暴れ馬シルバーボートVS巨大アブラボウズ 脂まみれの有馬記念
武州人也
今夜は馬刺しか!?刺身か!?
海上に浮かぶ一艘の白いボート。そこから三つのドラム缶が乱暴に投げ捨てられた。
ドラム缶の中身は産業廃棄物であり、本来海洋投棄は許されていないものであった。要は不法投棄である。
投げ込まれたドラム缶は、底へ底へと沈んでいった。そして海底にたどり着いたドラム缶は、光の届かぬ深海に、緑色をした化学物質をどぼどぼ垂れ流した。
そこに近づく、一匹の魚。濃い灰色をしたその大きな魚は、獲物を追いかけている真っ最中であった。
この魚は獲物の小魚に逃げられ、勢い余ってドラム缶に追突してしまった。それだけではない。この魚はドラム缶から噴出する化学物質を、頭からまる被りしてしまっ
た。
***
静岡県
この町では、最近、不気味な失踪事件が続いていた。ここ二週間で、漁師が立て続けに三人も行方不明になっているのだ。警察の捜査も虚しく、何の成果も上がっていない。
そんな渦中にあった、十一月の某日である。
「そっち行ったぞ!」
「うわっ! 来た!」
心地よい秋晴れの空の下、笠野宮競馬場近くの市街地はにわかに騒乱の様相を呈していた。警察と
「げ、源さん大丈夫ですか?」
「あいたたた……腰が……」
「それにしてもシルバーボートめ……やってくれおるわ」
男の一人が、去っていく白い背中を見て毒づいた。
この騒動を引き起こした犯人は、一頭の競走馬である。「シルバーボート」と名付けられたその馬は、名前の通り銀色がかったようにも見える白い毛で覆われているのだが、その秀麗な容姿に似合わない
また、他の競走馬にも非常に攻撃的である。元々サラブレッドはプライドが高く、馬同士で何かと張り合う傾向にあるが、シルバーボートは特に傲岸不遜で挑発的である。「ディープライジング」「ブルーサヴェージ」「シャークウィーク」「ダンクルオステウス」などの同世代の名だたる競争馬たちにも敢然と威嚇し、時には小競り合いを起こして静止されている。この間も「クリエモン」にわざわざ喧嘩を売りに行き、あわや一触即発というところでスタッフが駆け寄り何とか静止させることができた。
車を踏みつけ、看板を蹴飛ばし、路駐自転車を跳ね飛ばしながら、シルバーボートは南へ南へと逃走を続けた。そうしてとうとう、この悍馬は埠頭に至った。すぐそこは海である。流石に馬が海に逃げるのは不可能だ。周囲には再びこれを捉えようと機動隊が駆けつけて包囲を始めており、いよいよこの大捕り物も終幕に入ったかに思われた。空にはいつの間にか雲が集まり、冷え冷えとした風が吹いている。
ひひひいん!
古代ギリシャの重装歩兵隊のように盾を並べる機動隊を前にして、シルバーボートは急にいなないた。さざなみの音をかき消すような大声に、彼を包囲する機動隊員たちはびくりと肩を震わせた。まるで何かを警告しているような、そんないななきである。
その次の瞬間、突然別の
それは、海から現れた。ざばあという水の音とを立てて、何か大きなものがしぶきとともに海面から首を出した。
「あ、ありゃ何だ!?」
「化け物魚だ!」
見たところ、それは濃い灰色をした魚であった。真に驚くべきはその体格である。海面から覗いているのは体の上半分であるが、海中に隠れている部分を類推すると全長五メートル以上になるのではないかという巨体であった。まるでホホジロザメのような大きさである。
「うわぁ! 助けてくれ!」
「
現れた巨大魚は、まるでトドやセイウチのようにのしっとコンクリ固めの埠頭に身を乗り出すと、西谷と呼ばれた機動隊員の一人をばっくり咥えてしまった。隊員の悲痛な叫びが、曇った空の下に響いた。
「何だよ……化け物じゃねぇか……」
「もしかしてあれ……アブラボウズか?」
「馬鹿、いくらアブラボウズったって、あんなに大きくなるもんかい!」
あの怪物魚の見た目は、深海魚のアブラボウズにそっくりであった。その名の通り身に脂が多く、寿司や刺身のネタとして人気を集める魚である。しかし、アブラボウズの体長は大きくなっても一メートル八十センチ程度だ。確かに大柄で重さもあるが、流石に五メートルを超えるような体格にはならない。
その上、アブラボウズは深海魚だ。浅瀬に現れたり、ましてや海面から飛び出して人を引きずり込むなどありえない。陸上に上がるなどもってのほかである。
「クソッ! 化け物め!」
