幸運を運ぶ箱

冷門 風之助 

その1

”面会は1時間だけでお願いいたします。医師せんせいから厳命されておりますので、”

 銀縁の眼鏡をかけ、鼠色の和服に紺色の帯を締めた老婦人は、無感動な、それでいて厳しい口調でそういい、部屋に案内してくれた。

 そこは俺の事務所なんかより遥かに広い部屋だった。

 老人は広いガラス窓のすぐそばに安楽椅子を置いて、そんな海を眺めて座っていた。

”一日一本だけなんだ。医者に制限されとってね”と、カーディガンの右のポケットから、アルミの筒を出し、蓋を開ける。

 中には太巻きのハバナ・シガーが入っていた。

 老人は端を小さなハサミで切り、絵の長いマッチで火を点け、旨そうに煙をふかし始めた。

 ここは、千葉県は房総半島にある、太平洋を一望出来る高台にある高級住宅、今回の依頼は、この邸宅の主だ。

 名前を本田功ほんだ・いさお、そう、本田功である。

”本田功って誰だ”だって?

 知らないのか。

 まあいいや、教えてやろう。

 本田功は、日本でその名を聞けば誰でも知っているような大実業家だ。

 大した学歴も持たず、九州の田舎町から上京し、小さな町工場を振り出しに、幾つもの仕事を渡り歩いて様々な仕事のノウハウを吸収し、やがては精密機器、金融、化学、運輸、サービス業等、等、等、あらゆる分野に進出して、今や実業界ではその名を知らぬものは、

”モグリ”とさえ言われるほどの存在にのし上がった。

 個人資産だけでも、現金化すれば富士山を三つ積み上げてもまだ余るほどのものを持ち、もうそれこそこの先一生働かずにいても、確実に喰うに困らぬほどである。

 しかし、こういう人物だ。

 当り前だが、

”清く、正しく、美しく”生きて来た訳ではない。

 時には人に後ろ指を指されるようなことだってやって来た。

 恨まれたり、そしられたりすることもあったろう。

 その彼がこんなちんけな一匹狼の探偵に何の用があるんだろう。

 俺は彼の顧問弁護士から、

”頼むから会ってやってくれ”と電話を貰った時、真っ先にそう考えた。

 彼は未だに独身だ。

 愛人と名の付く女はいたらしいが、既に整理がつき、戸籍上は80代に差し掛かろうとしている今日まで、独身を通している。

 間もなく、さっきの女性とは別の若いハウスキーパー(女中さんか家政婦と呼んだ方がしっくりくるんだが、昨今はポリティカル何とかがあるんでね。めんどくさい話だ)が、銀色の盆にコーヒーカップを二つ載せて運んできた。

 俺は老人に勧められるままに、ガラスの卓子テーブルを挟んで、籐のひじ掛け椅子に腰かけた。

『砂糖とミルクは・・・・ああ、君はブラックのままだったね。その点は儂と好みが合いそうだ。』

 老人は笑いながら、アールデコ調の模様が入ったカップを取り上げる。

『最初に申し上げておきます。私は非合法な依頼、反社に関わる依頼、筋の通らない依頼、そして離婚と結婚に関わる依頼は、原則としてお引き受けしません』

『わかっとるよ。儂を誰だと思っとるんだ。君の噂は弁護士の斎藤君から既に聞いて知っておる。』

『なら結構、それではまず依頼の趣を伺いましょう。その上で受けるか受けないかを決めさせて頂きます。如何ですか?』

 本田老人は黙って頷き、着ていた空色のニット製のカーディガンのポケットを探り、そこから一つの箱を取り出した。

 表面に唐草の文様が浮き彫りにされた、木製の縦十センチ、横が六センチ、高さは四センチもないだろう。それほど立派なものではない。

『これは私にとって、何よりも大切な、幸運をもたらす箱なんだ』

『箱?』

 俺が聞き返すと、老人は箱を卓子テーブルの上に置き、葉巻の煙を吐き出す。

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