おうち時間、犬娘と過ごしませんか?

佐久間零式改

第1話 犬娘モカ



「……これで問題ないようですね。それでは、お疲れ様でした」


『うむ、お疲れ』


 パソコンで映し出されている上司にその事を報告し終えると、俺はリモートワーク用のアプリケーションから即座に退出して、アプリそのものを落とす。

 終業時間にもうなっていた事もあったので何も問題は無い。


「はああああっ!! 終わった!! 今日の仕事は終わったぞ!!」


 躊躇いもせずにパソコンの電源を落として、椅子から立ち上がる。


「話は聞こえた!! 終わったのか!!」


 すると、俺の声が当然聞こえていたようで、モカがもの凄い勢いでドアを開けた。仕事中は、この部屋には入ってはいけないとキツく言っていたので犬娘なだけに律儀に守っていたのだろう。愛い奴だ。


「おお、終わったぞ!!」


 俺がそう言うと、モカ自慢の赤柴とした尻尾がふりふりと左右に大きく振れ始めた。モカはキラキラと目を輝かせているだけではなく満面の笑みだ。幸せの時間が訪れた事に感謝さえしてそうな笑みだ。


「いぬ子は行儀良く待っていたんだ! なので遊ぶぞ! いいよね!! いいんだよね! 絶対遊ぶ!! 遊ぶんだよ!!」


 モカがそう確認をしてくる。

 モカは、会社からリモートワークを命じられたその日に出会ったと言うべきか、拾ったと言うべきか、いずれにせよ俺の自宅に住むこととなった犬娘だ。

 それに、ホントに謎なのだけど、モカの一人称は何故か『いぬ子』だ。


「うん、いいんだ」


 俺がそう答えると、モカの尻尾の振り幅が激しさを増した。

 犬娘なので、当然のように人間の耳はないが犬の尻尾と耳がある。外見は耳と尻尾がある以外は十代半ばの女の子とは変わらない。人と違うところがあるとするのならば匂いか。初めて会った時は本当に『濡れた犬の匂い』がしていたが、今は普通に心が和らぐ良い匂いがしている。


「今日は何するの!」


 そう訊ねてきながらも俺の方へとぴょんと跳んだと思ったら、


「うおっ?!」


 気づいた時には思いっきり押し倒されていた。しかも、抱きつかれた上で顔をぺろぺろされている。どちらかと言えばカーキの犬耳が顔に触れたりしてこそばゆい。

 モカは正真正銘の柴犬の犬娘で、毛並みから言えば『赤柴』に分類される。赤というよりかはどちらかと言えば『カーキ』で、最中の皮の色に近いから『モカ』と名付けた。最中だと食べ物にしか思えないので、『もなか』のまんなかの『な』を取っただけだが。


「ぺろぺろぺろぺろ……」


「いや、よせって。そんなに舐めるなって」


 いや、そんなに舐めないでくれ。いや、舐めていてもいい。それが親愛の情であるんだろうから悪い気はしないし、こんな可愛い犬娘にこうも親愛の情を示されると照れる。照れて照れて仕方がない。出会った時は警官心バリバリだったが、今はこうも懐いている。

 モカは、大粒の雨が降りしきる中、何故か俺の住んでいるマンションの前でボロボロのTシャツ姿で涙を流しながら佇んでいたのである。

 それがモカとの出会いだった。


「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろ……」


 俺の口の周りとかを執拗に舐めてくる。

 犬の耳と尻尾があることから『なんだ、こいつ?』と見かけた時は必然的にそう思った。ずぶ濡れだし、わんわん泣いているしで、素通りする事が不可避で、俺はモカに近づき、さしていた傘に入れてやった。そうしたら、モカは俺の事をギロッと睨んできて、


『なんだ、お前は?』


 と、言いながら涙を流しながら尻尾を立てつつも威嚇してきたんだ。

 出会いがそんな感じだったのに、ここまでの関係になるとはな。


「よ、よせって……」


 口の周りもそうだけど、顔がこいつの唾液でべたべたになってきている。

 うん、悪気はないんだし、いいんだが……。


「で、何して遊ぶんだ?」


 ようやく気が済んだのか、ようやく顔を離してくれた。


「さて、何をしようか」


 何か面白い遊びはないものか。


「何する? 何する?」


 そう考えている間も、こいつは尻尾を左右に振りながらワクワクしているようで心底幸せそうだ。


「……そうだな、夕飯を買いに行くついでに散歩に行こう」


 ご飯は重要だ。

 仕事も終わってお腹が減っているし、モカと散歩ついでにスーパーに行くのもいいかもしれない。


「散歩!! 散歩!! 散歩!!」


 モカは俺からパッと離れて、バンザイのポーズをしながらキャッキャとはしゃぎ始めた。

 捨て犬娘なんてこの世にいるとは思ってはいなかったが、こうも懐いてくれていると拾って良かったと思える。なんで捨てられたのか、誰に飼われていたのかとかそんな事は今のところ訊く気はない。モカが自ら話したら耳を傾けようなんて思っている程度だ。


「モカ、行くぞ」


 俺はゆっくりと立ち上がる。

 モカに舐められた顔全体がベタベタしていて気になる。だが、そんなことは些末な事だ。


「うん!! 行こう! 行こう!!」


 モカははしゃぐのを止めて屈託なく微笑んだ。

 そして、勢いよく部屋を飛び出し、玄関の方へと向かっていく。


「はやく! はやく!! 散歩、はやく!! いぬ子の方が先に行っちゃうぞ!!」


「分かった、分かった。ちょっと待ってろ」


「うん、いぬ子は待ってる! 行儀良く待っている!」


 モカの声だけで浮かれているのが分かる。

 散歩はそこまで楽しいものなのだろうか。ただ俺と外に出て、ぶらぶらと歩くだけなのに。

 だが、それだけで喜んでくれるのならば、それでいい。俺と一緒にいるだけで喜んでくれるのならばそれだけでいい。

 リモートワークで孤独になると思っていたのに、モカと暮らすようになってからは嬉しさが増えて、退屈と思われた『おうち時間』が充実してきたように思える。


「良い子だな、モカは」


「うむ! いぬ子は良い子良い子なのだ! 褒めて!! 褒めて!!」


「ああ、良い子だよ、良い子だよ、モカはな」


「えっへん!!」


 俺はモカと出会わなければどうなっていたんだろうか。

 そんな姿を想像するのを止めて、俺は出かける準備をさっとした。

 モカとのおうち時間を一分一秒でも味わうためにも……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おうち時間、犬娘と過ごしませんか? 佐久間零式改 @sakunyazero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