エスコートの相手
キール殿下に勉強を教えるようになってから、毎日があっという間に過ぎていく。アンナだって普通に学生なので、自分の授業を受けなければならないし、予習復習をする時間だって必要だ。それに加えて、キール殿下に必要なものを優先順位をつけて教えていかなければならない。時間がいくらあっても足りないとは、こういうことを言うのだなと思った。
「でも、前世での社畜時代とは違って、充実してるのよねぇ」
昼食後の休み時間。少しだけのんびりできる時間に、アンナはぽつりと呟く。
「独りごと言っちゃって、どうしたの」
手鏡を見ながら、前髪を整えるナターリア。その仕草さえも、可愛く見えるよう計算され尽くしている。相変わらず、男にもてるためには手抜かりはない。もはやプロフェッショナル。こういうプロ根性、嫌いじゃない。
「いえ、今は忙しいなと思っていただけです」
「そうよねぇ。もうすぐ交流会だもんね」
「あ、そうでしたわね」
そういえば、あれ以来キール殿下は交流会の話をしてこないので、忘れていた。
「アンナったら、こんな重大イベントを忘れてたの? 去年は凄まじかったのに」
ナターリアがくふふっと思い出し笑いをしている。そりゃ、他人事なら面白いでしょうよ。
「去年の惨劇は思い出したくありませんわ」
目の前で男子生徒が、自分を取り合ってとっくみあいの喧嘩を始めるだなんて。しかも、貴族の子息達がだ。普段は紳士的にふるまっていた人々が、幼児のように罵り合い掴み合うなんて地獄絵図だ。
「あれは面白かったわ。周囲の女子生徒はどん引きしてたもんね」
「婚約破棄された男子生徒もいたらしいですわ。といいますか、婚約者がいるくせに、わたくしのエスコートをしようとなさるなんて、最低ですけれどね」
思い出すだけで、腹立たしい。そういう男子生徒のおかげで、女子生徒から目の敵にされるのだ。そもそも、不誠実な男はアンナにとって地雷でしかないし。半径10メートル以内に近づかないで欲しい(つまり視界に入れたくないっていうことだ)
「今年も申し出がどんどん来ると思ってたのに、全然来ないね。やっぱり、アレのせいかな」
「あれ? あぁ去年の惨劇で学習なさったのでしょう」
「それもあるけどさ、今年はなんてったってあの人の存在が大きいよね!」
ナターリアがにまにまと口元を緩ませている。
「校長先生ですね。そう、今年も校長先生にお願いしようかと思っておりまして。それが一番平和――」
「なんっでよ! そこはキール殿下でしょ!」
ナターリアに肩をつかまれて、ガクンガクンと揺すられる。
何故こんなにもナターリアが興奮しているのだろうかと、アンナはシャッフルされる頭の中で考えようとした。けれど、そんなに揺すられたら無理だって。
「ナターリア、ちょっと手を離してくださいな。そもそも、キール殿下から誘われてなどおりませんし、仮に殿下にエスコートされようものなら、一番平和とはかけ離れてしまいますわ」
「言っておくけど、キール殿下以外の男子生徒からは、今年は絶対に誘われないからね」
その割には、男子生徒からチラチラと見られているのだが。もちろん、すべて気付かぬふりでスルーしてるけど。
「ええと、それはつまり、キール殿下がわたくしを誘うと思い、他の男子生徒のみなさまは遠慮していらっしゃる、という意味でしょうか」
「そういうこと。当たり前でしょ」
「ですが、ナターリアも知っての通り、わたくしと殿下はそういう関係ではありませんわ。勉強を教える者と、それを教わる者、ただそれだけです」
「そう思ってるのはアンナだけよ。傍目からみたら毎日毎日寮まで送ってもらって、イチャイチャしているようにしか見えないわ」
イチャイチャしているようにしか見えないだって! そ、それは大問題だ。
校長先生からの依頼だから、学園側は分かっているだろうけれど、生徒達が不純異性交遊だと本気で思って、それを家で話して、それが社交界に広がってしまったら……。
「ナターリア、とても困ったことになっているようです。校長先生との取引ですから、お勉強は教えなくてはなりません。ですが、それ以上のことを誤解させておくのはとても不味いですわ」
「なにが不味いのよ。このまま玉の輿に乗れば良いじゃない」
た、たまのこしだって?!
「な、なたーりあ! あなたもしかして、神様の使いか何かですの!」
アンナは『玉の輿』という言葉に、手が震えだした。
「はぁ? ちょっとアンナ大丈夫? 急に興奮しだして……疲れてる?」
あれ、ナターリアは驚いた表情をしている。ということは、神様とは無関係……みたい。そりゃそうか。使いとしてクロが居るんだから、さらに増やす必要はないよね。
いやいや、驚かさないでよ、とアンナはほっと息をつく。
「急に騒がしくしてごめんなさい。やっぱり疲れているのかしらね、ほほほ」
アンナは笑いでなんとか誤魔化す。ナターリアはまだ不思議そうにしているけれど、ここは押し切るべし!
