自部屋の扉に背を預けて冷静になるために目を閉じた。時々薄目を開けて遥を見ているのはご愛敬。
遥はレオナの行動に違和感を覚えたが、今はそれどころではない。これからカプセル邪獣と戦うのだから、そちらに集中する。
「行きます」
カプセルを開けて投げ、木人形が出現する。このまま金属バットで殴りかかっても倒せないのは分かっている。むしろ殴りかかっている途中に変身されたらエグいことにもなりかねない。ゆえに遥は木人形が変身するのを待った。
「え?」
遥の手から力が抜け、持っていた金属バットが床に落ちる。床は絨毯が敷かれているため甲高い音はしなかった。
「なんでお前が……」
木人形が変身したのは、遥が良く知る人物だった。だがそれは香苗や両親、ましてやヒデや凛でもレオナでも無かった。
「楓」
犬猿の仲であり、今回の大騒動の発端となった遥の妹。その姿と瓜二つの存在が目の前に出現していた。武器は一メートル程の短い角材。一見強そうな武器に見えるが、持ち手が加工されていないため、殴りかかっても力が十分に伝わらない武器であり、殺傷力は見かけによらず低い。
偽の楓はにやりと笑うと遥に向かって角材を構えた。
「遥くん!」
「遥!」
「遥くん!」
「あ……あ……」
動揺して武器を落としてしまった遥を香苗達は心配する。レオナに至っては顔面蒼白で泣きそうだ。
そんな外野の心配の声を受けてなお、遥は動かない。
「………は…………に………え」
偽の楓が遥に向かってゆっくりと歩いて来る。
「……つは……な…に……ねえ」
そして角材を振り上げて、遥の右肩に叩きつける。
「いやああああ!」
誰かの叫びが部屋の中に響く。この戦いも当然配信されており、画面を見ていた人も息を呑む。
偽の楓は攻撃が当たったことを嬉しそうに笑みを深めた。
その瞬間、遥が動く。
「あいつはそんな風に笑わねえ!」
両手で偽の楓の胸倉を思いっきり掴んだ。本物の楓がレオナに対してそうしたように。
「あいつが俺に対して笑う訳がねーだろうが!あいつはいつだって俺の前では怒ってるんだよ!情けない俺にムカついて、俺の妹であることが腹立たしくて、いつもいつもブチ切れてるんだよ!それに今のあいつが笑えるわけがねーだろうが!苦しんで、辛くて、悲しくて、間違ったことを悔やんでる今のあいつが、笑えるわけねーだろうが!あいつの心を侮辱すんじゃねええええええええ!」
大切な人を亡くし、悲しみ、苦しみ、そこをつけ込まれて騙され、多くの人を惑わせたことで反省し悔やんでいる。今の楓の心はマイナスの感情で塗り潰されている。
だが偽の楓は、何も無かったかのように笑顔を浮かべている。それが、今この瞬間も傷つき苦しんでいる『家族』を侮辱しているように思えて、無性に癇に障った。
胸倉を掴んでいる両手から右手だけを外し、痛む肩を無視して振りかぶる。これもまた、楓と同様の行為である。楓は遥に止められたが、今の遥を止められる者はいない。このままだと激昂した遥がかよわい女性を殴り倒す姿が世界中に拡散される。遥の心情を察してフォローしてくれる人もそれなりにいるだろうが、男が女を殴るという映像はどうしても強いマイナスのイメージを与えてしまう。
「遥くん!」
遥はその手を振るった。
パンッ!と乾いた音が響く。
握りしめていた手はいつの間にか開かれ、偽物の頬に向かって右から左へと力なく振り抜いたのだ。
「ビンタ!?」
軽めのビンタを喰らった偽の楓は、姿を震わせて元の木人形に戻る。その瞬間、今度こそ遥は全力で怒りをぶつけた。
「このクソ邪獣がああああああああ!」
再度振り上げた手を強く握りしめ、不格好な右ストレートが木人形に突き刺さった。
――――――――
遥の戦いが配信されたことで、ビンタでならなんとか戦えるかもしれないと思えた人が急増した。もちろんビンタとはいえ暴力であることは変わりは無く忌避する人は多い。むしろビンタだからといって大丈夫だなどと考える人を蔑む人の方が多いくらいだ。だが同時に、今回のカプセル邪獣と戦うにはそのくらいは仕方ないのかもしれないと考える人も多く、戦ったとしても戦わなかったとしても仕方ないよね、という空気が生まれた。
それよりも重要なのは、遥が妹のことを想って行動したことだ。誰かを想って苦しいことに挑む人の姿をまざまざと見せつけられ、人々は真面目に考えるようになる。ただ自分が生き延びるためだけではなく、誰かを想って戦うことの意味を。
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