第2話 もういっちょう、ヒロイン登場

 彼女は、絶賛父親に反抗期中、ショート君の双子の妹、イモちゃんです。

 エンジ色の短パンに、なぜか我が海碧屋の紺色のTシャツを着ています。襟ぐりが大きいし、そもそも彼女にTシャツをあげたことはなかったのにな……と思っていると、「ああ。これ、お兄ちゃんの」という案の定の返事が返ってきました。

 父親が、尋ねました。

「ショートは?」

「高校野球、見に行ったよ」

「……目の前のテレビに映ってる番組、高校野球じゃないの? まさか、今から飛行機に乗って、甲子園球場に行ったとか?」

「アホなこと、言わないでよ。もっと大きなテレビで見たいからって言って、友達ん家に行ったのよ。てか。私の質問に、答えてもらってないけど」

 てれすこ君が答える前に、青梅さんが自ら自己紹介しました。

「あなたが保育所通いしていた時分から、久しく会ってないから、覚えては、ないか。私、青梅だよ。昔々、ブランコに乗ったあなたの背中を押したりして、遊んであげたの、覚えてない? すっかり大きくなっちゃって。姉がちょっと前に女川に来たりしてたでしょ、ショートのことばっか言うから、すっかり忘れてたわ」

 てれすこ君が、丸めた座布団によっかかったままのイモちゃんに、挨拶を促しました。

 勝手知ったる友の家、私は冷蔵庫を漁って、家主とその客に麦茶をふるまいました。

「……こんにちは、青梅おばさん」

「オバサン、じゃなく、お姉ちゃんでしょ」

「10歳以上年上だったら、立派なオバチャンじゃない。それに、ちゃんとしたお姉ちゃんは、男子中学生にちょっかいを出そうとはしないものですっ」

「まあ。かわいくないわねえ。ねえ、れてすこのオジサン、イモちゃん、なんで、こんなにグレちゃったの?」

「グレてなんか、ませんけど」

 困ったてれすこ君が、助けを求めるように、私の顔をチラチラ見てきます。

 しかし、私とて、この勝気な女の子が……いや、普段は愛嬌たっぷりなのに、兄のことになると目の色を変えるイモちゃんのことが、苦手なのでした。

「グレるっていうより、ブラコンをこじらせているだけだと、思いますよ」

「もー。ロクにお給料をくれない社長さんは、黙ってて」

「……はい」

 てれすこ君が、ゴクゴクとノドを鳴らせて、麦茶を飲み干しました。

「こら。そんなこと言っちゃダメでしょ、イモちゃん」

「いいんだ、てれすこ君。皆の働きにじゅうぶん報いてあげられてないのは、事実だから」

 それに、実は、お給料を大幅にアップさせると、イモちゃん自身が困ってしまう、という話もあります。

 私の婉曲な言い回しに、青梅さんは首を傾げました。

 父親相手に四の五の言い始めたイモちゃんが、私たちに注意を向けてないことを、確認しました。

 私は、イモちゃんの熱烈な兄妹愛の一端を、語ることにしました。

 ええっと。

 ちなみに、高校野球は、3回裏、宮城代表・仙台育英が一点リードされている場面でした。


 それは、およそ二週間前の出来事です。

 深刻な顔をしたショート君に、二人だけで話がしたいと相談されました。

 私は例によって彼をイオンのサイゼリアに連れていき、ドリンクバーをおごりました。

「私と君の仲だ。前置きはいいから、単刀直入に、ね」

 年上女性にはモテてモテて仕方がない少年ですが、私に恋愛相談に来たことは、ありません。懐が寂しくして、何かアルバイトをくれ、という依頼ならしょっちゅうのことで、こうして改まってのお願いというのは、ヘンです。あえて私に相談なら、父子仲が上手くいってないからかな、と思いましたが、そんなこともないようです。

