14. 【地】あんたのせいで

 遥の妹が鋭い目つきだったのは一瞬のことで、すぐに元通りの真面目な表情に戻り素早く立ち上がった。


「初めましてレオナさん。私、こちらに努めております里見遥の妹で、里見かえでと申します」


 香苗に対した時と同様に、頭を軽く下げてから礼儀正しく丁寧に自己紹介をする。だが相手は温和な香苗ではなく同類とも言える暴力タイプのレオナ。当然のことながら、はいそうですかと簡単にはいかない。


「はぁ?こいつの妹?なんでそんなのがここに居るのよ」


 これから香苗と楽しい夕食タイムだと浮かれていたところで邪魔をされ、途端に不機嫌になるレオナ。しかもその邪魔をした相手が気に入らない相手の妹などと言うのだから腹立たしいことこの上ない。


 楓はそんな事情を知る由も無いためレオナの反応を疑問に思うが、大嫌いな兄をストーキングしてまで手に入れたチャンスを逃したくないため、変に突っ込まずに話を続けた。


「お忙しいところ大変申し訳ございません。どうしてもレオナさんと話をしたくて、無理を言ってこちらに伺わせて頂きました。少しだけで構いませんので、話をさせて頂けないでしょうか」


 あくまでも下手に出て、レオナの機嫌を損ねないように注意を払う。だが相手はレオナである。そして楓はにっくき遥の妹だ。それだけでレオナの機嫌を取るのは至難の業である。


「やだ。コレ連れてさっさと帰れ。そして二人とも二度と来るな!」

「え?」


 断られることは想定していたが、こんなにもばっさりと拒絶されるのは想定外であり、楓は驚いている。


「お前に言われなくても、これが終わったら帰るわ。明日も来るけどな」

「うっさい、うざい、消えろ!来んな!」

「うっさいのはお前だろ!さっさと帰りたいんだから早く終わらせろよ」

「勝手に押しかけて来て何偉そうにしてんのよ。ゴミ虫のくせに」

「あぁ!?」

「あぁ!?」


 遥とレオナのいつも通りのやりとり。楓はこれを見て、自分が嫌われている原因をすぐに察した。


 嫌われている男の妹だから、ただそれだけで邪険に扱われているのだと。


 とはいえそれで楓が遥に対して何かを新たに感じることはない。小さい頃から歳の離れた兄の不名誉な噂により振り回され続けていたからだ。あの気持ち悪い男の妹、そういったレッテルを張られるのはいつものことだ。元来の乱暴な性格も、それらの風聞をねじ伏せるために培われたものと言っても過言ではない。小さい頃から遥に対して憎しみに近い感情を抱き、顔を突き合わせれば常にケンカするような間柄。成長するにつれて最早家族として扱うことすら嫌悪感を抱くようになり、存在しないものとして考えることで心の平穏を保っていた。この仕事場でも遥が大迷惑をかけているであろうことは楓にとっては想像に難くなく、この展開も十分に納得出来るものであった。


 だが楓は気付かない。言葉で殴り合う目の前の二人の姿を見て、胸に僅かな痛みを感じたことを。


「レ・オ・ナ・ちゃん?」

「ひぃっ!?」


 驚きから回復し、どうすればまともに取り合ってもらえるのかを考えはじめた楓を救ったのは香苗であった。


「お客様にそういう態度は良くないよ」

「だって苗ちゃん」

「だって、何?」

「うううう!」


 満面の笑みを浮かべる香苗の姿から、これ以上の我がままは認めないという意思をレオナは嗅ぎ取った。嫌で嫌で仕方ないが、話を聞かなければいつもの香苗に戻ってはくれないだろう。


「分かったわよ。苗ちゃんに免じて少しだけなら聞いてあげる」


 過程はともあれ、これでようやく楓が望む場が整った。存在すら認識したくなかった兄を利用し、レオナの暴言に対して殴りかかりたくなる気持ちをどうにか押し殺し、ようやく辿り着いた場だ。


 レオナはソファーに座ることは無く、その場から動かない。話は聞くけれども長話は認めない。さっさと話をして帰ってくれという無言の圧力だ。楓はその意図を汲み取り、立ったままレオナに言葉を投げかける。


