第235話 ある雨の日に
冬蒔き小麦を刈り取ってしばらくした6月半ば。雨の季節がやって来た。
雨の季節といっても日本の梅雨ほど長くはない。せいぜい一週間でまた晴れがほとんどの季節となる。
それに毎日雨が降っている訳では無い。雨の日、降らない日が交互に続く感じだ。
雨の日は農作業はお休み。セレスが山羊ちゃん達の世話をして、私がマスコビーの卵を採取するだけ。
あとは1日のんびりと自分達の時間を過ごす。エルマくんも私達につきあって部屋でまったりしている。
温泉ハウスでのんびりしてもいい。誰かが行こうとすると必ずエルマくんが気付いて一緒についてくるけれど。
どうやらエルマくん、こちらが何も言わなくても温泉ハウスに行こうとしているのがわかるらしい。温泉が大好きだからだろうか。
人が入る風呂に犬が入るなんてと思う人もいるだろう。それにエルマくんは浴槽で泳ぎまくる。日本の銭湯や温泉なら迷惑行為と言って追い出されるに違いない。
でもうちの温泉は私とリディナ、セレスしか使わない。だから全くもって問題はない。
私の場合、雨の日は趣味の工作か、温泉につかりながら偵察魔法を使って魔物狩り。ただこの辺は常時狩っているので魔物もそう発生しない。だからまあ、のんびりしたものだ。
その代わり雨の次の日は大変。大体草が伸びているので畑の雑草取りが必要になる。あと草地の牧草もある程度伸びていれば刈って乾燥させておかないと。
山羊ちゃん達も雨の次の日は思い切り遊びまくる。
放牧中は山羊ちゃん達が遠くへ行かないよう、セレスがWシリーズの誰かを使って管理している。けれど雨の次の日は特に大変らしい。
『元気すぎて大変なんです。気を抜くと壁を登って脱走しそうになります』との事だ。
エルマくんも草地で遊びまくる。草地をダッシュで走り回ったり、草の上でごろごろ転がったり。
でもエルマくんは入口から
◇◇◇
今日も外は雨。セレスは山羊ちゃん達の小屋へ。私とリディナはリビングで特にする事無くのんびりしている。
「本もひととおり読んじゃったしね。また晴れの日に買いに行こうか」
「確かに」
やることがないのでつい偵察魔法でこの付近一帯を見てみる。
雨で雲が低いからあまり高い位置へ視点を持って行けない。だから雲の下くらい、いつもより低めの位置から見下ろす形になる。
これではあまり遠くまで見ることが出来ない。だからこの農場の上や開拓村の上を低空飛行のように視点を移動させつつ見ていく形になる。
視点が開拓村の南西部分まで来た時だ。何か感じた気がした。よく知っているような、でもあまり良くない何か。
何かはわからない。でも確かに何かを感じる。私は慎重に視点を動かして確認する。
そう言えばこの辺りには前々から気になっている家があった。畑をほんの少しだけ耕した後、そのまま放置している家だ。
確かその家は子供が2人いた。日本だと小学校入学前くらいの子1人と、幼稚園年少くらいの子1人。
視点をその家に近づける。何かの感じが強くなった。やはりこの家だ。上から見ると何となく以前より家も周囲も荒れているような気がする。
家の中まで偵察魔法で見ていいだろうか。少しだけ躊躇した。でも嫌な予感には勝てなかった。
視点を家の中へ。荒れた室内、ゴミが多い。生活の雰囲気があまりない。
家財道具がほとんどない。これは夜逃げだろうか。でも待て、弱いけれど人の反応がある。
誰かいる。2人。それがうずくまった子供だと気付いた瞬間、私は立ち上がっていた。
「ごめん、行ってくる!」
「何処へ?」
「村」
返答する時間も惜しい。靴を履いてドアを開け、縮地を起動。
移動しながら2人のステータスを確認。酷い。6歳位と4歳位だと思っていたが本当は9歳と6歳。慢性の栄養失調で成長が遅れているだけ。
特に姉の方が酷い。背骨だの視力だのあちこちに障害が出ている。
そう言えば私は遠隔で魔法を使えるのだった。気づいて回復魔法と治療魔法を連発。弟の方はこれである程度は大丈夫な筈。でも姉の方は普通の魔法では駄目な感じだ。
でも問題ない。私の最強修復魔法なら生きていれば治療可能。だから急ぐ。
縮地を目一杯使ってもまだ遅く感じる。もっと、もっと速く。
不意に新たな魔法が使える事に気づく。縮地と同じ技術の更に上。飛び飛び程度に安全な場所があればその間に障害物があっても大丈夫な魔法。
これなら森の中も家も突っ切っていける。私は経路を最短距離に変更。新しい魔法で全力移動。
目的の家に到着。どうしようか一瞬だけ考えた。でも時間が惜しい。だから遠慮しない。
「おじゃまします。大丈夫、怖くない。心配しないで」
自分が言った言葉が適切かどうか自信無い。でも気にしている余裕はない。
2人がいる場所はわかる。だから遠慮せずその部屋へ。
「開けるね」
奥にいた。2人、布を被って縮こまっている。警戒している。
「大丈夫。貴方達が酷い状況なのを見て助けに来ただけ。心配しないで」
どう言えば安心するかなんて私にはわからない。でも言葉は出てくる。