「たまーにアンナって変なこと言い出すのよねぇ。まぁ疲れてるのは本当だろうから、あんまりツッコまないけど」
うんうん、それでいいです。ナターリアのその器の大きいところが好き!と、アンナは心の中で愛を伝える。
「本当、疲れというものは厄介ですわね。今日は早めに休むことにしますわ」
「そうね、それがいいよ。ゆっくり休んで、キール殿下からのお誘いを万全の体制で受けないとね!」
ナターリアが満面の笑みで言ってくる。
「ですから、お誘いはありえませんよ。まずもって、年上を誘うこと自体、あまり主流とはいえません。それに、家柄も全然釣り合っておりませんし。殿下は一年の公爵令嬢のどなかたを選ぶのが一番自然ですわ」
「……なんも知らないんだね、アンナって」
じとーっとナターリアがくちを尖らせながら見てくる。何か不服があるらしい。
「ナターリアは何かを知っているのですか?」
「一年の公爵令嬢達は殿下にエスコートを依頼したけど、全員玉砕。それを知った二年と三年の公爵令嬢達が申し出てみたけれど玉砕。ならばと身分問わず勇気ある人達がしゃしゃり出てみたもののやっぱり玉砕。断る文言はいつも一緒で『誘いたい相手がいるから』ですって。それ、どう考えてもアンナのことでしょ」
まさか、そんなことが起こってたの? どうりでいつも以上に、身分の高い令嬢達から鋭い視線を送られているなと思っていたのだ。
「で、ですが、わたくしだと決まった訳でもありませんわ。もしかしたらナターリアの可能性だって。はっ、そうですわ。きっとナターリアです。きっと勝負強いナターリアのことを気に入ったに違いありません」
「……はぁ、本当に意味分かんない。アンナだって、キール殿下のことは嫌いじゃないんでしょ。それなのに、なんでそんなに近づくことを嫌がるわけ?」
突然、核心を突く質問をぶっこんできたぁ!
「ナターリアにはまだ話していませんでしたが……、実は、わたくしは学園卒業後の進路として、聖女を目指しているのです」
声を落とし、こそっとナターリアに耳打ちする。すると、ナターリアがびくっと飛び上がった。
「はぁ?! なんでまたそんな世捨て人みたいな職業に?」
ナターリアの大声に、クラスメイト達の視線がざっと集まってしまう。
「ちょ、声が大きいです。しー、ですわ」
アンナは人差し指を唇に当てながら、必死にジェスチャーで静かにしてと伝える。
「待って、なんか、繋がったかも……アンナの不可解な思考が。でもでも、なんでその職業に? アンナだったらさっきも言ったとおり、玉の輿に乗り放題だろうし、そうじゃなくても頭良いんだからもっと他の職業もあるでしょ」
ナターリアが声を落として、聞いてきた。
「いえ、この職業が一番安定しているのです。わたくしは、殿方に頼らずに生きていきたいと思っておりますので」
「男に頼らずって……なんか過去にあったの? そんな男性不信の塊のようなこと言っちゃって」
いや、男性不信の塊なんだって。
「細かいことはいいじゃありませんか。それに、ナターリアのような生き方も素敵だと思いますよ。ただ、わたくしには出来ないだけです」
これは本心だ。マネは出来ないけれど、ナターリアのように開き直って男性を選ぶのも潔いと思う。中途半端にコレをやられたら腹も立つが、ナターリアくらいに腹が据わっていると、逆に感嘆してしまうのだ。
「ちょ、急に何言い出すのよ」
ナターリアは顔を真っ赤にしている。どうやら照れているようだ。あまり見ない表情だけに、そんな表情が見れたことに嬉しくなってしまう。
「ナターリアは、とても可愛らしいですわ。そうだ、今年はナターリアをわたくしがエスコートするのはいかがでしょうか?」
我ながら良い考えだと思う。だって、今年も校長先生に頼んだら、また借りを作ってしまう。かといって、男子生徒の誰かを選んだら選んだで揉めそうだ。それならば、可愛いナターリアをエスコートすれば良い。
「何言ってんのよ。私はすでに何人もの男子生徒から申し出がある――――ひぃ!」
ナターリアが急に青ざめた。
何事かと思って、ナターリアの視線をたどるように後ろを向くと…………
「ぇっと、キール殿下?」
未だかつてない程の、厳めしい形相で立ち尽くしているキール殿下がいたのだった。
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