人助けをしたら〇〇ができました。【KAC2021】

えねるど

ただおうちに帰りたいだけなのに

「――であるからして……」


 甲高い講師の声が響く講義室。

 その最後列の席で、俺の視線は腕時計と黒板を頻りに交互していた。


 あと三分――。


 俺は家で過ごす時間が好きだ。

 周りの目も気にせずに、自分の時間を過ごすことができる。

 ゲームをしたり、好きなアニメや動画を見たり。

 

 好きなものを食べながら、好きなものを見る。一人暮らしの特権ってやつか?

 俺の短い人生とって、このおうち時間が一番幸せな瞬間かもしれない。寂しい奴ってのは言うなよ。


 そんな俺の最近の新しい楽しみの一つ。

 それは動画配信サイトの生配信の視聴だった。

 

 たまたま動画サイトを徘徊していた時に、たまたま視聴してみた配信。

 その実況者がとても可愛くて面白くて、一瞬で好きになった。


 今日の十二時から、その実況者の生配信があるのだ。


 あと一分――。


 チャイムと同時に走る準備はできている。

 講義終了が十一時二十分。十一時四十分の列車に乗り込めれば、自宅には十二時前につけるはずだ。

 事前に視聴中に食べる用の昼ご飯は買ってある。あとはレンチンするだけだ。


 よりにもよってこんな真冬に、たった一限の為に大学に出てきた俺を褒めてやりたい。

 ……出席必須な講義だから仕方ないけどさ。


 頭の中で小さくボヤいていると、チャイムが鳴った。

 講師がまだ何か言っていたが関係ない。俺は講義室を飛び出した。



 駅までは走って三分くらい。歩いても十分に間に合うが、はやる俺の心が自然と足を駆り立てていた。

 大粒の雪が降りしきる中、根雪の張る走り辛い歩道をスリップに気を付けて走る。

 もうすぐ、何人なんぴとたりとも邪魔のできない俺のおうち時間だ。


 赤信号の横断歩道で俺は止まった。ここを渡れば駅だという時に、

 

「すみません」


 と俺の背後から声がした。

 振り返ると背の小さなお婆さんが大きな紙切れをもって俺の顔を見上げていた。軽くあたりを見回しても他には誰もいない。


「俺ですか?」

「ここに行きたいんだけど、お兄さんわかる?」


 老眼鏡をこれでもかと見下げながら手に持っている地図を指さすお婆さん。

 同時に横断歩道信号は青になり、カッコーと鳴き始めた。


「えーと」


 時間がない、見捨てようか、そんな葛藤が一瞬で頭上を渦巻いた時、


 ――困っている人がいたら、どんな時でも助けてあげなさい。


 母親の昔からの口癖がよみがえり、俺の葛藤は吹き飛んだ。


 地図を見れば幸いすぐ近く。これなら歩いても一分くらいだろう。


「案内しますよ」

「助かるわ、お兄さんありがとうね」



 お婆さんの歩みは予想以上に遅かったが、無事に送り届けて時計を見てもまだ十一時三十分。四十分の列車にはまだ余裕で間に合いそうだ。


 来た道を走って戻り、再び先程の横断歩道についた。さっきより雪が強くなっていた。

 車通りが少なく、信号無視してもいいのかもしれないが、小さなころから一度もそれをしたことが無いのはしつけの厳しい母親のおかげなのかもしれない。お母さん、あなたの息子は真面目に育ちましたよ。


 車道信号が赤に変わり、間もなく横断歩道の信号が青にというときに、


「スミマセーン」


 さっきと同じだがアクセントのおかしい声がかかった。

 振り返って俺は心臓が止まるかと思った。

 二メートルはあるだろう屈強な外国人の大男二人が俺を見下ろしていた。

 お母さん、育ててくれてありがとう、短い人生でした。


「写真、撮ってクレマスカ?」


 見た目からは考えられないほど愛くるしい笑顔で、俺にデジカメを差し出してきた。

 わあ、なにそのベビーフェイス。ギャップ萌えってこういうことかしら。


「Sure」


 格好よく英語で答えたが、デジカメの画面には英語ではない文字が表示されていた。

 ……英語が通じる国の人であればいいんだけど、と少し熱を帯びた顔で思った。


 無事に数枚の写真を撮り、大袈裟にお礼を言われ激しい握手をされて解放されると、ちょうど信号が赤に変わったところだった。

 タイミングが悪い。あの外国人たちも、わざわざこんなところで観光しなくても。マジで何もないぞ。


 信号待ちの間に見た腕時計は十一時三十四分。まだ間に合うが急がねば。


 まさか、もうこれ以上は……無いよな?

 そう思って頭の雪をはらいながら辺りを見回すと、明らかに困っている顔をしたセミロングヘアの女性が路駐した車のそばできょろきょろしていた。


 ――困っている人がいたら、どんな時でも助けてあげなさい。


 再び葛藤が始まる。助けていたら今度こそ間に合わなくなる。

 それに助けを欲しているとも限らないしな。俺には唯一無二のおうち時間が待っているんだ。


「……母さん、ごめん!」


 あなたの息子は初めてあなたの言いつけを破ります。

 大丈夫、きっとあの女性は若くて可愛いし、俺じゃなくても助けてくれる人はいるはずだ。

 俺は刺すように光るハザードランプに罪悪感を感じながら、信号が青になると同時に駅に走った。


 長い階段を駆け上がり、改札を通り抜けようとした時に誰かに行く手をふさがれた。

 顔を上げると見知らぬおじさんだった。


「現在、大雪の為、列車が遅延しています。次回の列車到着の目途が立っておりませんので、こちらでお待ちください。改めてご案内します」


 駅員のようだ。

 って、ちょっと待て! 目途が立ってない?