「レオナさんは、どうしてキヨカさんを危険な目に合わせるのですか?」

「は?」


 レオナの異世界側での役割は、キヨカをサポートしていかに危険から彼女の身を守るか、である。そのやり方がいただけないという話ならば分かるが、危険な目に合わせているとまで言われるような大失敗をした覚えはない。


 その疑問に答えた、というわけではないが、次の楓の言葉でこの質問の真意が明らかになる。


「彼女を村に戻らせて穏やかに生活してもらうことこそが、彼女にとって一番安全なことでしょう。大切な人を守るために、レオナさんは彼女が村に戻るように全力で説得すべきでは無いでしょうか」


 レオナがそのことに気付いていないはずがない。実際、第一章でキヨカが戦闘不能に陥った際には全身の震えが止まらず茫然自失の状態になってしまったのだ。キヨカに少しでも長く平穏無事に生きていてもらいたい。それはレオナが心の底から望んでいる願いでもあるのだ。


 だが、それと同時に、レオナはキヨカと旅をして一緒に過ごしている今の生活も悪くないと感じていた。相手に触れられないとはいえ、日本に居た時では考えられないくらい、毎日傍に居られるからだ。もちろん厄介ごとに首を突っ込んで毎回命の危機に晒されるのは、未だに泣き叫んで止めてくれと叫びそうになる。どうにか必死に耐えられているのは、キヨカの隣に立てるような人物になりたいという想いを支えにしているからだ。


 これらの想いが入り混じり、レオナは自分がどうすべきなのか、毎日葛藤しているのだ。キヨカが死ぬ夢でうなされ、夜中に飛び起きて泣きじゃくることも少なくは無いくらいには。


 このレオナの想いを、レオナサポート室の面々、特に香苗は知っているが、それ以外の人物には伝わっていない。配信画面だけで見ていると、キヨカのことを心底心配しているのに、何故旅を止めるそぶりすら見せないのか、不思議に思うのも当然だろう。


「親友が危険なことに手を出そうとしているのなら、全力で止めるのが普通だと思います。レオナさんは彼女の幸せを願っているのでしょう」


 レオナの胸中を知らない楓は、ここぞとばかりに『あるべき論』をレオナに主張する。その内容に間違いは無いのかもしれないが、だからといってレオナにそのまま伝えることが正しいとも限らない。香苗達はこのままではレオナが激昂して楓に殴りかかることすらあり得ると考え、楓を止めようと行動しかけたが、レオナの反応は思っていたよりも柔らかいものだった。


「うるさい!あんたには関係ないでしょ!」


 レオナは強気な態度を取ることが多い人物ではあるが、内面は『か弱い女の子』だ。遥ほどではないが人付き合いが苦手で、自分の殻に閉じこもりがちで、些細なことでも悩んで落ち込み、強いキヨカの姿に憧れる、そんな女の子だ。そのレオナが自分の急所でもある悩みに触れられたことによる反応は、拒絶と逃避であった。自らの弱みを隠して相手を粉砕する力を持ってはいないのだ。


 そしてそのレオナに対し、楓は一歩も退かない。


「関係あります!」


 楓にとっての本題はここからだ。楓は別にキヨカの無事を願って嘆願に来たわけでは無い。このような話をするのは別に理由があるのだ。


「彼女が旅をしなければ、地球が化け物に襲われることが無くなるんです。彼女の行動に私達の命がかかってるんです。だからどうか、彼女に村に戻るように説得してください」


 地球に邪獣が生まれる条件は、キヨカが異世界で物語を進め、クリアした時である。配信画面には分かりやすく章の開始が表示され、各章にはこれまた分かりやすく邪人という名のボスが用意されている。そしてそのボスを撃破して章のエピローグを迎えると、地球に出現した逆三角錐に邪獣が補充されて解き放たれる。


 それならばキヨカが物語を進めなければ、邪獣は発生しないのではないか。キヨカが村に戻りひっそりと生活することで、世界は邪獣による被害から解放される。キヨカやレオナの幸せ云々は、この主張を通すための方便にすぎない。


