第8話 三郎治とこいとと

 おいでやす、と、ふなの声が通りに響く。

 年の瀬を迎えた御堂筋は慌ただしく、おのおの年を締め、年始をむかえるための準備に追われて、団子屋には目もくれずせかせかと前を通り過ぎてゆく。たまに立ち止まる者といえば、ふなの人柄ゆえ彼女に惹かれる人間が小話を吹っ掛けるときくらいのものだ。

 いまも髭の濃い男がふなのもとへ向かう。

 シャン、と音が響いた。

 わざとらしく鳴らした無慚の錫杖である。鼻の下を伸ばしてふなの腰に手をまわした男が、びくりと肩を揺らす。音のした方に無慚のすがたを確認するや、チッと舌打ちをしてそそくさと去っていく。ふなが吹き出す。

 無慚は、去りゆく男の背を見届けながら言った。

「邪魔したか」

「一丁前なことしてくれはるやないの。おおきにね、どうぞ入り──あら」

 はたとふなの目線が無慚の背後に留まった。

 なんと意外な組み合わせか。そこには、こそりと身を隠すように肩をすくめるこいとのすがたがあった。

「無慚アンタ、逢瀬に白昼堂々の団子屋は……」

「お、おふなさん! 変なこと言わんといて!」

「そうだふざけたことをぬかすな。こんなガキこっちから願い下げだよ。それより治郎吉んとこの三郎治、来とるか」

 と、店のなかを覗く。

 すがたはない。どころか、ふなの店にしてはめずらしく閑古鳥が鳴いているらしい。待ち合わせをしていると告げると、衝立でさえぎられた奥座敷へと通された。

「なーんや。三人で会うんか、あーびっくらこいた。三郎治て野田村のやろ。そない仲良かったん」

「仲が良いってほどでもねえがな。それよりおふなが三郎治のこと知ってるのは意外だぜ」

「あらァうふふふ。そらもうアンタ、あの色男やもん。かいらしい女の子がぎょうさん恋相談しにきはるんよ。たまにご本人もお団子食べに来るしね、うわさもよう聞いてます。ねえこいとちゃん」

「しっ……知りまへん!」

「ほう」

「なんやの!」

「うふふふふ。あ、せやお汁粉出したろ。きのう多めにもろたさかいに」

「ふん」

 座敷にあがる。

 錫杖と網代笠を壁に立てかけてあぐらをかく。こいとは頬を染めて、無慚の向かいに腰を下ろした。彼の一挙手一投足を監視するためらしい。その視線がうっとうしくて、無慚は濃紺の暖簾がかけられた入口へ目を向ける。矢先、視界の端に黒いものが動いた。

 なんだ、と無慚が片眉をあげた。

「まァたオメーか」

「にゃーあ」

 本間米屋の黒猫、コテツ。

 彼はしなやかな身体をぐっと伸ばして座敷へあがると、躊躇なく無慚の懐へとおさまった。飼い主のこいとがいるにも関わらず、である。黒猫のやわらかい毛が無慚の腹の傷をくすぐる。身をよじると、奥から汁粉を持ってきたふなは「まあかいらしい」と無慚の懐を覗き込んだ。

「アンタの猫?」

「本間米屋のだ。昨夜、すこし恩を売ったらなつかれた」

「本間米屋て言わんと、うちはこいとどす!」

「あいかわらず人間以外には好かれはるわね」

「なかなか賢い猫だぜ。よほど米屋の娘がすきらしい」

「こーいーと!」

「あら、かいらしい猫さんやないの──」

 と。

 ふなが言った瞬間、暖簾が揺れた。

 無慚のするどい視線がそちらを向く。とらえた視界には昨夜の夜闇のなかで見た三郎治のすがたがあった。彼はすこし息を切らして暖簾をまくっている。

「無慚さま!」

 もう来てはった、と座敷に駆けくる三郎治。

 彼を見るやこいとはキャッと飛び上がり、あわてて無慚のうしろに駆け込む。なんだなんだと目を丸くする三郎治。しかしふなはひとり、

「三郎治はんおいでやす」

 としたり顔で頭を下げた。

「あ、おふなさんどうも」

「おい。コイツにも汁粉持ってきてやってくれ」

「はいはい。どうぞごゆっくり」

 ふなが店奥へとひっこんだ。

 無慚のふところで黒猫が動く。だれだ、とわずかに顔を出し、三郎治の顔を見た。黄色い瞳はしばらく彼を観察し、またいそいそと懐の内へ引っ込みうたた寝をはじめる。どうやらこの猫、猫なりに人間の品定めをしているつもりらしい。

