ピースメーカーたちの休日

南木

ピースメーカーたちの休日

「暇……」


 ほとんど物がない殺風景な部屋のベッドで、俺は仰向けになりながらぽつりとそう呟いた。


 懸案だった、地方の反乱を根こそぎ鎮圧して、首都に戻ってようやく次の戦場へ向かおうとしていた矢先に、俺は1週間の休暇を命ぜられた。

 なんでも、働き詰めだとだと頭が鈍るだろうからと女王陛下がおっしゃったそうだけど、冗談じゃない。休みなら毎日しっかり睡眠はとっている。それで十分じゃないか。


「こうして寝転がっている間にも、前線では主力が敵国と戦っているというのに…………第一遊びに行こうにも、この雨じゃどこにも行く気が起きない」


 窓の外は、まるで俺の心を表すかのように、どんよりした黒い雲が立ち込めて、視界がかすむほど激しい雨が降っている。

 そして、こんな時にも戦場で仲間が戦っているのだと思うと、もっと気がかりになるし、湿気で数多くの物資がダメになることを考えて頭が重くなる。



 そんな時――――部屋の扉がドンドンと重苦しくノックされた。

 普段誰もいないはずのこの家に、この雨の中誰が何の用だ?


「…………どちら様?」


 返事がない。


 覗き窓から外を見ると、扉の前に全身を黒いローブに包み、フードを目部下に被った人物が、ずぶ濡れのまま黙って立ち尽くしていた。

 どこからどう見ても不審人物だけど、俺は黙って扉を開け、中に招き入れた。


「まさか、こんな日に来るとは思いませんでした…………姫様」

「………………」


 被っていたフードをゆっくり下ろしてやると、長い薄紫の髪の毛と、凛々しく整った顔の女性が現れた。

 なるほど、俺の直属の上司なら確かに俺がこの家にいると知っていておかしくないよね。


「ああもう姫様、こんなに濡れちゃって…………タオルで拭いてください。せっかくのに――――いや、何でもないです」

「ユイット」


 姫様はむすっとした顔で髪を拭いている。

 思わず口にしたダジャレで気分を悪くしたかな……


「二人きりの時は、私のことを名前で呼んでほしいって、前から言っているでしょ!」

「いや、でもそれは……」

「まさか私の名前を忘れたとは言わせないわ。私の名前を言ってみなさい」

「もう、分かりましたよ…………クローデット様」

「よろしい!」


 そう言って姫様――――いや、クローデット様はにっかりと笑った。

 クローデット様は昔から堅苦しいのが嫌いで、戦いでひどく弱っていた子供の頃の俺を拾ってくるくらいにはお転婆だったけど、流石に今は公の場ではしっかりし始めている。

 けど、直属の軍師、かつ弟分の俺には改まらなくていいから気楽なのだとか…………嬉しいやら困るやら、複雑な気分。


「見ての通り、この家には何もありませんけど、お茶くらいなら淹れますよ」

「そんなの今はどうでもいいわ。それにユイット、今この家には私がわざわざ雨の中足を運んだ理由…………軍師のあなたに察せないとは言わせないわ」

「……何のことでしょうか?」


 いや、一応分かってはいるんだけど……ねぇ


「今この家には……私とあなた、二人きり…………。だったらやることは、一つしかないじゃない。ふふっ、どうせ暇だったんでしょう? 今日はとことんまで、もらおうかしら?」