機動隊の小隊長は西谷を助けようと、拳銃を抜いて発砲した。乾いた銃声が立て続けに二度響き、銃口が火と煙を吐いた。二発の銃弾はアブラボウズの右脇腹に命中し、そこから血とともに白い脂のようなものが噴出したが、この巨大魚は全く弱る気配を見せず、海中に逃げようとしている。咥えられた西谷という隊員は、今にも海に引きずり込まれそうだ。
――もしかして、四件の失踪事件の犯人は、あのアブラボウズかも知れない。
きっと、行方不明になった漁師はアブラボウズに食われたのだ……その場にいた人々の内の何人かは、そのようなことを考えた。
その時であった。突然、
シルバーボートは見慣れぬ巨大な魚を前にして少しも臆さず、敢然と突進を敢行した。そして前脚を上げ、巨大魚の体を思い切り蹴った。
巨大アブラボウズの体は、強烈な蹴りを受けて横転した。馬による本気の蹴りをまともに食らえばただではすまない。アブラボウズは咥えていた西谷を放し、すごすごと海中へと戻っていった。
「あ、ありがとう」
機動隊員の西谷は立ち上がってシルバーボートに感謝の意を示した。しかしシルバーボートは西野を相手にせず、しきりに海面を覗き込みながら埠頭をうろうろしていた。あのアブラボウズのことを、まだ気にしているようである。きっとシルバーボートは獣の本能で「まだ戦いは終わっていない」と理解しているのだろう。もっとも、馬が海に潜って魚を追いかけるなどできようはずもないのであるが。
アブラボウズは、再び大きく水しぶきを立てて現れた。巨体によって巻き上げられたしぶきはシルバーボートに降りかかり、その筋肉質な体を濡らした。
その時突然、シルバーボートが顔を大きく振るって苦しみ出した。しぶきとなった海水が目に入ってしまったのだ。
そこに生まれた隙を突いたのか、アブラボウズが飛び出してシルバーボートの右脚を咥えた。もしこれを狙ってわざと大きくしぶきを立てたのであれば、このアブラボウズは相当狡猾な狩人である。
咄嗟のことで、シルバーボートは踏ん張りをきかせることもままならず海中に没していった。筋張った逞しい尻が沈んでいくのを見た西谷は、ああ、と力ない声を漏らした。
海面からは、小刻みにぶくぶくと泡が浮かんでは消えていた。いくらサラブレッドが強いといっても、それは陸上での話だ。海中で巨大な魚に襲われて、どうして打ち勝つことができようか。助けられておきながら何も恩返しができない歯がゆさが、針となって西谷の心を刺した。
――頼む、死なないでくれ……
暫くした後のことである。海面に何か大きなものが浮かんできた。その周りには赤い血が流れている。
それを見た時、西谷は言葉を失った。
浮かんできたのは、あの巨大なアブラボウズであった。ところどころ皮膚が破られ、血と脂が滲み出ていた。海面に浮かんだ脂が、虹色の光を放っている。
そして、それを追ってきたかのように海面から白いものが飛び出し、
「お前、頑張ったんだな……」
アブラボウズを倒したのは、このシルバーボート以外にあり得ない。誰も目撃者はいなかったが、シルバーボートは水中で何度も力強い蹴りを打ち込み、この巨大魚を殺傷するまで諦めずに攻撃し続けたのだ。しかも先ほど銃撃を受けた右脇腹を執拗に蹴るという戦巧者ぶりを発揮したのである。自分が窒息するのが先か、それともこの巨大魚が息絶えるのが先かという、まさに生死をかけた戦いを演じていたのであった。
目を潤ませながら西谷が近づいたその時、シルバーボートは頭突きを食らわせ、西谷を突き飛ばした。「気安く近寄るな」と言わんばかりの頭突き攻撃であった。
***
巨大化したアブラボウズの腹を裂いてみたところ、中から消化されかかった人間の遺体が出てきた。鑑定の結果、それは行方不明になっている漁師の男性と一致した。行方不明事件の犯人は、このアブラボウズだったのである。
また、このアブラボウズは、海洋投棄が許されていない化学物質に汚染されていたことが明らかとなった。この物質とアブラボウズの巨大化についての関連は、未だに分かっていない。
その後、かの暴れ馬の健闘を称える目的で、笠野宮の港には深海魚を前に前脚を振り上げるシルバーボートの銅像が建てられたという。
暴れ馬シルバーボートVS巨大アブラボウズ 脂まみれの有馬記念 武州人也 @hagachi-hm
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