 結果、三郎治は許容されたようである。

 呼び出してわるかったな、と無慚は似合わぬ笑みを顔に張り付けた。

「とんでもない。俺はもう、てっきり無慚の兄貴はもう二度と国には戻らん思てたさかい。ゆうべ会うたときは、化けて出たんかと」

「ハ。化けてまで帰ってきてえトコでもねえ」

「す、すみません。それで──その、うしろにいてるんは、本間さんとこのこいとちゃんか?」

「アッ」

 こいとはポッと頬を染めた。

 ふたりのようすを見て、無慚はオヤと口を曲げた。どう見ても丑三つ時の逢瀬を企み合うような深い仲ではない。こいとは三郎治を前に舞い上がっているようだが、三郎治はというと困惑の混じった微笑を浮かべたまま喋らない。

 その関係性を裏付けるように、三郎治はこいとに対して「どうも」とそっけなく頭を下げると、無慚に向き直った。

「ところで無慚の兄貴。ここ十年の旅の土産話、聞きたいです」

「それはこっちの用件が終わってからだ。言ったろう、てめえに聞きてえことがある」

「ハイ」

 彼の瞳が爛々とかがやく。

 この熱量の高い視線を見て、ひとつ思い出したことがある。

 こいつの眼。

 無慚はむかし、この弟分の熱視線が苦手であった。この、片時も離れぬ期待に満ちた瞳が、みょうに自分を居心地わるくさせたものだった。とはいえむかしに比べると、泰吉が嫌がっていたような陰湿な目つきは影もなく。

 この十年で彼もずいぶん変わったのだと実感させられる。

 下船場の、と無慚は唸るようにつぶやいた。

「淡路町筋にある水茶屋に娘がいたろう。おけいって名ァだ。おめえ知ってるそうだな」

「はあ」

「そのおけいが先日何者かにころされた。知ってるかい」

「もちろんです。あの、目玉のころし──辰巳屋のとこで死んでいたと聞いとります」

「そうだ。おれァいまちっと訳ありで、その下手人をさがしてる。とりあえず娘たちについて知る人間に聞いてまわっているんだが、そのなかで、おめえがおけいのことを知ってると聞いた。いろいろ聞かせてもらいたくてな」

「兄貴が、そない岡っ引きの仕事を」

 と、三郎治は目を見ひらいた。

 おなじく、となりに座るこいとも意外そうに無慚を見つめる。

 まもなくふながお盆に汁粉を載せてやってきた。無慚はちらとふなを見て、おどけたように肩をすくめる。

「実入りがよくてよ。なんせこの国の人間はみな非情でな、托鉢なぞ話にならねえのさ。そんなおれからの汁粉だ。ありがたく食いな」

「ほんまですか。なんや申し訳ない、ありがたくいただきます」

「やったァ。いただきまーす」

「こら米屋。おめえは自分でついてきたんだから、手前ェで払いな」

「エーッ!?」

「さて三郎治、おめえの知ってること洗いざらい吐いてもらうぜ」

 にんまりとわらったのち、無慚はふなに(下がれ)という手ぶりを向けた。ことのほか真剣な表情を見て察したようだ。彼女は「ごゆっくり」と頭を下げて静々と店奥へとひっこんだ。

 無慚は切れ長の瞳を細めて、三郎治を見る。

「おけいとはどういう関係だった」

「どういう──とは」

「いい仲だったとか、そういうのはねえのかよ」

「エッ」

 こいとの声が絶望する。

 しかし三郎治は「いや」とあわてて首を振った。

「俺なんかなんも! 水茶屋の娘とただの客です。客言うたって、二、三度行ったくらいで。なんや丸っこくてかいらしいとかで若い衆のなかでよう話は出とったけども。俺は──そういうん、あんまり得手ちゃうんで」

