第148話 閑話 ニワ日記 その3

「はふぅ、半身浴は最高じゃのぅ。ワシの記憶も大したもんじゃ。のぅ迷犬チロよ」


「わふ」


「うむ」


 ニワは僅かに残る前世の記憶の中に、半身浴という美容と健康にいい入浴方法があることを思い出していた。


 クローのおかげで不純物ポイントに困ることのないニワは、ハンターを確保するという大義名分のもと、ハの迷宮内に温泉付きの新たな安全部屋を数カ所設けていた。


 もちろん自室(主部屋)を拡張して温泉室を設けていることは言うまでもない(お湯だけの階層はあるが温泉はない)が、実際これによりハンターが増えているのだから目の付け所は良いのだろう。


「くーんくーん」


 そんな時、頭までずぶ濡れになった迷犬チロが悲しそうに鳴きニワを見ている。


「どうしたのじゃチロよ」


「く、くーん」


「何、半身浴が難しくてできない、とな……」


 主のマネをしたくてしょうがない迷犬チロなのだが、何度やっても同じようにできないようで、自信をなくした迷犬チロのしっぽと耳はへにょんと力なく垂れていた。


「わぅん」


 そんな悲しげな表情のチロは、主人に近づきその周りをうろうろちょろちょろ、くるくると犬かきで泳ぎで、動き回っていた。


「うむ……これは身体の芯までぽかぽか温まって気持ちいいのじゃが、口と耳にお湯が入るからのぉ。チロにはちと難しいのじゃろうな」


「わぅん」


「チロよ、そうしょんぼりするでない。温泉から上がったらいつものフルーツミックス俺オーレを一緒に飲むのじゃ。

 男らしいネーミングだけあって喉越しがよく、冷やしておくと最高にうまいからの」


「わふん」


「何? チロはミルク俺オーレのほうが良いじゃと?」


「わん」


「うむ、いいじゃろ。今日は特別じゃぞ」


 と言いつつも、この流れは毎日のように繰り返されている。


「うむ。ぽかぽかになったから右半身は終わりじゃ。次は左半身じゃ。よっ」


 ちゃぷん。


 そう言って深めの温泉に潜りってくるりと体勢を変えるニワに可愛らしい声がかかる。


「ニワ。グゥも温泉入る」


 その声にゆっくりと温泉から顔を出したニワの目の前には、すでに丸裸のグゥがふわふわぷかぷかゆっくりと浮遊していた。


「グゥ」


 グゥはドの迷宮の主でハの迷宮の主であるニワとは古くからの迷友だ。


 本来、迷宮主が他の迷宮主と直接会うという行為は、そう簡単にできるものではない。

 だがニワとグゥには、悪魔クローが設置したゲートがあった。


 そのゲートを利用することで直接会うことが可能になっていたのだ。


「んー。今日も来た」


 ぷかぷか浮かんでいるグゥの表情は、まだ人化に慣れておらず無表情に近いが、嬉しそうにするグゥは小さく手を振ってニワに応えていた。


 グゥは、元は土偶の姿をした迷宮主で、人化に興味なんてまったくなかった。


 だがしかし、お菓子をおいしそうに頬張るニワの姿を見て、自分も食べてみたいと思ってしまったのがきっかけで、悪魔クローに人化できるようにしてもらったのだ。


 そして、その姿はドの迷宮魔物(グゥの迷宮魔物)のドワーフ娘を模して人化してもらったため、くりっとしたお目目が可愛らしいショートボブカットのちんちくり娘姿になってしまっている(もちろんおっぱいはニワと同じくらいのちっぱいである)。


 人化ができるようになったことで、できることが増えたグゥは、以前よりかなり活動的になっていた。


「そんなところに浮かんでおらんで、はよ入るのじゃ」


「んー。入る」


 こくりとうなづいたグゥもニワの温泉に何度となく入っているのでもう慣れもの。


 グゥもニワと同じように半身浴をはじめた。


 もちろん、その半身浴はニワに聞いているのでグゥも右半身から温泉に沈める。


「んー、ぶくぶくぶく……」


 右半身を沈めたグゥが左手を上げて気持ちがいいと、ニワに合図を送る。


「うむ。半身浴は健康と美容によいが気持ちもよいからのぉ……かっかっかっ。……口と耳にお湯が入るがたまに傷じゃがのぉ」


 そんな迷友であり温泉仲間でもあるグゥの姿に満足したニワも、ゆっくりと左半身を温泉に沈めた。


「ぶふぅ、さいこうなのじゃ……」


 明らかに間違った半身浴をしているニワとグゥだったが、その後も、本人たちはおかしいことに気づくことなく半身浴を楽しんだ。


「くーん、くーん」


 ただひとり、いや一匹、頭からずぶ濡れになりつつ悲しげな表情を浮かべる迷犬チロを除いてなのだが……


 ――――

 ――


「ぷはぁ……冷たくてさいこうじゃ。うまいのじゃ」


「んー、うまい」


 温泉から上がったニワとグゥは裸のまま揃って片手を腰に当てつつフルーツミックス俺オーレをごきゅごきゅと喉を鳴らして飲んでいた(これもニワの記憶から)。


「わふっ」


 もちろんチロには専用の容器があり、それに入ったミルク俺オーレを勢いよく飲んでいる。


「おぉ、チロもうまいか」


「わん」


 悲しげな表情を浮かべていたチロはもうどこにもいない。

 耳はピンと立ち、しっぽははち切れんばかりの勢いで、ぶんぶんと振られている。


「うむ。ワシは明日も温泉に入るのじゃ」


「グゥも」


「わん」


「うむ。もちろんフルーツミックス俺オーレも飲むのじゃ」


「グゥも」


「わふん」


「今から冷やしておくのじゃ」


「グゥのも」


「わん」


 結局、三人、じゃなく二人と一匹の一番の楽しみは温泉上がりに飲む、よく冷えた俺オーレ飲料だったのだ。


 ◯月△日 今日はグゥとフルーツミックス俺オーレを飲んだ。おいしかった。

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