 そう言ってクローデット様は、期待に満ちた目を向けてきた。

 こうなっては、俺ももう逆らうことはできない…………



 ×××



「ま、待って! そこはっ!?」

「いいえ、待ちません。今日は容赦しないと言ったのは、クローデット様の方ですよ? 観念してくださいね」


 顔を真っ赤にして、涙目になりながら懇願するクローデット様を前に、俺は黙々とナイトを前進させた。

 周りに援護する駒がなくなった白のキングは、完全に詰みとなった。


「くぅ……っ! せっかくグランドフォーク王手飛車取りまでしたのに!」

「そもそも俺が、チェスでそんな失態をするわけがないじゃないですか。クイーンを釣るためにわざと誘ったんですよ」

「まんまと謀られたっ! ああもう、また勝てなかった…………! 私がこのキングの駒だったら、ナイトの駒なんて返り討ちにしてやるのにっ!」

「ありうるかもしれませんが、せめてゲーム内はルールに従ってくださいね」


 お昼前から始まった、俺とクローデット様のチェス勝負は、すでに俺の3連勝となっていた。

 前々からクローデット様とは息抜きにいろいろな遊びをしてきたけど、チェスだけはいまだに俺が負けたことはない。


 で、それが却ってクローデット様の負けず嫌いを刺激するのか、最近は暇さえあれば勝負を挑まれて、その都度返り討ちにしている。

 王族相手にひどいかもしれないが、こればかりは職業柄負けを献上する気はない。


「うーん……やっぱり私、チェスが下手なのかなぁ?」

「そんなことないですよ、ただ俺が強すぎるだけです」

「その言い方もなんか癪に障るわね。けど、次こそはその天狗鼻をへし折ってやるわ!」

「まだやるんですか。その前にお茶くらい飲んで休みましょう。喉が渇くと思考能力が落ちますよ」

「休みたくないとか言ってたユイットがよく言うわね」

「睡眠と同じです。睡眠と」


 3回負けてもまだもう1戦したいなんて……そのバイタリティーは勝てる気がしないよ。

 第一、いつも戦場で戦術を立ててるのは俺なんだから、クローデット様がチェスで勝てなくても何も問題はないわけで。


 数か月に一度しか家に帰らないと、お茶の備蓄すらほとんどない。

 クローデット様が来るとわかっていれば、もう少し上等な茶葉を用意できたのに、これも普段から備えを怠っていたつけかな。

 戦場の兵站では致命的だ、気を付けよう。


「お茶どうぞ」

「ありがとうユイット。それにしても、あなたとこうして対戦していると、敵軍の気持ちがちょっとわかる気がするわ。なんでも『悪魔の瞳を持つ男』なんて言われているらしいじゃない」

「敵に恐れられるほど名誉なことはないですね。俺は何も特別なことはしていません。ただ、勝つための努力を怠らないだけです」

「私も力だけじゃなくて、ユイットみたいに頭がよかったらなぁ」

「それだと俺が存在する意義がないじゃないですか。今まで通り、非力な俺はクローデット様をうまく操縦して、突撃バカ――――もとい、勇敢なクローデット様は俺に細かい雑用を任せていればいいんです」

「相変わらずの言い方。でもその通り……ね」


 今はこうして、チェス盤を挟んでクローデット様と戦っているけど、実際の戦場では、俺とクローデット様は同じ向きになって、敵に立ち向かうことになる。

 そして、実戦で役に立つのは、俺のこまごました小細工なんかよりも、負けず嫌いで、あきらめが悪くて、常に先頭で仲間たちを鼓舞するクローデット様の方だ。


「私がもし駒だったら、ユイットがプレイヤーの方に付きたいと思うに違いないわ」

「それなら、俺はクローデット様の駒がいる方でプレイしたいですね。それが先攻後攻どちらにもかかわらず」

「ふふっ、やっぱり私たちって、そういう関係よね」


 クローデット様が笑顔を見せてくれた。

 俺はこの笑顔に何度も助けられてきた。だから俺は、この人が戦場で死なせないために……そして、いつもこんな笑顔で過ごせるように、平和を勝ち取らなければならない。


 すでに、いくつもの村を焼いた

 数万の敵兵を殺した

 軍備のために重税を課した


 盤面に転がる白と黒のチェスの駒のように、死体が転がり土地が荒れる地獄が、今もどこかで広がり続けている。


 もう引き返すことはできない。

 俺はこれから先も、キングの駒となったクローデット様を、いかなる犠牲を払っても立て続けなければならない。


「何か難しいこと考えてる? それとも、次の勝負は私をどうハメてやろうか考えてるってとこかしら?」

「いえ、別に。戦争が終われば、今以上にゆっくりチェスをする暇もできるかなと思いましてね」

「そうね。戦って勝たなきゃ、私たちの平穏は手に入らない。負ければすべてを失う…………勝って生き残ろう、ユイット。約束よ」

「言われなくてもわかっていますが、約束しましょう」


 俺とクローデット様は、安物のティーカップをコツンと軽くぶつけ合って、残っているお茶を飲みほした。

 言わなくてもわかっている、でも、言葉にすると安心感が違うような気がした。


「あ、そうだ! 今までは何のペナルティーもなかったから、私も真剣になれなかったのかもしれない! ってことで、次の対局は負けた方が何でも言うことを聞くってどう?」

「えー……」


 このお姫様はまたすぐ敗北フラグを立て始める。


「ふふふ、私が勝ったら、ユイットにあんなことやそんなことをさせてやるんだから! 俄然燃えてきたわ!」

「好きにしてください。その代わり、今日はこれが最後ですからね」


 やっぱりこの人には、俺が付いていないと危なっかしいなと再確認しつつ、チェスの駒を並べなおし始めた。

 負けたら一体何をされるかわからないけど、聞いたからにはなおさら負けるわけにはいかなくなったのは俺も同じだということを、果たしてこの人は気づいているのだろうか。


(とはいっても、俺が勝って何をお願いすればいいんだろう。とりあえず、手料理でもご馳走してもらおうかな)


 エプロンで手料理を振る舞ってくれるクローデット様を想像して、俺は少しににやけてしまったみたいで、それを見たクローデット様がギョッとしていた。


「な……さては私を辱めようとしているわね? だったら、あなたにはもっと恥ずかしい目にあってもらうんだからっ」

「マジで何させる気なんですか…………」


 なぜかチェス盤に己の尊厳(?)をかける羽目になったが、俺は焦ることなく、ゆっくりと黒い駒を前に進めた。


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ピースメーカーたちの休日 南木 @sanbousoutyou-ju88

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