「おけいに男がいたって話は聞いてるだろ。だれが言ってた?」

「それは……弥市が言うてたかな。若い衆仲間です」

「────」

 おもむろに無慚がおのれの懐をまさぐる。

 にらみつける視線の先には、黒猫がいる。ぐるぐると鼻頭にシワを寄せて無慚の膚に爪を立ててひっかくのである。さすがの無慚も素肌をひっかかれたらたまったものではない。いてえな、と苦言を呈すると、猫はしぶしぶ丸くなった。

 本間さんとこの黒猫ですねと三郎治がわらう。

「コレのことはいい。それよりあとふたりの娘たちについても聞いた話はねえか。九郎右衛門町の新米芸妓と北堀江の青物屋娘」

「ああ。たしか──芸妓の長浜と、とみ子ちゃん。ふたりに関しても俺より弥市のがくわしいとおもいます。すんまへん、なんのお役にも立たれへんで」

「そうかよ」

 無慚は落胆の情をあらわにした。

 表情こそ悲痛だが、内心はそれほど痛くもない。しかし三郎治は無慚以上に悲痛な顔をして「すんまへん」と卓に額をつけてあやまっている。

「ほかに分かることやったら、なんでもお教えできるのに」

「じゃあ聞くが──昨夜の丑刻、なにゆえあんな場所にいた?」

 と。

 問いかけると三郎治はきょとんとした。期待以上の反応を返したのは、となりで汁粉を頬張っていたこいと。ワッとちいさくさわいで無慚の背中をバシバシ叩く。その衝撃で懐の内でくるまっていたコテツがビクッと身をふるわせた。

「オイ、本間米屋。いてえ。うるせえ」

「こいとやってば!」

「昨夜も申し上げましたが、仲間たちに肝試しやるぞと呼び出されたんです。結局待てど暮らせど来おへんさかい、あいつらの悪巫山戯やったんやろうと思うて帰ったんですが──なにかあったんですか?」

「いや。……」

 ちらと無慚がこいとを見る。

 彼女は首元まで真っ赤に染めて「それ以上は言うな」と言いたげに、必死な形相で首を横へ振っている。どうやら昨日の逢い引きは三郎治に懸想するこいとの企みだったようだ。大方、野田村の若い衆にたのんで、三郎治をひとり呼びだしてもらったとかそんなところだろう。

 これまでの三郎治を見るかぎりでも、女人に対しての興味がいまいち薄い。これほどわかりやすいこいとの気持ちにさえまったく気づくようすはない。これは憶測だが、これまでのこいとからの再三の仕懸けも、むなしく空振りに終わってきたに違いない。

 なるほど、と無慚はため息をついた。

「こいつはたしかに罪つくりだぜ」

「え?」

「いや。まあいい、よく分かった。ならその弥市って青二才にも会うてみらァ」

「それなら俺もともにゆきますよ! 昨夜のことで文句のひとつも言いたいし」

「な、ならばこいとも、ともに参りますッ」

 こいとが立ちあがった。

 その勢いに三郎治がたじろぐ。また余計なことを──と無慚は眉をしかめ、彼女の袖をくいとひっぱり座らせると、三郎治に聞こえぬよう声をひそめてささやいた。

「昨夜のことならおれが弥市とやらへうまく云っておいてやるから」

「いいえッ。これはむしろ好機到来、無慚さまをだしに使わせていただきます」

「…………」

「あ、あのう。こいとちゃんは兄貴とどういう」

「べつにどういうも何も」

「無慚さまの岡っ引き仕事をお手伝いさせてもろてるんです!」

 こいとはドンと胸を叩いた。

(ハァ?)

 と無慚はこいとを睨みつけるが、彼女は卓の下で、胡坐をかく無慚の太腿を袈裟のうえからつねっている。三郎治はというとこの会合がはじまってから一番の大声で「ええなあ!」とさけんだ。さらには、

「ほんなら俺のことも仲間に入れてくださいよ」

 と無慚に詰め寄る始末。

 冗談じゃねえ、と軽くあしらう無慚をドカッと押しのけ、こいとはぐっと卓へ身を乗り出した。

「もちろんですとも! ねッ、無慚さま!」

「オイ米屋──」

「ねッ!?」

 こいとがぐるりと無慚へ顔を向けた。──般若の形相。

 無慚はヒュッと喉を鳴らして、おもわず視線を店奥の調理場へ。仕切り暖簾の向こうから覗くおふなと目が合った。彼女の瞳がにんまりと三日月型に細められる。

「……あい」

 と、無慚はしずかにうなずいた。

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