【間章】キールの気持ち

【キールside】


 目の前ではしゃぐアンナを見て、ドキドキした。

 年上とはいえ一歳しか違わないなんて嘘だろうと思うくらい、アンナは落ち着いた女性だと思ってた。けれど、『こうあらねばならぬ』という信条の元、自分を律しているだけで、本当は可愛らしい少女の心を内に秘めているのかもしれない。

 そう思うと、もっとその可愛らしい部分を見てみたくなる。もっと、自分だけに見せて欲しい。そんな独占欲まで出てきてしまった。


「もう、これは認めるしかないか……」


 男子寮の自室で、キールはベッドにダイブして呟いた。


 第二王子として生を受け、いろんな人達の思惑に揉まれて育ってきた。だから、相手がどんな人間なのか、注意深く観察する癖がついている。

 優しい言葉を掛けてくれる人が、本当に優しいとは限らない。逆に怖い人が本当に怖いとは限らない。自分の味方だと思っていた人が、本当に味方だとは限らないし、好意を伝えてくる人が、純粋に好意を持っているとは限らないのだ。


 そんな思惑を腹に抱えた人達を大勢見てきたキールにとって、アンナは本当に変わり者に映った。主席を取るほどの秀才、けれどどこか抜けたところのある性格。容姿は文句の付け所のないくらい美しく聡明な女性だけれど、あの瞬間に漏れ出た無邪気な笑み。

 なにより、キールに勉強を教えることは、校長からの頼みだ。だから、トランプ勝負でキールに勝ち、勉強をさせることが出来ればそれで良かったはず。それなのに、わざわざそれを不正だ、無効にしたいと言いだした。正直、真面目すぎてバカかと思った。けれど、アンナは真面目に生き抜きたいと言った。


「真面目に、生き抜きたい……か」


 そんなことを胸を張って言ってしまえるアンナが、すごく強い人だと思った。自分の信念を持っていて、それにそって生きようと自分を律している強さ。なんて、素敵な人だろうと。


「あー……どうしよう。意識したら、もうどんどん好きになっちゃう」


 キールはベッドの上でバタバタと暴れる。


「ふう、一回落ち着こう」


 むくりと起き上がると、大きく深呼吸した。


 そう、王子たるもの、冷静さを失ってはいけない。じいやから教わったことだ。



 この国では、基本的に生まれた順番にそって王位の継承順位がつく。次期国王は、兄である第一王子だ。けれど、第一王子は27歳になるが、何故か妃を娶らない。かたくなに拒否をするのだ。そこには色んな噂があるけれど。実は男色家なのではとか、身体的に問題があるのではとか。けれど、キールは知っていた。妃にと望んだ女性が、王宮の権力闘争の中で毒殺されてしまったことを。


「兄上は、リズ嬢が本当に好きだったんだ。だからこそ、守れなかった御自分を責めていらっしゃる」


 そして、自分の妃になる人物の命が消されることを怖がっている。だから、妃を娶ろうとしない。


「その気持ちは分かるけど、全部しわ寄せが弟に来るんだよなぁ……」


 キールはため息交じりに呟く。


 このままで行くと、第一王子は妃を娶らない。娶らないと、もちろん子供は出来ない。そうすると、次の皇太子は第二王子のキールということになる。けれど、これまた問題がある。

 現王と王妃の間に生まれたのは第一王子のみだった。だから、もう子宝には恵まれないだろうと思った王妃が、側室を数人連れてきたのだ。第二王子のキールの母親は身分の低い側室。そして、一ヶ月遅れで生まれた第三王子は身分の高い側室が母親だ。当然、臣下はどちらに付くべきかと真っ二つ。

 王宮の権力闘争なんて、キールには興味がなかった。だから、わざと勉強もできない無能な奴だと思わせ、皇太子にふさわしくないと言われたかった。

 でもそれを徹底できなかったのは、弟の第三王子が本当の無能だからだ。


 弟は本当に勉強が嫌いで、勉強しない。そして彼の母親も息子には激甘で、勉強しなくても怒らない。それだけでなく、どんな我が儘もきいてしまう。おかげでとんだダメ人間が生成されてしまった。結果、国聖学園に入学させるとバカなのがバレるという理由で、入学しなかったのだ。表向きは、犬猿の仲の第二王子が通っているところに行かせたくないとか、そんな理由になっているが。


「本当にバカな人間相手に、バカを競っても無駄だったな」


 当たり前のことに今さら気が付いた。でも、気が付けたのはアンナのお陰だ。

 アンナが、とてもまっすぐに人生に向き合っているのを知ったから。そしたら、わざとバカになろうとしている自分が、バカらしくなってしまったのだ。


 バカバカ言い過ぎて、なんだかバカがゲシュタルト崩壊しそうだけど。


 ポケットの中から2枚のコインを取り出す。

 実は、アンナに仕掛けた勝負は、左右どちらの手を選んだとしてもアンナの勝ちだった。つまり、両手ともコインを握っていたのだ。


 諦めずに、毎日図書準備室で待っていたアンナ。勉強させようと勝負を挑んできたアンナ。ちゃんと勝ちたいと再勝負を挑んできたアンナ。

 正直、根負けした部分はある。ここまで必死になられたら、仕方ないかなと思ったのだ。


 そしたら、アンナのとびきりの表情にやられてしまったわけだけど。


「あんなの卑怯だ」


 今までも、もしかしたら動揺してる? とか思ったことはあった。視線が不意に泳いだり、耳が赤かったり。ほんの些細な変化で、気のせいかもと流していたけれど。でも、今日のあの無邪気な笑みを見てしまったら、逆に気のせいにしたくない。

 表向きは完璧な令嬢を装っているけれど、きっと内面では大いに動揺しているに違いない、と思いたい。


 媚びを売ってくるわけでもなく、しかも美人で聡明なアンナに対して、もともと人としての好感は持っていた。けれど、恋に落ちたのは、一瞬だった。それくらい、あのアンナの笑みは破壊力抜群だった。


「年上のくせに、ずるいよなぁ。あんなの好きになっちゃうに決まってるじゃん」


 キールは再びベッドの上で、バタバタと暴れるのだった。

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