心のケアはおうち時間で...

司波和人

精神的な隠れ家

 新社会人として、ようやく1年が経過し、時が過ぎるのは、本当に早いなと感じています。

 そのような中で、仕事や資格勉強に追われ毎日を過ごしていましたが、1月中旬に、仕事が忙しくなる直前に、風邪を引いてしまいました。一応、会社の上司の方と相談し、PCR検査を受け、コロナは陰性だったこともあり、休みを頂きつつ、仕事をしていきました。

 それから1週間前後で、風邪自体は良くなりました。しかし、夕方ぐらいになると、急に喉の調子が悪くなる時があり、困惑したことを鮮明に覚えています。また病院で行くのも嫌だった私は、様子を見ていましたが、1週間経っても治りませんでした。しかし、この症状は、家に帰ると、今までが嘘のように改善されていくことが分かった時に、私は、ストレスが原因なのだなと思いました。


 おうち時間というのは、社会人にとっては、就寝を除けば、短いものです。しかし、食事しながら家族と会話したり、自分の好きな音楽を聴いたり、動画を視聴したりすることで、夕方(もしくは、夜)まで溜め込んだストレスを開放し、自分と向き合うことができます。学生の頃は、学友とゼミ室でワイワイと遊ぶことが多く、家は、就寝するための場所にしかなっていませんでしたが、今では、このおうち時間が貴重なものだと考えています。


 私の場合、家で資格勉強をしながら、合間に動画を見たり、音楽を聴いたりして生活習慣を乱さないように心がけていました。それでも、この喉の調子は、一か月くらいは、治りませんでした。今も、ふと思い出したように調子がおかしくなりますが、以前に比べたら、だいぶ改善されました。


 こういう経験をすると、このおうち時間が、「精神的な隠れ家」という感じがしてきてなりません。建築では、「家」というのは、人が生活するときの最小単位だと、よく聞きます。自分を外界から遮断してくれる空間、自分に近しい人間にしか曝け出せないことができる空間ということなのではないかなと個人的には考えています。建築士は、この空間を設計するのにとても苦労します。なにせ、使う人がかなり限定的になるうえに、何十年も使い続けるわけですから。また、最近は、環境のことも気にかけながら設計することが多くなり、「家」という最小単位でありながら、地球規模の話をする上で、欠かせないものとなってきました。


 大学時代に設計実習も指導をしてくださった教授は、ある時に、「家を設計するのは、事務所や公共建築を設計するよりも難しく、一つ一つの寸法を事細かに設定しないといけない。」とおっしゃていました。当時は、そのようなものなのかと漠然としか聞いていませんでしたが、人が生活する家、そしてそこで紡ぎだされる時間を設計するとなると、かなり難しいことだと思います。

 自分は、まだまだ新米で、偉そうなことは何も言えませんが、このおうち時間を大切にできる家、建築物を設計できる人になりたいと思いながら仕事をしています。まずは、下積みを経験しつつ、一級建築士という資格を取得して、より多くの建築物に触れていきたいと考えています。


 皆さんもぜひ、おうち時間を有意義にお過ごしください。最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 

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