王様になった道化師

 もらったばかりのわずかなお金が入った給料袋きゅうりょうぶくろふところしのばせ、ちっぽけなサーカスで道化どうけをやっている中年男ちゅうねんおとこが、コンビニで買った安いカップざけさかなが入れられたビニールぶくろ片手かたてに、静まり返った路地ろじをほくほくと歩いておりました。


 少ないとはいえ、給料日となれば胸も高鳴たかなるというもの。


 中年男は足取あしどりも軽く、住まいであるボロアパートへの家路いえじを目指していたのでございます。


「今月もがんばったなあ」


 そんなことをぶつぶつとつぶやいていたとき、ふと、いまは廃屋はいおくになっている、六階てビルの前にさしかかったのです。


「ああ、そういえば……この屋上おくじょうには、遊園地があったなあ」


 遊園地とはいっても、かつてデパートだったそこにあったのは、簡単な遊具やゴーカートを置いてある程度の、いたって簡素なものでした。


 しかし中年男は、その遊園地に行ってみたいと思ったのです。


「確か、ここだったはずだ……」


 中年男はビルの裏手うらてにある窓の鍵が、さびきって壊れていることを知っていました。


 そこから中へと、忍び込んだのでございます。


   *


 屋上へ上がると、長い間使われていない遊具や、パンダだのライオンだののゴーカートが、置きっぱなしになっていました。


「こいつはいい」


 中年男はその中の、ヘンテコな顔のパンダのカートにどっこいしょとまたがって、ちびちびと酒を飲みはじめました。


「お月さまもきれいだし、うん、最高だ」


 次第しだいに男はぱらってきて、なんだか自分が、この空間の中では、王様であるような気分になってきたのです。


「王様になったぞ!」


 そんなふうにふざけてみたあと、中年男はふと、悲しい気持ちになりました。


「いままで生きてきて、いいことなんて何もなかった。遊園地なんて、行ったこともなかったなあ」


 すると、不思議なことが起こりました。


 座っていたパンダのゴーカートが、ゆっくりと動きはじめたのです。


「お、なんだ、なんだ……?」


 ほかのゴーカートや、小さな列車の遊具、小型の観覧車までもが、まるで中年男を歓迎かんげいでもするように、にぎやかな音を立てて、騒ぎ出すではありませんか。


「お、おお、お前たち、俺を王様だと、言ってくれているのかあ?」


 こんなにうれしいことは、はじめてでした。


 こんな手厚いあつかいを受けたのは。


 中年男は遊園地の祝福しゅくふくを受け、夢のように楽しい時間を過ごしました。


「ふぁあ、うーん、むにゃむにゃ……」


 気がついたとき、男は遊園地の冷たいコンクリートの上に、大の字になっていました。


「やっぱり、夢だったのか……」


 とてもさびしい気持ちになって、中年男は寝転がったまま、夜空に浮かんだ満月を、ずっとながめておりました。

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