ぴよぴよパニック

舶来おむすび

ぴよぴよパニック

 やあ、突然だけど質問させてくれ。

 君は『研究室のドアを開けた先に巨大な黄色い塊があった』経験はある?

 僕はある。というか今だ。

 朝早く先輩に呼び出されたのもつかの間。眠い目を擦りながら防音設備バッチリの厚い扉を開ければ、ぷるん! とゼリーよろしく震えて屹立する黄色い塊。いやここまでくると壁だ。黄色いぬりかべ。

 院生7人で使うのも狭い部屋だってのに、この新入りはなんだか空間の半分くらい占領しているように見えたから心底嫌になる。準備室のホワイトボードは一人を除いて全員休みだったことだけが幸いだ。

 ああ、僕のノーパソは無事だろうか。圧死してないだろうか。昨日うっかりUSBを置き忘れたのが悔やまれる。おりしも修了試験まで半年をきった秋分の日である。データ飛んだらマジで死ぬんだが。

 ともかく、こんなふざけたことをする奴は一人しかいない。

「先輩! いるんでしょう、先輩!」

 視界一面の黄色に向かって声を張り上げる。

 へんじはない。ついにしかばねになったようだ。

 万歳三唱をかまそうとしたその途端、黄色い壁のど真ん中から人の顔が飛び出してきた。思わずのけぞりかけた僕の胸ぐらを、同じく飛び出してきた片手が掴んで引き戻す。勢いのままマジでキスする5秒前を頭突きで止めた。なんか熱い液体がかかった気がするが知らん。

「できたぞ! 遂にできたんだ!」

「まず鼻血拭いてくれよ先輩! 骨! 骨折れてないか!?」

「鼻なんかどうでもいいんだよ! 壊れたら交換すればいいんだから!」

「サイボーグの理論やめろ!」

 本気でやりかねないので必死で止めた。ひょっとすると今の鼻だって既に三代目くらいなのかもしれないが。とりあえず、と生き埋めっぽい状態の先輩を黄色い壁から引っ張り出す。相変わらずじめじめと薄暗い研究棟の廊下で、先輩の眼は今日もまぶしいくらいにきらきら光って見えた。

「できたんだって、わかるだろ! 私の理解者、君ならわかるだろう!?」

「SVO型!」

 すっかりおなじみの応答を返せば、落ち着きのなかった身体はびくりと震えて『気を付け』の姿勢をとり。

「私は完成させたんだよ、魂の遠心分離機を!」

 耳を疑った。先輩が鬱陶しいくらいレトリックを使わない質だってことは、一度でも言葉を交わせば嫌ってほど思い知らされる。

 ということは、つまり。

「魂、の?」

「ああそうともさ! いいかい、そもそも遠心分離機は19世紀末にデ・ラバルが牛乳とクリームを分離させるためのセパレーターを作ったのが始まりとされている」

「その話、長いですか?」

「オーケー要約しよう。夢の毎分18万回転、真空機構は豪華3段式の『超・超遠心機』が遂に届いた。肉体から魂を分離・抽出する夢のような代物さ──まだ試作品だがね」

「いくらしたんすか」

「知らない。億いくかいかないか……あ、開発費も出したからもっとか。それくらいだよ」

 どれくらいだよ。何度となく飲み込んだ台詞を、今日も黙って嚥下した。

 誰が言ったか『令和のキャベンディッシュ卿』。今すぐイギリスに土下座した方がいい。万年修士課程の学徒じゃ役者不足にもほどがある。

 先輩がなんだかんだで10年くらい研究室に居座っているらしい、というのは学科どころか構内で共有されている有名な話だ。それでも金だけはこのとおり、腐るほどにあるらしいから、まったくこの世界はクソッタレなほど不公平だった。

「で、先輩。これがもしかして」

「うん、魂ってやつだ。私の理論が正しければね」

 二人揃って黄色い塊へ向き直る。

 よく見れば、表面に橙色の突起が無数に並んでいる。それが不規則に開いたり閉じたりするのを眺めていると、前衛芸術の前に立っているようなこころもちになるから不思議だ。MOMAあたりに並べても案外違和感がないかもしれない。

