デジタル召喚されたおっさん
とあるマンションの一室で、おっさんがスマホを眺めていた。ちょっと気持ち悪い笑みを浮かべてはいるけれど、個人の部屋なので問題はないだろう。
「エヘヘヘ……」
見ていたのはアイドルのライブ動画。どうやら彼はドルヲタらしい。満足するほど眺めた後はスマホを切り、普通に日常生活を始める。おっさんは一人暮らしで、このご時世なのもあって何とか自炊をこなしていた。
部屋はそのズボラな性格を反映して汚部屋なのだけど、特にそれを気にしてはいない。彼はそうやって日々を過ごしていた。
夜、色々とやるべき事を済ましたおっさんはまたスマホに手を伸ばす。画面がついたかと思うと、自動的にVtuberの動画が再生された。
「あれ?」
この現象に彼はうろたえる。何故なら、そう言う風に操作をした記憶がないからだ。画面に映るVtuberにも全く見覚えがなかった。すぐに動画を閉じれば済むものの、動画の内容を知りたくもあり、そのままおっさんは画面に見入ってしまう。
「お願い! デジタルワールドを助けて!」
画面上のCGキャラはいきなりそんな事を言い始めた。設定とは言え、あまりに雑な導入部だ。子供向けアニメの冒頭シーンのようなこの展開に、彼は逆にノリノリになってくる。
「分かった! 助けるよー!」
深夜テンションがそうさせるのか、おっさんはつい画面に向かって呼びかけに応えてしまう。その次の瞬間、彼はスマホに吸い込まれていた。
「あれ?」
気が付くと、周りは見た事もない――正確に言えば、アニメとかではよく見るような感じの――ビビッドでデジタルな世界におっさんは立っていた。現状を把握するためにキョロキョロと周りを見渡していると、さっきまで動画で世界の危機を訴えていたVtuberが割と近くにいた。
彼女はおっさんに気が付くと、すぐに駆け寄ってくる。
「来てくれてありがとう!」
「え?」
Vtuberに両手を握られて、彼は戸惑う。しかし、その感触が人間のそれと同じだったので、おっさんはむちゃくちゃ興奮してしまうのだった。
「もしかして、ここがデジタルワールド?」
「はいそうです!」
「君は、この世界の住人なの? 誰かがCGになってるんじゃなくて?」
「はいそうです!」
どうやら、目の前のアニメっぽいキャラはこの世界の本物の住人らしい。握られた手の温もりを通して、彼はこの突飛な設定を秒で受け入れた。そうして、リアル女子との接触の経験もアイドルとの握手会くらいしかなかったおっさんは、どんどんどんどん鼻息が荒くなってくる。
「ハァハァハァハァ……」
「えっと、もう手を離してもらっていいですか?」
「あ、ごめん」
少し嫌そうな表情をする彼女を見て、彼は焦ってすぐに手を離す。離した手は汗で大変な事になっていた。女の子は自分の手をハンカチでしつこく拭いている。おっさんは自分の両手をじいっと見つめた。
「やけにリアルだなぁ……」
「正確にトレスしましたから」
「えっと、君は何て呼べばいいの?」
「私は電子妖精のファルです」
ファルはそう言うとペコリと頭を下げる。彼も反射的に頭を下げた。これで雰囲気もリセットされて、おっさんは改めて彼女の顔を見る。
「で、この世界を助けるってどうすればいいの?」
「神殿を守ってください」
「神殿?」
「こちらです」
ファルが指差したのは、ピラミッドのような高い山の頂上あるギリシャ神殿のような建物。その神殿を守るには、山を登って頂上まで行かないといけないらしい。山に着くまでにもかなり歩きそうだし、山についてもその頂上に行くにはかなり登らないといけない。
神殿までの道のりを想像した彼は、ダルそうにため息を吐き出す。
「えぇ……。乗り物とかないの?」
「ないです。歩いていきましょう」
ファルは元気いっぱいで歩き出した。おっさんも仕方なくその後をついていく。山に着くまでは平地だったのでそれでもついていけたものの、問題はピラミッドみたいな山だった。
普段運動らしい事を全くしていない彼は、山を見上げただけでやる気をなくす。
「ここ、本当に登らないとダメ?」
「ダメです」