 彼の口から出てきたのは、意外なお願いでした。

「宿直室とかに、使い古した布団とか、置いてませんか? 捨てる寸前のでかまわないんです。急遽、必要になっちゃって」

「友達と、秘密基地でも作るとか?」

 ショート君は、苦笑して、言いました。

「いえ。そういうのじゃ、なくて。普通に、家で寝るのに使います」

「それなら。わざわざ古いのを使わなくとも。布団なんて高価なモンじゃないし、私のポケットマネーで、新品をちょっくら買ってあげよう」

「いえ。それでは、ダメなんです」

「古いのがダメで、新品ならいいっていうのなら、分かるけど。お客さんが来たときとか、古いと困るしね。でも、その逆って? ショート君、布団、自分で使うんでしょう?」

「今までは、子ども用のを使ってました。小学校の時からのです。でも、最近、背が伸びて、敷布団から足が出るようになっちゃって。ウチではイモちゃんが財布の紐を握ってるから、相談してみたんです。そしたら、一昨日の粗大ゴミの日に、僕の布団、捨てられちゃって。文句を言ったら、今日から私と一緒の布団で寝ましょうって、言い渡されちゃって」

「イモちゃんの布団は、子ども用のじゃ、ないんだ」

「イモちゃんのは、昔、母が使ってたヤツなんです」

 幼稚園児じゃあるまいし、さすがに中学生になって同じ布団ってマズくない? とショート君は言いましたが、イモちゃんはていよく無視したとか。

 それでも彼が「新しいの買って」と食い下がると、イモちゃんは、父親の稼ぎの少なさ、ひいては海碧屋の給与水準の低さをあげつらったということです。

「面目ない」

「あ。いいえ。それに、父さんの給料を上げてくれたところで、たぶん、イモちゃん、すぐに布団を買ってくれるような感じでも、ないですし。優先順序が低い、とか言って」

「優先順序?」

 ショート君自身、新聞配達等のアルバイトで稼いでいて、その大部分を家計の足しにと、父親に預けています。自分の稼ぎで自分の布団を買うのは構わないだろう……とショート君は妹に提案してみました。

「ダメよ」とイモちゃんは、にべもなく断ったそうです。

「二言目には、その、優先順序うんぬん、ていう言葉が出てくるんですよ」

 電気・ガス・お家賃に水道費、学校の給食費に修学旅行の積立。その他、その他。高校受験の時期になったら、塾にも行きたいし、参考書・問題集のたぐいもキチンと揃えたい。現実の生活費と、将来に備えた貯金の必要性を考えれば、布団なんて、ずっと後回しだ、と。

「なるほど。イモちゃんの言い方にも、一理あるか」

「だから……社長が布団を買ってくれる、とか言うなら、イモちゃん、たぶん、それなら現金でくれ、とか言い出しそうです。来月のオコメを買う足しにするから、とか何とか」

 そもそも、てれすこ君家の家計が、こうもひっ迫しているのは、私の不甲斐なさが遠因なのでした。イモちゃんがダメと言えば、強く反対できないな……と思った私でした。

「残念だけど、布団、先月、新しいのに入れ替えたばかりでね。次の買換えがあるとして、5年6年先の話だよ。まー、一緒に寝るっていっても相手は妹なんだし、多少窮屈なのは我慢して……」

「いえ。実は、布団だけの話じゃ、ないんです。パジャマも……」

 小学6年の時に買って以来、更新していないパジャマも、ショート君の成長に合わせて、既に窮屈になっていました。ボタンははちきれそうになり、肩の縫い目が破れそうにパツパツになっている、と言います。

「パジャマも買い換えたいんだって相談したら、買うオカネがないから、今後は裸で寝るようにって……」

「えっ」

「Tシャツとか、昼間着る服をパジャマ代わりにすると、服の痛みが激しくなって、買換えサイクルが速くなるから、それもダメって言われました。今は夏だからいいけど、冬になったら、どーすんだよって文句を言ってみたら、同じ布団で寝てるんだもん、抱き合って寝たらいいじゃない、とか、真顔で言い出して……」

 言い出すだけではなく、イモちゃんは、実際すっぽんぽんになって、ショート君の横にもぐりこんできたのだそうです。

「すごいなあ。いくら妹だからって言って、同い年の女の子が隣で裸で寝てちゃ、眠れないでしょう」

「まあ、そうです。わざとらしく、抱き着かれたりするんで。裸自体は、慣れてるっていうか……」

「えっ。慣れてるの?」

「別々にフロに入ったら、ガス代がもったいないとか言って、僕がフロに入ってると、後から一緒に入ってくるんですよ。最初のうちは追い返しもしましたけど、最近は根負けしてます。風呂上りも、クーラーや扇風機で涼むのは電気代がもったいないとか言って、すっぽんぽんのまま、部屋でウロチョロしてますし。汗が引っ込むまでだって言うけど、結局、布団に入るまで……いや、裸のまんま布団に入ってくるから、翌朝、朝食を作るまで、イモちゃん、裸のまんま、です」

