短編集 桜語(さくらがたり)

朽木桜斎

道化師

 春もなかばのころのことでございます。


 ある街のはずれに位置する、大きな桜の森の中ほどに、かたむきかけた小さな遊園地がございました。


 そこでは開園当初からいるひとりの道化男どうけおとこが、毎日毎日休むこともなく、やってくるお子さんたちに、せっせと風船を配っていたのです。


 この男はふくらんだピエロの衣装を着込きこんで、の抜けた仮面をかぶって、すっかり道化師どうけし風体ふうていでよちよちと仕事をするものですから、子どもさんらはどちらが風船かわからないだとか、お給料はいくらですかだとか、また親御おやごさんはあんなふうになっちゃだめですよだとか、まあいろいろと申すのでございます。


 しかしながら彼は、誰がいつ行ってもそこでたくさんの風船を手に、それを次々とさばいていくものですから、この遊園地ではそれなりの有名人という風に受け取られていたのです。


 ですがこの経営難の遊園地はとうとう、取り壊されることとあいなりました。


 お子さんたちはあのおじちゃんに会えなくなると、くだんの道化男の身の上を心配したものですが、大人たちはそんなピエロのことなど特別、気にもめていなかったのでございます。


 そしてついに最後の開園日。


 歴史ある遊園地の最後を目撃しようなどと、こぞって人々が足を運ぶ中、例の道化男は、まるで普段と変わらない様子で風船を配っていました。


 かくしてこの遊園地は、長いその歴史にあっけなく幕を閉じたのでございます。


 ところがその日の夕暮ゆうぐれのこと。


 ひとりの男の子が、お気に入りのオモチャを落としたとかいう理由で、両親に隠れてそっと、閉園した遊園地に忍び込んだのでございます。


 おりしも小雨こさめが降り出し、えん敷地しきちいっぱいに散らばった桜の花びらをらしはじめておりました。


 アトラクションの一角いっかくでそのオモチャ、たかだか一枚のカードだったのですが、それを見つけた少年は、さっさと遊園地をあとにしようとしました。


 するとえん出入口でいちぐちのあたりに、来るときは気づきませんでしたが、雨に濡れた桜の花びらにまじって、なにか薄っぺらいものが落ちています。


 男の子がそれをながめると、ああ確かに、それはあの道化師が顔につけていた仮面のようなのでございます。


 少年はしばらく、その仮面に見入っていました。


 どこでも手に入るような安っぽい品です。


 しかしその仮面は、あの道化男の人生を映すように、なんだかすすり泣いているようにも見えるのでございます。


 男の子はそれを考えると、急に背筋が寒くなってきて、逃げるようにその場をあとにしたのです。


 いったい、あの道化師は何者だったのでしょう。


 どこで生まれ、どう育ち、どんな人生を歩んだのか。


 そのようなことを、誰も知るすべはないし、誰も知る必要がないのかもしれません。


 ただ次第しだいにひどくなってくる雨が、その仮面をいつまでも、濡らしつづけていたのでございます。

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