 だがそれはあくまでもキヨカのいる世界をゲームであると認識しているがゆえの発想だ。確かに従来の多くのJRPGであれば何もしなければ物語は進まない。だが、キヨカが居る世界はゲーム的ではあるが実際に存在する世界だ。果たして『何もしない』という選択が『何も起きない』という結果につながるのだろうか。


 判断の是非は別として、キヨカとレオナの関係については余計なお世話であっても、世界の人々の命を話題にすれば動いてくれるだろうと楓は考えていた。


 だがレオナの反応は楓の想像外のものだった。


「私には関係ない!」

「え?」


 レオナは考えるそぶりも無く、楓を拒絶した。楓は意図が正しく伝わっていないのかと思い、再度言い直した。


「レオナさん、世界は化け物によって本当に困っているのです。多くの人が亡くなっているのです。生き残った人たちも恐怖に怯えながら過ごしているのです。お願いします、どうかこれ以上の被害を出さないように協力してくださいませんか?」

「だから関係ないって言ってるでしょ。なんで私がそんなこと考えなきゃならないのよ!」

「そんなこと……?」


 レオナは楓の言葉の意味を理解した上で否定していた。しかも、『そんなこと』などと軽く見ているかのような表現を使った。


 そう、軽く見られてしまったのだ。


 楓の訴えも、楓の悩みも、楓の苦しみも、その全てがけなされてしまった。


 これにより、楓の枷が外れる。

 お願いを受け入れてもらうために、本来の自分を必死に殺して行動していたが、その必要性が感じられなくなった。

 遥が妹の変化に気付いたときは、もう遅かった。


 楓はレオナとの距離を素早く詰め、両手で胸倉を掴み壁に叩きつけた。


「かはっ」


 背中に衝撃を受け、レオナの呼吸が一瞬止まる。

 楓からはこれまでの冷静な雰囲気が消え、射殺せそうなほどの強度でレオナを睨みつける。


「あんたのせいで!」

「う……」


 あまりにも強烈な殺意にも近い威圧を受けて、レオナの体は恐怖で硬直し、楓の両手で壁に縫い付けられたような形になる。


「あんたのせいでゆっけが!みんなが死んだ!あんたがあいつを抑えていれば、誰も死ななかった!関係ないだって!?ふざけんな!全部あんたのせいだ!」


 突然の楓の変貌に、香苗、凛、ヒデは驚く。

 遥は楓が丁寧語を使っている時は怒り狂っている時だと知っていた為、その点については驚きは無かった。昔、自分が何度も味わった時よりも苛烈ではあるが、良く見た風景である。怒りの矛先が自分で無いことに違和感を覚えるくらいか。

 だが遥は別のことが衝撃であった。


「(あの子が死んだ?)」


 楓が漏らした『ゆっけ』という名前。それは楓の唯一無二の親友の呼び名であった。楓が絶対に会わせないようにしていたため、遥は『ゆっけ』を見たことすら数える程であり、特に交流はなかった。そのため、唐突に死を告げられた形になったが、大きく動揺する程悲しみが湧き上がってくることは無かった。ゆえに冷静でいられたからか、楓が何故このような暴挙に出たのかを理解した。


 大切な親友を失った悲しみ。


 それこそが今回の楓の行動理由だ。恐らくは楓の話に対してレオナがどのような反応をしたとしても最終的には怒りや憎しみをある程度ぶつける予定だったのだろうと、遥は推測した。レオナが最悪の反応をしたせいで、その『ある程度』が『全力』に代わってしまったのであるが。


「この人殺し!ゆっけを返せ!こんなクズのせいでゆっけが死ぬなんてあんまりだ!」


 いつの間にか楓の目からは涙が流れていた。一切飾らない怒りと憎しみと悲しみを叩きつけ、非難し罵倒する。レオナの心を無視した行動であるにも関わらず、不思議とまだ灰化していない。