「それ、ひょっとしたら、確信犯?」

「かもしれません。単なる倹約家だと思ってたけど、倹約は口実なのかなって、最近思うようになって」

「というと?」

「……お兄ちゃんも年頃の男の子だから、彼女の一人や二人、欲しいかもしれない。けど、実際に男女交際なんてするようになったら、オカネがかかって仕方がないだろう。だったら、手近なところで間に合わせたら、いい。私なんて、どう? 私がガールフレンドになってあげる。自分で言うのもなんだけど、結構かわいいし、中学入学以来ラブレター6通もらったくらいのモテモテだし。女子にしては少し背が高いのが玉にキズだけど、お兄ちゃんを追い越してるわけじゃないから、いいよね。私と交際すれば、オカネもかからないし、いつでも一緒にいられるし、なにより双子の兄妹なんだから、相性もバッチリだよって……言われて」

「それ、イモちゃんの冗談か何かじゃ、なくて?」

「多分、本気です。お風呂でも、風呂上りでも、すっぽんぽんのまんま、口説くんですよ。目のやり場に困るから、話なら服を着てからしなよ……とか牽制すると、妹で恋人なんだから、遠慮しないで好きなだけ見なよ、とか言われちゃうし」

「で? ショート君、OKしたの?」

「断りましたよ、もちろん。兄妹でそんな関係になっちゃ、いけないんだよって。そうしたら、前世の約束を反故にした、とか逆ギレされて」

 江戸時代の迷信に、男女の双子は、前世で心中した恋人同士が生まれ変わってきた結果だという「畜生腹」という迷信があり、どうやらイモちゃんは、それを逆手にとった様子。

「彼女、ヘンなところで、博学だねえ」

「裸だけでは、なびかない、と思ったんでしょうか。最近は、第2弾、仕掛けてきて」

「第2弾?」

 ショート君家のお風呂は、身体を洗うときスポンジを使うそうですけど、今のを使いきったら、お金がないから、新しいスポンジは買わない、と宣言された、とか。

「今後はお互いで、手洗いでねって、ニコニコしながら言うんですよ。歯ブラシ、箸もそう。古くなったら、同じ歯ブラシ使おうとか、私がアーンしてあげるから、一緒に箸で食べようね、とか……最近、イモちゃんが、ちょっと怖くて」

「家でそれなら、学校でバレない?」

「バレるも何も、半ばクラス公認みたいになってます。みんなして、面白がってイモちゃんを焚きつけるんです」

「ショート君。そこまでイモちゃんがエスカレートしてるなら、相談相手、間違ってないかな? 私より、学校の先生とか、てれすこ君とか……」

「先生は、既に言い負かされてます。父さんの薄給から始まって、僕やイモちゃん自身がアルバイトまでして家計を助けてる事実を告げると、なかなか反論できないみたいで。理詰めで泣かされてから、腫物を触るような扱いで」

「てれすこ君は?」

「父さんは、今のところ、頑張って反対してくれています。家で火花を散らしています。イモちゃん、なんとか父さんを家から追い出そうと、画策してるみたいで。僕は、僕自身でできることを、したい。で、社長に古布団を頼みに来たんです」

 イモちゃんは、重度のブラコンではありますが、どうやらファザコンの気は全くない様子。

「お風呂の話の続きです。ガス代節約のために、イモちゃんが僕の入浴中に乱入してくる話、しましたよね。いくら兄妹だからって言って、さすがに中学生で一緒にお風呂はマズイから、学校では内緒にしてねって頼んであったのに、友達の誰かれかまわず、イモちゃん、話しちゃうんです。しかも、いつだったか、スポンジを隠されてしまって、仕方なく手洗いしたことがあったんですけど、その時の話……繰り返し、繰り返し……胸とかお尻とか、お兄ちゃんに手洗いしてもらった時、サイコーだった、とかベラベラ……お陰で、男子たちにはつるし上げを食らうし、女子たちには白い目で見られちゃうし、学校ではさんざん肩身の狭い思いをしたんです。だから、僕のほうにだって、逆ギレする権利はあるよねって思って、イモちゃんに一発かましました。そんなにガス代を節約したいんなら、今度は父さんも一緒に入浴しようって。3人でなら、沸かして入って、すぐにボイラの火を落とせばいいんだから、今より劇的に倹約になるよって」

