STAY HOMEは散歩で
八川克也
STAY HOMEは散歩で
政府から「STAY HOME」指示が出ていた。
「強制じゃないからね」と、僕は玄関のドアを開ける。
「今なら人も多くない。たまには公園でも行こうじゃないか」
「そうね」
妻も笑いながら靴を履く。
マンションの近くに公園がある。たまには夫婦そろって川辺の道を歩こうというのだ。
エレベーターではだれにも会わなかった。やはり、まだ人は少ない。
「久しぶりだね」
僕の言葉に妻も頷く。
なかなか散歩する機会もなかった。いつの間にか空気は温かくなり、タンポポも咲き始めている。春が来ていることにも気が付かないほどだったのかと改めて驚く。
STAY HOME。いつもの行動がとれないだけで、こんなストレスになるとは思わなかった。
川辺から、公園の園路に入る。
人出は少ないながらもそれなりだった。みな、同じような考えなのだろう。STAY HOMEしているのは半分くらいの人かもしれない。
ふと向こうから見知った顔が来た。お隣さんだ。子供もつれて、家族三人でこの公園に遊びに来たのだろう。
「こんにちは」
私が声をかけると、最初に子供が「こんにちは!」と元気良く挨拶を返してくれた。
「STAY HOMEだって言うから、こうやって公園に来てみたんですが」
と、旦那さんが苦笑いしながら言う。
「早く解除されると良いですねえ」
「なかなか不便ですよね。私もこうやって自分の足で歩くのは久しぶりですよ」
片足を上げてポンポンと膝を叩く。まごうことなき、自分の肉体。
「まあ、まだ時間がかかるみたいですし、気長に我慢というところでしょうね」
私たちは手を振って別れる。
ぐるりと公園も一周してしまって、私たちはマンションに戻ることにした。
「思ったより人、居たわね」
「ああ」
みな、STAY HOMEを守ろうとはしている。ただ、やはり息抜きも必要なのだ。
玄関でふとフラついて妻に寄りかかる。
「何だ……?」
「どうしたの、あなた」
「いや、何だか力が入らなくて……」
と言ったところで、腹がぐぅ、と鳴った。
私と妻は顔を見合わせ、笑う。
「ああそうか、空腹だ」
「そうね、忘れてたわ」
「何か食べよう」と、私はリビングの隣にある『コネクトコクーン』に向かう。
「ダメよ」
慌てて妻が止めた。
「非常食の固形食料があるわ。それで良いでしょ」
妻は二台並べたコクーン——
「言われてるでしょ、STAY HOMEだって」
世界が電子と情報の集まりになって久しい。
人々はコネクトコクーンで電子世界にコネクトし、それで全てを賄うようになっていた。
コクーンは二十一世紀のカビの生えたバーチャルではない。生体接続可能なシステムは、あらゆる活動を電子の世界で賄うことができた。食事でさえもそうだ。そして排泄や運動、あらゆる活動はエントロピックに移された。
エントロピックこそが、社会であり、世界になっていた。
しかしその世界がウイルスに襲われた。
あらゆる電子情報に巣食うウイルスを始末するのに大量のシステムリソースが必要と悟った政府はSTAY HOME——すなわち、電子世界へのアクセスを自粛するよう、住民たちに求めたのだ。
人々は、
「ああ、早く解除されないかな」
と、僕は妻に愚痴る。
「現実の不便なこと。自分の足で歩かないと移動できないし、本当に物を買わないと食べるのもままならない。エントロピックなら一瞬で移動も空腹も治まるのに」
「シールドワクチンができたって言ってたし、もうじきよ」
「ワクチンのコピーもリソース使うんだから、みんなちゃんとSTAY HOMEして欲しいね」
最後のカケラを口に放り込み、僕はため息をつくのだった。
STAY HOMEは散歩で 八川克也 @yatukawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます