第21話 集結
西町奉行所に惣兵衛が来たのは、岡部がもどってすぐのことであった。
茶を飲もうと、急須の茶葉に湯を入れたところで惣兵衛から、
『女を誑かす徳兵衛なる男、町中を至急取り締まれ』
などと意味深な報告が来たものだから、岡部はたちまち騒ぎだし、茶どころではなくなった。
「無慚がそう言うたんか」
「草木が言うたんやて」
「ム、…………」
「くわしいことは無慚に聞いてや。俺はとかく、はようにこれを伝言するお役目やからな」
「かたじけない。が、しかし──この町に徳兵衛などという名の男は」
「そら、騙ってはんのやろ。のちのちころすと決まっとる女の前で本名名乗ったら阿呆やわ」
「ウーム。そうか、徳兵衛というヤツは女をまず誑かすのだったな──それからころすと」
「イヤイヤ。徳兵衛はころさへんのやて」
「なっ?」
岡部がガクッとつんのめる。
言うたやろ、と惣兵衛は涼しい顔で肩をすくめた。
「徳兵衛は女を誑かすんや。ころしは別。いや、おんなじかも知らんけど、とにかく徳兵衛はころさへんそうや」
「分からん──分からんぞ……!」
「ま、無慚に聞いたら分かるやろ。ほな俺はこれで。明日の仕込みもせなあかんし──」
「待て惣兵衛」
「うん?」
「明日はいよいよ下手人探しや。店なぞ開いとる場合か」
「あ??」
「こうしちゃおられん。同心仲間にも取り締まりを徹底させねば。ちょ、ここで待っとれ。そこの茶ァでも飲んどれ」
というや、岡部はさっさと奉行所の奥へ引っ込んでしまった。待てと言われたら帰るに帰れぬ。惣兵衛は仕方なく急須へ手をのばす。湯呑みに注ぎ、すっかり渋くなった茶で一服した。
半刻が過ぎたころ。
一向に戻らぬ岡部を待つうち、いつの間にか惣兵衛は、胡座をかいたまま微睡んでいたらしい。不意に感じた頬の痛みに目を開けると、無慚が近い距離でこちらを覗き込んでいる。
「ぅわっ」
「こんなとこで何してる」
「そ、そらこっちの科白や。なんや無慚。自分けっきょくここに来よるんやったら、俺がわざわざ来る必要なかったやんか──」
「事情が変わった」
「えェ?」
ふと。
頭が冴えてくるなり、いろんなことに気が付いた。まずはおのれの右膝が妙に重たいこと。視線を下ろすと、泥まみれの泰吉が惣兵衛の膝を枕に寝こけている。
さらには、奉行所内が騒がしいこと。バタバタと駆け回る音、飛び交う怒号。何かが起きたことは明白だ。なにがあったんや、と無慚を見ると、彼は険しい顔でおのれのふところをまさぐった。
取り出したのは一振の短刀。
それを惣兵衛の鼻先につきつけ、見ろと言わんばかりに顎でしゃくる。
妙に土臭いそれを手に取ってみる。漆塗りの鞘に刻印された小桜紋。記憶力に自信のある惣兵衛には、旧友の言いたいことがすぐに分かった。この短刀には見覚えがある。
「無慚、これは」
「そうだ。あのときの短刀だ」
「こ、こんなんどうしたんや。あれは──娘の形見やいうて、あの親御さんどもが持っていったはずやで」
「そうだよなァ。おれの記憶違いかもしれねえと──物覚えのいいテメエなら分かるかと思ったが。やっぱりそうよな」
「というか、なんや妙に土臭いでコレ。それにこの……なんやこの臭い」
「つい今しがたヤスとともに、畜生どもの墓を掘ってきた。その土中に捨て置かれた腐りかけの人骨が、胸元に忍ばせていやがったんだよ」
「……それをはよ言え」
と、惣兵衛は短刀を無慚へ投げ返す。
しかしいまのことばは無視できぬ。土中に捨て置かれた人骨だと。つまりそれは、いつか埋められた遺体という意味であろう。
おい、と惣兵衛が眉をひそめる。
「どういうことや。まさかその骨が、あの娘はんに関わりのあるだれかっちゅうことが言いたいんか」
「言いてえもなにも、そうとしか考えられねえ。まだところどころに肉がついちゃいたがね、やっぱり目玉は先に抉り取られていたようだ」
