枷と鎖

 コンクリートをちっぱなした、冷たくジメジメしたせま牢獄ろうごくの中に、ひとりの囚人しゅうじんの男が、ずいぶん長いあいだ、つながれておりました。


 両手にはかせがはまっていて、その先にはしっかり、くさりがとおっているのでございます。


 男はほとんど禿げあがった頭をもたげ、ヒゲが放題ほうだいくちもとをときおりモゴモゴさせながら、ボケッとしておりました。


 時刻は夜でしたが、鏡のような満月が、背後の小さな格子窓こうしまどから、男を照らし出しております。


「まったく、つまらない。退屈な人生だ」


 ふいに男はそう、ぼやいたのです。


 すると後ろに何かの気配を感じたと思ったら、一片ひとひらの桜の花びらが、だらしなくひざに置いているその手のこうに、ちょこんとってきたのです。


「おや、これは……」


 牢獄で花見とはよくいったもの。


 男はそんなふうに思ったのです。


 すると――


「お、おっ」


 ひらひらと、一片ずつではありますが、桜の花びらが次々に、男の上に降りそそいでくるではありませんか。


「こいつは面白い」


 男はなんだかうれしくなって、みるみるうちに桜色にまる足もとを、うっとりした気分でながめていたのです。


 気がつけば狭苦せまくるしい牢獄の中は、満開の桜のように、染めあげられておりました。


愉快ゆかい、愉快」


 男はすっかり楽しくなって、もっともっとと、せがむような気持ちになっていたのです。


 そのとき、遠くのほうから、冷たい足音がこちらに近づいてきました。


「おい、出ろ」


 看守かんしゅの男がそう、牢獄の男にげました。


「いやだ」


 牢獄の男はそう、言い返しました。


「なぜだ?」


 看守の男が聞き返します。


「このきれいな桜が見えないのか? おれはここが気に入った。ずっとここにいるのだ」


 牢獄の男はそう、言いました。


「……そう、か」


 看守の男はそれだけ言うと、もと来た廊下ろうかをそのまま、帰っていきました。


「しめしめ」


 男は幸福でした。


 こんなにもいっぱいの桜にかこまれて、なんて俺は幸せ者なのだろうか、と――


 いったいこの男は、何につながれていたのでしょうか。


 かせくさりは、何も答えてはくれないのです。

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