第35話 神人の過ち
確実に仕留めたはずの間合いに、別の機兵が割り入っていた。
アルカナは振り下ろした剣を咄嗟に引いたが、剣に
「友情のために命を投げ出すとは……」
アルカナにとってエンネアが取った手段は信じ難いものだった。
それだけに、振り下ろした剣の感触が両腕を震わせた。
「その者を助けたところで、私の粛正を待つ身だというのに……」
生命が終わり、身体から抜け出したエンネアの魂が、アルカナ機の操縦槽に迫る。
『……私の身体を、助けたの……?』
奇妙な問いかけをしたエンネアは、操縦槽を斬られて横たわる自機と、そこから投げ出された自らの身体を一瞥した。
「せめてもの慈悲です。ですが、生者に戻ることはありません」
エンネアの身体に目立った損傷はない。
だが確実に息絶えていることは、エンネアにはわかっているようだった。
「……あなたはどうするの?」
問いかけにアルカナは一瞬だけ怯み、それから抑揚なく応えた。
「一旦退きましょう。あなたは、サキガミ・キサラの心を挫くために必要な犠牲です」
『……それがキサラさんの、生きる意味だったとしても?』
エンネアは即答し、ゆっくりと自分の身体に向けて降下した。
「どういう意味ですか?」
アルカナの視線は無意識にエンネアを追った。
『反魂術は正しくないのかもしれない……。でも、
――この粛正は、本当に正しいのか?
アルカナを惑わせる大いなる疑問だ。エンネアの言葉は、核心を突いていた。
『あなたたちが、キサラさんの故郷を滅ぼさなければ……親友の命を奪わなければ……。こんなことには、ならなかったのに……』
アルカナの脳裏をハクライの巫女のあの舞が過る。
美しく、愚かで儚い魂が描く最期の時間だった。
「……あなたが言っているのは、ハクライの巫女のことですね?」
問いかけから逃げずに、アルカナは問い返した。
『そう……』
自らの身体の上に立ったエンネアは、ゆっくりとアルカナの顔を仰いだ。
『あなたも迷っているから、こんなに回りくどいことをしているのでしょう?』
エンネアの頬を涙が伝っている。
悲しい微笑みを向けられ、アルカナは全身の力が抜けるのを感じた。
機体を風に乗せ、上空へと浮上する。
――私は、過ちをおかした。
いつ、どこで……?
渦巻く疑問にアルカナは額を押さえて呻いた。
『……どうしたのですか? 今なら容易く命を断てますよ』
負の連鎖の渦中にいるのは、自分自身だと気づいたアルカナの頭に、
「…………」
アルカナは遙か遠い地上の羅刹鬼を見下ろした。
サキガミ・キサラの精神に引き摺られたせいで
その首に剣を向け、打ち落とすのは用意だった。
だが、アルカナは拒否した。
「……この場で判決を下すのは尚早と判断します」
『神意に逆らうのですか?』
ルシアの声は氷のように冷たい怒りを、アルカナに浴びせた。
「――いいえ。そのようなつもりはありません」
神凪の言葉には神の意思が込められている。
神意に反するアルカナの兆候を察している可能性もあった。
だが、アルカナは自分の意思を貫いた。
「サキガミ・キサラの心は挫きました。これ以上の犠牲を、彼女は望まないでしょう」
『……神の意思は、反魂術の行使を止めることではありません。サキガミ・キサラの抹殺です』
アルカナが求めた
目的と手段を履き違えているとも思えるその発言に、アルカナは目を閉じた。
――もう、疲れた……。
神の意志に従い、粛正を行う時期はもう過ぎた。
負の連鎖はどこかで断ち切らなければならない。
なにより、自分のために。
「……これは、私が神人を続ける上で必要な処置です」
長い沈黙があった。
雷鳴が轟き、大粒の雨がアルカナの機体に叩き付けた。
『……わかりました。あなたの意思を尊重します、終末ノ巫女・アルカナ』
機体の頭部に跳ねた黒血油が、白い機体の頬に涙のように伝っている。
ルシアの気配が去っても、アルカナは動くことが出来なかった。
†
昏い闇を広げるような雲が渦を巻き、アルカナの機体を包んでいく。
世界樹に戻ってもなお、アルカナの葛藤は続いていた。
エンネアと呼ばれていたあの娘の声が、アルカナの耳に残っている。
ハクライの巫女と同じ響きを持った、凛とした声だった。
――私は、正しいことをしたのだろうか?
過ちは重なり、負の連鎖を呼び寄せている。
ハクライの里を滅ぼしたときは、老いも若きも問わずに皆殺しにした。
そのなかには、罪なき幼子も含まれていた。
ハクライの里の民は、反魂術の完成のために生きている民――故に幼子を助けたところで、いずれ反魂術を行使する。
ならば里ごと滅ぼせというのが、あの時の神託だった。
だが、今回は違う。
あの街で反魂術に迫っているのは、サキガミ・キサラ、ただ一人。
必要以上に守られているキサラを見るに、他に反魂術を使える者はいない。
キサラの命を絶てば、今度こそハクライの里の民は全滅し、あの時の神託は達成される。
目を閉じ、自らの手で屠ったひとりひとりを、アルカナは思い浮かべた。
そのどれもが終末の巫女としての務めであり、アルカナの罪だ。
『……終末ノ巫女・粛正の時間です』
ルシアの声がアルカナの思考に割り込む。
キサラが反魂術を行使しようとしているのが理由だと、はっきりと理解し、アルカナは立ち上がった。
ふと、エンネアを自分が殺さなければ、キサラは反魂術を行使しなかったのではないか、という疑問が湧いた。
禁忌を破るきっかけを作っているのは、常に自分なのだ。
何れにしても、ルシアが粛正の時間を告げた以上、それが撤回されることは最早ない。
「サキガミ・キサラの死は決定的……。最早免れることはない……」
反魂術に向き合うキサラは、自分の最期をどう迎えるつもりなのだろうか。
今度こそあのハクライの巫女を蘇らせるだろうか。それとも……?
いずれにしても、そのために十分な『材料』は揃っている。
「もう終わりにしなくては……」
神人として人間の命を奪う――それが終末の巫女の務めだ。
アルカナは粛正の血に塗れた手を忌まわしく噛んだ。
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