 それは真実のようで、いつもは時刻の表示されているはずの電光掲示板は電源が落ちているように真っ暗だった。


 待ってくれよ、俺の楽しみはどうなる!?

 俺が何か悪いことしたか? 俺はただ、おうちに帰りたいだけなのに。


 ……待て。冷静になれ。

 腕時計は十一時三十九分。列車はダメそうだが、タクシーなら間に合うはずだ!


 俺はタクシー会社に電話をかけた。

 だがどのタクシー会社にかけても、通話中の音が鳴るだけだった。考えることは皆同じ、ということか?


 絶望感がじわじわと足元から這いずりあがってくる感覚の中、せめて路上でタクシーを拾おうと駅から外に出ると、先ほどよりも増して大雪になっていた。おびただしい量の牡丹ぼたん雪。


 諦めまいと拳を握り締めてから、道路に近づいてタクシーを探す。

 雪に視界阻害をされながら、三分ほどで一台のタクシーが通りかかった。

 しかも『空車』のマーク。個人タクシーのようだった。奇跡だ!


 身を乗り出さんばかりに手を上げると、やけに揺れるタクシーが停まった。

 びっくりするくらい年をとったおじいちゃんが運転手だった。大丈夫か……。


「どちらまで?」


 見た目に反してはきはきした口調で問いかけてくる運転手に、俺は自宅の住所を伝える。

 短い返事の後に、アクセルが踏まれた。腕時計は十一時四十四分。ギリギリ間に合う。


 俺が胸をなでおろした瞬間、タクシーは止まった。

 まだ三メートルも進んでいない。


 タクシー運転手は何も言わずに唐突に車から降り、何やら屈みこんでいる。

 すぐに運転席に戻ってきて、信じられないセリフを吐いた。


「すみません、パンクしちまったようで……」



 降ろされた歩道で俺は今度こそ絶望していた。

 列車は遅延。タクシーは電話がつながらない。歩いたら一時間以上はかかる。

 すみませんって単語がトラウマになりそうだ。俺何か悪いことしたか?


「悪いこと……」


 降りしきる大雪の中歩道に立ち尽くす俺は、道路の向こうにいる先程の女性が目に入った。

 車の傍で、未だに困った顔できょろついている。


「わかったよ、母さん」


 どうせもう間に合わない。それなら迷わない。

 俺は律儀に少し離れた横断歩道を経由して女性のもとに向かった。




 母さんの言うことは守るべきだな、と心から思った。

 奇跡と呼ばずして何と呼ぶ、という感じだ。


 困り果てていた女性は、雪の降らない町から引っ越してくる最中、運転免許を取ったばかりなのにいきなりの雪道で軽くスリップして恐れをなし、運転ができないでいた。

 代わりに運転してほしい、といわれた時には驚いたが、目的地の住所を訊いてもっと驚いた。


 女性の引っ越し先、目的地のアパートは俺の住むアパートだったのだ。

 少し飛ばし気味に運転すること約十分、無事にアパートの駐車場についた。


「本当にありがとうございました! いつか必ずお礼をしますので!」

「いえ、気にしないで、じゃ俺はこれで」


 時計は十一時五十八分。間に合った! まさに奇跡だ!

 俺は階段を上がり、自室の前で鍵を取り出していると、さっきのセミロングの女性もついてきた。


「まだ何か? お礼は本当に大丈夫だよ」


 俺のおうち時間の邪魔をしないでくれよ? という意味を込めて早口に言うと、女性は不思議そうな顔でやんわり首を傾げた。


「あの……私の引っ越し先、この部屋なんですけど」

「は?」

「二〇二号室……ですよね?」

「そう、ここは二〇二号室。家だよ」


 女性は眉を寄せて手に持っている葉書ハガキを見つめていた。

 そしてさらに首を傾げた。と思った瞬間、


「ああ!」


 と大きな声を出して目を丸くした。何が?


 俺も気になって女性の持つ葉書ハガキを覗くと、確かに『二〇二号室』と記載されていた。

 管理人か大家の間違いだろうか。とにかく、ここは俺んちだ。


 ピ! と俺の腕時計から十二時ちょうどを知らせる音がなった。

 それと同時に居ないはずの俺の家の扉が開かれた。


「あら、アンタどこ行ってたの?」


 母さんが俺の家から出てきた。なんで?


「母さん!? 何勝手に俺の家侵入してるの!?」

「何よ人聞きの悪い。前に合鍵くれたでしょ。それにアンタ家汚すぎ。勝手に掃除したからね」

「おい!」

「あら! 一緒だったのね! みゆきちゃん、遠いところお疲れ様!」


 母さんは俺を無視して後ろの女性に声をかけ始めた。

 どういうこと?


 混乱中の俺に、手におたまを持った母さんが、


「母さん再婚したから。その子は再婚相手の連れ子のみゆきちゃん。十八歳だからアンタの妹ね。ここで仲良く暮らすのよ」

「再婚?」


 混乱要素が莫大に増幅した。

 妹? 連れ子? 暮らす?


 意味が分からないままゆっくり女性を見ると、セミロングを弄りながらちょっと顔を赤らめてからお辞儀をした。


「みゆきです。これからよろしくお願いします。その……お兄ちゃん」



 人助けをしたら、妹ができました。

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