「ま、まさかそれも?」
「ああ。水茶屋のおけいが一人目なんかじゃねえ。本来はこっちが一人目だったんだ」
「えらいこっちゃで──あ。せやからさっきから所内がバタバタと騒がしいんか」
「それは知らねえよ。おれもついさっき来たばかりだ、まだ岡部のクソとも会ってねえ」
「また」惣兵衛が呆れ顔をした。
「クソとか言わへんの。あの人もな、一所懸命同心としての仕事を──」
言ってる最中のこと。
この部屋の襖がスパンッと開いた。
肩をびくつかせた惣兵衛と、その音と振動で飛び起きた泰吉、最後に無慚がぎろりと部屋の入口を見る。
襖を開けたるは、息を切らした岡部曾良。
彼は蒼白の顔でさけんだ。
「本間米屋の娘がさらわれたッ」
と。
※
岡部は消沈している。
無理もない。つい先ほど、自分が家まで送り届けたばかりである。お辞儀とともに見送られた彼女の笑顔が、いまも目に浮かぶ。
奉行所内は、本間米屋の娘こいとについて、すっかり死んだと見なして四人目の被害者が出たと騒ぎ立てる。どうやらこいとの不在を不審におもった本間屋主人が、わざわざ奉行所までやってきたことで発覚したらしい。
聞かせろ、と無慚は冷静につぶやいた。
「岡部は家まで送ったのだろ?」
「無論や。家の前まで送り届け、彼女がお辞儀をするのを背にここへ戻った。あのあと彼女がふたたびどこかへ行かぬ限りは、さらわれることなど考えられん」
「逆を言やァ、そン娘がそのまま家に入らずふらりとどっかへ行ってもうてたら、その後は預かり知らんっちゅうことやな!」
と。
泰吉は右腕を枕に、身を横たえた格好で言った。それはそうだがと口ごもる岡部。
「しかし危険だと言われとるこの状況で、そない軽率なことをする娘には思えんかったぞ」
「おめえさんの眼は、娘相手になると途端に曇るからな。当てにゃあならねえが──しかしあの娘ならば、おれも同意見だ。……いっしょに帰った三郎治はどうした?」
「さ。三郎治か──そうだ。三郎治はどうしたろう。最後本間米屋の前で別れたゆえその後は分からぬ。野田村に行って確認せねば! よもやふたり同時に拐われるなどあるまいなッ」
「…………」
部屋を飛び出そうとした岡部。
すかさず無慚がその襟首を掴んで引き留めた。それから襖を半分開けて、岡部を畳に座らせる。
「む、無慚!」
「落ち着け。まもなく報告がくる」
「な。……」
と。
文句を言いかけた岡部の口が閉じる。
視線は、自身を見下ろす無慚の足元。半開きの襖からひょこりと顔を出した一匹の猫が、クルルルと喉をならし、一歩部屋へ入ってきた。薄汚れて本来の毛色は分からぬが、いつも無慚にひっついていた黒猫ではないらしい。
まさか、と惣兵衛が卓に湯呑みを置いた。
「あの蕎麦屋か」
「首。紐括ってらぁ!」
「紙が結ばれとるぞ。なんて書いてある」
やんやと騒ぐ野郎どもを抑え、無慚が代表して紙をとる。ちいさく折りたたまれたそれは、みなの期待に反して白紙だった。
が、無慚はすぐに燭台の火で紙を炙る。
じわじわと浮かび上がる文字に、泰吉はヘェッとすっとんきょうな声をあげた。
「なんやこれ」
「大豆汁で書いたんだろう。乾くと見えねえが、こうして熱を加えるとまた出てくる。忍の情報伝達法としての基本だ」
「はえェ。さすがの勤勉家やな──それでなんて?」
「…………」
無慚はさらりと目を通すや、すぐにそれを燭台のなかへ投げた。紙はたちまち火に燃され、屑と化す。
それから膝をつき、おもむろに猫の首をぐりぐりと撫ではじめた。その首がわずかにかしげている。どうやら、声を聞いているらしい。
「ようし。いいぞ」
尻尾を掴んだ、と。
無慚は野良猫をひと撫でし、ゆっくりと立ち上がった。
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