「まあ、正論だね。で、イモちゃんの反応は?」

「キッモッチッ悪いっ。お兄ちゃん、バカじゃないの……です」

「イモちゃん、口が悪いなあ。てか……兄なら入浴どころか手洗い、大歓迎なのに、父親だと激しく拒否なのか」

「父さん本人だけじゃなく、衣服も憎たらしいらしくって。洗濯する時、父さんのだけ別々にして、パンツなんかは箸でつまんで洗濯機に放り込むんですよ」

「いくらなんでも、そりゃ、ヒドイなあ。じゃあ、ひょっとして、衣服についても、ショート君のは正反対な扱いなわけ?」

「ええ……。僕が洗濯を頼んだはずのシャツとか、なぜか洗わずにイモちゃんが着てることがあって、不思議に思ってたら、身体全体がお兄ちゃんの匂いにつつまれた感じがして、心地よい、とか何とか」

「中学生の女の子のセリフじゃ、ないなあ」

「極めつけは、僕のパンツの洗濯です。いつだったから、見ちゃったんです。洗濯前の僕のパンツに顔を埋めて、クンカクンカ、しているところを……」


 私が話終わった時、試合は5回裏で、仙台育英は同点に追いついていました。打順はキリよく一番から、チャンス回っぽいので、目の前の父娘の修羅場より、素直に野球観戦を楽しみたい気分だったのですが……。

「ねえ、イモちゃん。事情は聴いたわよ」

「何よ、青梅オバサン」

「そう、邪険にしないでよ。私、確かに美少年が大好きだけど、あなたのお兄ちゃん、取りはしないわよ」

「……何が言いたいのよ」

「私、美少年だけじゃなく、実は美少女も大好物なのよ」

「だから、何?」

「美少年と美少女がイチャついてるのを見るのも、好き。それが実の兄妹だったりしたら、甘美でいいわねえ」

「ふうん。続けて。事情によっては、味方にしてあげても、いい」

「上から目線ねえ。うまくいったら、成功報酬は、身体で払ってもらいたいんだけど」

「お兄ちゃんの、カラダ?」

「当たり前じゃない。ね。ね。ちょっとシェアしてくれるだけで、いいからさ」

 我慢ならなくなったてれすこ君が、とうとう横から女子2人の会話に割り込みました。

「青梅ちゃん。未成年の女の子相手に、何、よからぬこと、吹き込んでんのっ」

 青梅さんの代わりに、イモちゃんがキッと父親に向き合います。

「ちょっと、父さんは黙ってて。女子だけのガールズトークに男が無断で混じってくるなんて、いくら父親でも、デリカシー、なさすぎ」

「ガールズトークって……イモちゃん……」

 青梅さんは青梅さんで、目の前のてれすこ君が透明人間になってしまったかのように、傍若無人に情報収集するのです。

「ねえ、ショート、もう毛が生えたの……ほう……皮は剥けた?……なるほど、なるほど……パンツは、トランクス派? ブリーフ派? はたまた、ボクサーパンツ?……へえ……」

 ああ。ショート君。

 どうやら君の辞書に、プライバシーという文字はないようだ。

「ちょっと、青梅ちゃん。やり過ぎだ。海碧屋さんも、黙ってないで、止めてください」

 しかし私は、その刹那、イモちゃんから殺意のたっぷり込められた視線を向けられ、すくみました。蛇に睨まれたカエルです。

「てれすこ君」

「はいっ」

 そんなに、嬉しそうな返事、しないで。

「私、高校野球の続きが気になるから、いったん工場に戻ってテレビ見るよ。修羅場とこの試合が終わったら、話の続きをしましょう」

「かーいーへきやーさーん」

「ふっ。さらばっ」

 こうして私は友を残し、敵前逃亡したのでした。

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