第一章 鉱山の街

1. 【異】はじまりの日

 まるで体全体が温かい毛布に包まれているような心地良い感覚。

 わずかに揺れる電車に乗っているような、穏やかな波の上で横になっているような、優しい振動が体の奥底まで響く。


「キヨカよ……起きなさい……」

「あと五分~」


 普段は目覚めの良いキヨカも、そのあまりの心地良さに抗えず、柄にもなくお約束を口にする。


「たった五分で良いのですか?」

「……起きます」


 誰かは分からないけど起こしてくれるなら起きよう。


 基本的にキヨカはぐうたらではなく、早起きで目覚めも良い。

 しかも真面目なので起きてとお願いされたら無理に抵抗はしない。


「ってあれ?目が開かない!なんで!?」


 閉じていた目を開けようとするが出来ない。

 怪我しているとか、機能が失われたわけでは無い。眼球を覆う瞼の感触はちゃんとあるのだ。


「落ち着いて下さい」

「なるほど、まだ夢なのかな」


 少しでも気を抜けば気を失いそうなほどの温もりに包まれているため、これは明晰夢だと思うことにした。


「夢ではありません。あなたは死亡したのです」

「死んだ?私が?なんで?」

「先ほどまで何をしていたか、覚えていますか?」

「……家に帰る途中?」


 キヨカの記憶は、家族旅行で旅館に泊まって、その帰りの車の中でウトウトしていたところで途切れている。


「その時にあなたが乗っていた車は事故に合い、ご家族の方と一緒に亡くなられたのです」

「冗談……じゃないんだよね」

「はい。あなたは眠っていたため亡くなった時の記憶が無いようですが、間違いありません」


 細かい事故の内容を伝えないのは、この声の持ち主の判断だ。自分がグログログショグショになって死んでいたなど、聞いて気持ちの良い話では無いだろう。


「そっかぁ……私、死んじゃったのかぁ……」


 自分の死を知らされてキヨカが動揺していないのは、まだ半分は夢だと思っていることと、自分を包む温かな何かによる心地良さのため。パニックにならないような仕掛けがなされているのである。