 恐怖に顔を引きつらせるレオナだが、どれだけ詰られようとも主張を変えようとはしない。


「か……関係ない……もん」


 繰り返される言葉に、ついに楓はレオナの胸元を掴んでいた両手のうち、右手だけを離して振りかぶった。


「おい馬鹿止めろ!」

「はなせええええ!はなせええええ!」


 このまま放置したら流石に灰化するであろうと考えた遥が、慌てて楓を羽交い絞めにして止める。


「それやったら灰になっちまうぞ!」

「うるさあああああああい!クズは黙ってろおおおおおおおお!」

「お前が灰になるってのに黙ってられねーよ!」

「キモイんだよ!消えろ!私の邪魔ばかりしやがって!」


 口を開けば罵倒の言葉しか出てこない。いつもの楓だなとここ数年無視されていた遥は少し懐かしく感じた。いつもは遥も小汚い言葉で返すのだが、今はそういう状況では無い。どれだけ嫌われていようとも、どれだけ嫌っていようとも、家族が灰になるのを黙って見過ごすことなど出来ない。それが遥なのだから。


「ヒデさん、警備室に連絡お願いします」

「え、あ、ああ。分かった」


 何があっても大丈夫なように心の準備をしていると宣言していたはずのヒデだったが、上手く行かなかったようだ。とはいえ、たどたどしいながらも遥の指示にすぐに動いてくれたので、遥はヒデに相談して良かったとコミュ障壁が薄れていたりする。


 遥が警備室への連絡を選択したのは、このまま力づくで追い出しても、また強引にここにやってくる可能性があると考えたからだ。また、灰化対策機構はメンタルサポートもやっているため、専門家に引き渡した方が良いとも考えた。普段であれば香苗が判断してこのように行動するのだが、彼女は棒立ちでショックから抜け出せていない。この事態をある程度想定出来ており、普段から香苗の行動を良く見ていた遥だからこそ素早く動けたのだろう。


「絶対に許さない!あんたも、あんたたちも、絶対に地獄に落としてやる!」


 部屋を出る最後の最後まで怨嗟をまき散らした楓は、警備員に引き取られて部屋を強制的に退出させられた。


――――――――


「みなさん、本当に申し訳ありません」

「遥さんが謝る必要ないですよー」

「そうですよ。むしろあの場で彼女を止めてくれて助かりました」


 楓が去ってから、遥は香苗達に向けて謝罪の言葉を告げる。凛とヒデは先の香苗と同じように謝る必要は無いと言ってくれた。遥は彼らの想いに感謝しつつも、一番の被害を受けたレオナからは数発殴られても仕方ないと思っていた。


「…………ふん」


 だがそのレオナは恐怖で青白くなった顔のまま、遥に何かをすることもなく自室へと去っていく。レオナのメンタルサポートをする部なのだから、このままで良いとは遥も思っていない。こういう時に真っ先に動くのは香苗である。間違っても遥が慰めになどいったら逆効果だ。だがその香苗が今日はまだ動こうとしない。


「香苗さん、レオナの様子を見て貰って良いでしょうか?」


 遥は香苗に、いつも通りにレオナを優しさで癒して欲しいと伝えた。


「……………………ごめんなさい」


 だが予想外に拒絶の言葉が返って来た。驚愕する遥達だが、この拒絶が別の意味であることに直ぐに気付かされることになる。


「遥くん、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 壊れた機械のように謝罪を繰り返す香苗。その目から涙が溢れ、両手で顔を覆い香苗はその場にしゃがみこんでしまった。


「か、香苗さん?」

「本当に本当にごめんなさい。遥くんの言葉を信じてあげられなくてごめんなさい」


 遥は妹がここに来たら問題を起こすから追い返すべきだと何度も主張していた。それを聞き入れなかったことを香苗は謝罪しているのだ。


「香苗さんが謝る必要無いです。あいつのあの姿見たら、誰だって大丈夫だって思いますもん。あいつ昔から見た目詐欺ですから」


 慌ててフォローする遥だが、香苗は両手で顔を覆ったまま顔を左右に何度も大きく振った。


「違うの。そうじゃないの。私は、私だけは遥くんのことを信じなきゃダメ・・・・・・・だったのに。そうするって誓ったのに。遥くんの為だなんて勘違いして。またやっちゃった。私が悪いの。ごめんなさい。私が悪いの。ごめんなさい。私が悪いの。ごめんなさい。私が悪いの。ごめんなさい」


 これ以降、遥達がどれだけフォローしても、香苗は深夜まで自らを責め続けた。

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