ファルはおっさんの要望を笑顔で拒否。仕方なく彼は山を登り始めた。デジタル世界に召喚されたおっさんはその容姿に加え、体力のなさも正確に再現されている。なので、山の中腹に着く頃にはすっかりバテバテにバテていた。
「ちょ、休憩。もう動けない」
「嘘でしょ?」
まだ若いファルは彼のヘタレ具合に失望する。一度座り込んだ後に中々動かないものだから、彼女はどんどんストレスを溜めていった。
「もう休憩はいいでしょう? 行きましょう」
「いや、早いって。まだしんどい」
「どこまで体力ないんですか?」
ファルは一向に動こうとしないおっさんに呆れ果てる。その態度に流石の彼も気を悪くした。
「普通さあ、ログインボーナスって言うかさあ、召喚特典とかってあるんじゃないの? 異世界転生の定番でしょ?」
「そう言うのはやってません。飽くまでも召喚前のデータに忠実がポリシーなので」
「使えねええ!」
おっさんはこの世界の融通の効かなさに憤慨するものの、怒ったところで何も変わらないのであきらめる。その後、何とか起き上がった彼はファルに背中を押されて、無理やり山の頂上まで登りきった。
体力を使い果たしたバテバテおっさんは、神殿の前で倒れ込んでしまう。
「ハァハァハァ……もうダメ。動けない……ハァハァハァ……」
「こんなんで役に立つのかしら?」
ファルは両手を腰に当ててため息を吐き出す。顔を青くしたおっさんは寝転がったまま、不満げな表情の彼女を見上げた。
「それで、俺がここで何をすれば世界を守った事になんの?」
「それは……」
ファルが説明をしようとしたところで、見た目が悪魔にしか見えない全身真っ黒なモンスターが突然出現。そのまるで待ち構えていたかのようなタイミングに、おっさんは驚いて声が出せなかった。
「そいつかー! 弱そうなヤツだぜええ!」
「は? 待ち伏せ?」
その悪魔は全長が5メートルはありそうな巨人。背中に羽も生えていてフワッフワと空に浮かんでいる。顔も邪悪そのもので、その口は耳まで裂けていた。
「勝てる訳があるかーい!」
この悪魔に恐怖した彼はすぐに起き上がると一目散に逃げ始める。特殊能力的なものがないと分かっている時点で、その選択は正しかった。ただ、ひとつ間違っている事があるとすれば、どこに逃げてもすぐに追いつかれてしまうと言う事だろう。
「フハハハ。賭けは俺様の勝ちだなァァァ!」
走った先はお約束の行き止まり。悪魔に余裕で追い詰められてしまい、おっさんは死を覚悟する。
「もうだめだァァァ!」
「これを使って!」
絶望の淵に立ってしまった彼に、ファルからアイテムが投げ入れられた。おっさんは必死にそれをキャッチする。手に収まったものを確認すると、それはスマホだった。
「これでどうしろと?」
「無駄な足掻きよォォォ!」
勝利を確信した悪魔はその長い手を振り下ろす。手の先にある長い爪で切り裂こうと言うのだろう。テンパったおっさんは、やけくそ気味にスマホを悪魔に向けてかざした。
「もうどうにでもなれー!」
この時、スマホからビームが発射される。ビームは悪魔に直撃して、呆気なく吹っ飛んでいった。
「そんなバカなあああ!」
このスマホビームのおかげでデジタルワールドに平和が戻り、ファルはおっさんの腕を握って何度も上下に振る。
「やったわ! ありがとう!」
「ど、ども……。あのスマホビームが俺のスキル?」
「そうだったみたい」
「みたい?」
どうやらファルも詳しい事は分からないらしい。神殿の信託にただ従っただけなのだとか。おっさんは少し納得がいかなかったものの、彼女が喜んでいるので小さな不満はゴクリと飲み込んだ。
用事も終わったと言う事で、2人は下山する。最初に出会った地点まで戻ったところで、ファルはくるりと振り返るとニコリと笑顔を浮かべた。
「もう役目も終わったし、帰っていいよ。あそこのゲートに立てば戻れるから」
「いや、帰らない! ここにいる!」
「えええ……」
こうして、現実に帰る事を拒否したおっさんはデジタルワールドに住み着いたのだった。
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