「私はフミノ。この先の農場に住んでいる魔法使い。2人の名前を聞いていい?」
「私はサリア、弟はレウス。何故来たの?」
答えてくれた。まだ警戒はしているけれど。
「2人が困っていることに気づいたから。私も昔、困っていたから」
親はどうしたとかそういう事はあえて聞かない。見ただけで状況はわかる。わざわざ聞いて傷口を広げる事はない。
さて、先に食べ物を出しておこう。その方が信用してくれるだろう。
テーブルもちゃぶ台もない。でも私のアイテムボックスには割と何でも入っている。案の定、小さなちゃぶ台サイズのテーブルを発見。以前木工の練習で作ったものだな、これは。
それを出して、上にお皿とコップを2人分出す。飲み物は乳清飲料でいいだろう。食べ物は……
本当はお粥がいいのだろうけれど入っていない。だからとりあえずピタパンの甘いので。中身が肉とかよりはまだ消化がいいだろうから。
改めてレウス君のステータスを確認。大丈夫、移動中にかけた魔法でだいぶましになっている。
乳清飲料とピタパンくらいなら大丈夫だろう。
「レウス君は先にこの御飯を食べていて」
「食べていい?」
「うん、大丈夫だよ。食べて待っていて」
「お姉ちゃんの分は?」
レウス君の方も姉思いなんだな。私も姉か妹がいたら少しは違ったのかな、あの世界に未練なりいい思い出なりあったのかな。そんな事を思う。
「魔法で少し身体を治した後に出すから大丈夫だよ」
サリアちゃんの方は数段酷い。自分の食べる分もレウス君に回していたのだろう。
この状態では食べ物を食べても消化出来ないかもしれない。何せただ回復したのでは障害が残ってしまいそうな位なのだ。
ここは治療より修復の方が措置として正しい。なら多少の準備が必要だ。私はアイテムボックスから毛布を広げた状態で出す。
「治療の前に睡眠魔法をかける。眠っている間に治療は終わると思う。もし目が覚めて、私がまだ動けないようならそこの御飯を食べて待っていて」
「何故睡眠魔法を? お姉さんが動けないって?」
起きていると痛いから、なんて警戒されそうな事は勿論言わない。
「寝ている状態の方が治療の効果があるから。あと魔力を使いすぎると私も動けなくなる。でもこれは時間で回復するから心配いらない」
「わかった」
レウス君は返事で、サリアちゃんは頷いて了承してくれる。
「あとレウス君用の毛布はこっち。眠くなったら使って」
もう1枚毛布を出して、他に忘れた事が無いかもう一度考え、そして気づく。
そうだ、私には仲間がいるんだった。それも信頼できる仲間が。
「あとサリアちゃんとレウス君。もしかしたら私の仲間が迎えに来てくれるかもしれない。そうしたらその人達の言う通りにして。大丈夫、優しい人達だから」
特にリディナは私の考えくらいお見通しだ。万が一私が魔力不足で倒れても、いや、そのくらいの魔法を使ったなら余計にこの場所に私がいる事に気づくはず。
だから心配はいらない。
先程と同様レウス君は返事で、サリアちゃんは頷いて了承してくれる。
「それじゃサリアちゃんはここに横になって」
彼女は素直に横になってくれた。細すぎて小さすぎる身体が痛々しい。
よし、それでは治療開始だ。サリアちゃんに睡眠魔法をかける。強さは概ね3時間分程度。全く魔法抵抗力がない感じであっさりかかった。
「お姉ちゃん、寝ちゃった?」
「そう。寝ている方が身体の治りが早いから」
それでは修復魔法だ。
遺伝子の中に入っている筈の正しい身体の設計図を意識する。科学的にはそんなイメージは正しくないかもしれない。でも魔法の場合はこれでいい。
その設計図の中の、この子が栄養的にも正しく育った状態。その情報の存在を強くイメージして魔法を起動。
思った以上に魔力が吸われた。でも問題ない。今の私の魔力はヴィラル司祭を治療した時の5割増し以上。
意識が飛びそうになる。これは魔力の急激な減少のせい。気合いでイメージを保ち続け、魔力を注ぎ続ける。
大丈夫、魔力の動きに反応がある。魔法は起動している。起動して反応している。だから問題は魔力と魔法を起動している私の意識だけ。
魔力の動きでわかる。成功している。うまく行っている。ただ意識を保つのが辛い。でもこれくらいならまだ大丈夫、まだ。
魔力の消費する割合がふっと減る。終わりは近い。大丈夫、今回もぎりぎり魔力は持ちそうだ。
でも本当にぎりぎりかも。あ、大丈夫。魔力の減りが止まった。魔法が終了した。失敗した感じはない。
ステータスを確認する。大丈夫、状態異常は少しだけ残っているけれど、この程度ならあとは普段の生活で何とかなる。
ふっとめまいがした。座った状態を保てない。全ての感覚が落ちていく。この状態は何度か覚えがある。魔力切れ。だから問題無い。
リディナの気配を近くで感じた気がした。でも確認する前に私の意識は途絶えた。
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