 ああ、本当に素敵だよ先輩──突起それぞれの上に、きょろきょろ動くつぶらな瞳がなければ。

「これは、つまり」

「やっぱりポール・ワイスだろ、こういう時は。哲学科の大好きなアレだよ。ヒヨコをミキサーに入れ」

「アッ、ハイ、もうわかりました。やめましょう。何匹とか言わなくていいですよ、前フリじゃなくて本当にやめて」

「いやあ、ちょっとテンション上がったついでに張り切りすぎてしまってな。それに、1匹程度でサンプルが足りるか不安だったというのもある。魂の重さは俗に21gとされているが、これは人間の平均体重約72kgに対して約0.03%だ。対してヒヨコの平均重量は約36g、となると魂の重さはおよそ1.1mgということになるな。これでは抽出できたとしても観測できるかどうかいささか心もとない。というわけで景気よく100匹ほどいってみた。単純計算で約0.1g、これならギリギリ肉眼でも観測できると信じてな」

「生命倫理って知ってます?」

「四原則には反してないぞ?」

 聞かなかったことにした。無視したところで、どうせこの人は気にしない。

「で、それがなんでこんな膨張率を度外視して焼いたちぎりパンみたいになってるんです」

 しかも天井に届きそうなサイズで。

「そう、そこがわからん。ちなみに今立てている仮説は、『魂の重さは個体の重さに比例しない』だな。今回は100匹分だから、単純計算で2.1kgということになるか。ところで君、サイズ可変・あらゆるものをすり抜ける物体の体積を量ったことは?」

「あるわけないでしょ」

「だろうな。さて、どうしたものか……先ほど実践して見せたように、我々すらもあっさり通り抜けさせてしまうからね。試しに体重計あたりに乗せることもできやしない。……ああそうだ、君もよかったら通ってみないか? 不思議なもので、中に入るとヒヨコ100匹の輪唱が聞こえるんだ。緊急サイレンみたいで刺激的だぞ」

「やめときます。それより、なんとかしてください

 。明日からの研究に支障を来しますよ、これ」

「あー…………そうか。そうだな」

 でもまあ、と白衣の袖をいじりながら続ける口調は、珍しく歯切れが悪い。

「邪魔にはならないし、もう少し置いといてくれないかな。教授には私から話しておくから」

 にこ、と愛想よく笑う。つり上がった唇の端がわずかに痙攣しているのを、僕が見逃すとでも思ったのだろうか。

「……ねえ先輩。このヒヨコだるまの向こうに、いったい何があるんです?」

「ヒヨコだるまか。いいね、相変わらず君のネーミングセンスは最高だよ」

「何があるんです?」

「何にもないよ。ただ私の『超・超遠心機』があるだけさ」

「先輩」

 駄目押しで畳み掛ければ、とうとう先輩は折れた。先程までの目の輝きはすっかりどこかへ行ってしまって、視線は所在なげにもじもじと彷徨う。

「…………三段って言っただろう? 真空の、冷却機構」

「言いましたね」

「ほら、まだ試作段階だからさ……うまく冷却が働かなかったみたいで……」

 遂に口が止まった。続きをどうぞ、と冷たく機械的に手で示せば、先輩はもごもごと唇を何度か動かし。

「……遠心管、融けちゃったんだよね。サンプルは逝った。ローターもたぶん駄目だ」

「他の遠心機は?」

「壊れてはないよ。なんやかんやで、部屋ごとヒヨコまみれになっちゃったけど」

 ヒヨコまみれ。いい響きだ。言葉だけなら。

「で、僕を呼び出したのはつまり」

「うん……掃除をね、手伝ってほしいんだ」

 黄色すぎるほどに黄色い壁を背負って、先輩はもう一度、にこりと愛想よく笑った。

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ぴよぴよパニック 舶来おむすび @Smierch

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