「ということは、ここは死後の世界ですか?」

「いいえ、少し違います。亡くなったあなたの魂を、特別に私がここに連れて来たのです」

「ふ~ん……もしかしてあなたは女神様、とか?」

「そんな感じです」

「あははってきとーだね」


 人間味あふれる反応に思わず笑ってしまうキヨカ。


「私をここに呼んだ理由は何ですか?」

「あなたにお願いがあるのです」

「お願い?」

「あなたには、別の世界に転生してもらい、その世界を救ってほしいのです」

「はぁ……」


 いわゆるテンプレ、というやつだ。


「あなたが転生するのは、地球では剣と魔法のファンタジーと表現される世界。そして、とてもゲーム的な世界です」

「ゲーム?」

「はい、ロールプレイングゲーム、と言えば分かると思いますが」


 これまたド直球なテンプレ設定だ。

 悪役令嬢モノでも、ダンジョンが出現した地球でもなく、単なるゲームの世界。

 日本人の若者であるなら、この説明だけである程度通じるだろうと女神は思っていた。


 だが、キヨカは女神が全く想定していないタイプの人間であった。


「ごめんなさい、分かりません」

「は?」


 女神らしからぬ間の抜けた声が返ってくる。


「ゲーム……やらないのですか?」

「はい、ほとんどやったこと無いです。友達とミニゲームみたいなのやったことあるくらいです」


 有名キャラたちを操作するミニゲーム集をレオナとやったことがあるくらい。

 ソシャゲすらやらない。


「カイザードラゴンクエスト、とかご存じないですか?」

「名前だけは知ってます」


 内容は全く知らない。


「漫画やアニメは見ませんか?」

「少女漫画を少しだけ」


 恋愛モノを少々嗜むだけ。


「異世界モノって分かります?」

「なんですか?それ」


 当然、ブームになっている創作物なんかも知らない。


「……」

「……」


 まさかのゲーム知識ゼロ。

 日本人は大体異世界転生の知識を持っていると勘違いしていた女神は焦っていた。


「(ど、どうしましょう。まさか完全な素人だったなんて。やっていけるかしら……?)」

「女神様?」

「な、なんとかしますっ!」

「めっちゃ焦ってますよね」

「焦ってません!」

「なんか不安になってきました」

「だ、大丈夫です!こんなこともあろうかと、あなたをサポートする人も用意してありますから」


 本人が知らないなら、知っている人に教えてもらえばよい。

 今回は諸事情によりキヨカの家族も転生させるのだ。彼らにお願いしよう。


「今回はあなたのご家族も転生してもらいます。詳しくは彼らに聞くと良いでしょう」

「父も母も姉も、多分詳しく無いですよ」

「ぐうっ!?」


 慌てて調べたら、確かにこの一家は全員サブカルにうとかった。

 女神痛恨のミス。


「(この人の好い家族をゲーム知識ゼロであの地獄に送る?出来るわけないじゃない!)」


 キヨカの家族を異世界に転生させるにあたり、当然女神は彼女たちの人となりを調査した。

 その結果、彼女達は地球で生まれ育ったことが信じられないほど清らかな心の持ち主だった。

 しかも家族全員が、だ。


 そんな素晴らしい人達に重荷を背負わせてしまうことが、女神はとても心苦しかった。せめて辛い中でも異世界モノとして少しでも楽しんでもらえれば、という女神の狙いも失敗した。


 だが、諸事情によりもう変更は出来ないのだ。


「それなら他にサポート要員を用意します!」

「他に?」

「はい、それは現地でのお楽しみです」


 今考えているんですよね。

 キヨカはそう言おうとして止めた。

 女神が本気で困っている空気を察して、これ以上弄るのを止めたのだ。


「で、では説明を進めますね」

「はい」

「あなたは次に目が覚めたら、向こうの世界のとある村に居ます。そこはあなたが小さい頃から家族と一緒に生まれ育った村です」

「はぁ」

「という設定になります」

「設定、ですか?」

「そういう記憶や知識が頭の中に入ってくる、とでも思ってください。世界の常識なども、その村で生活していた範囲内で知れることは全て知識として頭に入ってます」

「……?」


 異世界転生モノを知らないキヨカにとって、知識が頭の中に入ってくる、というイメージが湧かなかった。


「これは体験すれば分かる事なので、話を進めます。あなたが転生する世界は、とある悪い存在が世界を滅ぼそうと暗躍しています。それをあなたに倒して欲しいのです」

「倒すって、私ケンカ弱いよ?」

「大丈夫です。あなたは小さい頃から体を鍛えている、という設定ですので、今よりも丈夫な体になってますし、戦う感覚も身についています」

「私の体が変わっちゃうんですか?」

「基本的には今のままです。目の色も髪の色も背の高さも体型も、ほとんど変わりません。年齢も一緒です。ただ、筋肉の付き方とか、その辺りが少し変わるだけです。すごい鍛えた自分になってる、とでも思ってください」

「マッチョはかわいくなーい」

「ふふ、大丈夫です。ちゃんと可愛いままですよ」


 可愛さを気にする女の子らしさが、女神には微笑ましく思えた。

 願わくば、地獄のような向こうの世界でも、その気持ちを忘れないで欲しい、とも。


「最初の一か月間は、新しい体の使い方や、向こうの世界での生活に慣れてください」

「その後は?」


「物語が始まります」


「物語?」

「はい、あなたが何もしなくても、きっと何かが起きます。それにどう対応するかは、お任せします」

「はぁ……」


 漠然とした物言いに、そう答えるしか無かった。


「さぁ、時間です。あなたの未来が幸あらんことを……」


 話は唐突に終わり、キヨカは異世界へと転生していった。

 女神に最後の挨拶をする機会さえ与えられなかった。

 それほどまでに女神は急いでいた。


「本当にごめんなさい」


 それは、キヨカを死地に向かわせてしまったことを悔いる女神の想い。


 だがもう賽は投げられたのだ。後悔している無駄な時間は残されていない。


「さぁ、やるわよ!」


 気持ちを切り替え、気合を入れた女神の声が、キヨカが漂っていた謎の空間に響き渡った。

























 そしてその声は、地球に告げた謎の声と同じものであった。

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