VS.スパーリングプログラム

 直後、まるで爆発でも起きたかのように扉が爆ぜる。両開きの扉の内、1枚は壁に激突し、もう1枚は客席に突き立った。突然のことにも関わらず、その場の誰にも当たらなかったのは幸運だったと言えるだろう。

 私は扉が飛んできた方へと油断なく身構える。ふと、まるで爆煙のように立ち込めるほこりの向こうに、人影を視認したような気がした。もしかしてあれがスパーリングプログラムだろうか。

 そんなことを考えていたその時、突如人影が煙を突き破って、私と青山さん目がけて飛びかかってくる。

 今度は確かに見えた。こちらに向かってミサイルのようにかっ飛んでくるのは、ボクシングパンツを履いた痩せ型の男だった。


「危ない!」


 誰かがそう叫ぶのと私の蹴りがスパーリングプログラムの頭をぶち抜くのは同時だった。

 ゴキン、という何かが折れる音を残してスパーリングプログラムは横っ飛びに吹き飛び、壁に激突して再びほこりを巻き上げる。その上に壁の欠片がパラパラと舞った。


「お見事」


 特に逃げる素振そぶりもなく、平然と様子を見ていた青山さんが涼しげに言う。

 だけどこれで終わったわけではないらしい。覆いかぶさった壁の欠片を振り払って、スパーリングプログラムが立ち上がった。

 目の前の光景に部員の数名が「うわ」と悲鳴をあげる。スパーリングプログラムの首から上は後ろにだらりと垂れていたのだ。


「ノックアウトとはいかなかったようね」

「いや、首が折れてるのにおかしいでしょ」


 普通なら病院送りどころか死んでいる。

 一撃で仕留めるために首を狙ったのだが、折れてなお動くとは。やはり人間と同じように考えるべきではないらしい。

 スパーリングプログラムは後ろに垂れた自分の頭を掴むと、それを前へと持ってきて無理やり繋げる。そして跳び上がると、中央のリングへと舞い降りた。

 慌ててリングの方へと身構えた私だったが、向こうから何かしてくる様子はない。


 突如、周囲から湧き出るようにして歓声が聞こえてくる。呆然と辺りを見まわすと、これまで人っ子一人いなかったはずの客席は、大勢の観客で埋め尽くされていた。観客の視線と声は、こちら――中央のリングへと注がれている。


 私は再びリングの上のスパーリングプログラムへと顔を向ける。相手は依然として、ただ氷のような目でこちらをにらんでいるだけだ。

 そこで私はようやくスパーリングプログラムの『意図』に気づく。

 言っているのだ。『早くここに上がってこい』と――。

 どうやら相手は完全に私を敵として認識したらしい。


「見ましたよね? もう十分ですか?」


 私は背後にかばった青山さんへとささやきかける。正直アレとはやり合いたくない。証拠集め解析には十分なだけ見たはずだ。

 だけど彼女は首を横に振る。


「ごめん。悪いんだけどちょっと気になることがあるから、それ倒してくれる?」


 思わず天を仰ぎたくなった。

 明らかに周囲が引いてる空気がひしひしと伝わってくる。

 いつの間にか客席でこちらを見ていた丹下部長さんがたまらずといった様子で叫ぶ。


「いや、止めるよ!?」

「すいません、倒してもらわないと困るので」


 返事して青山さんは私の背中を軽く叩く。


「やれるでしょ? 千鶴」


 そこで私はようやく青山さんを振り返る。

 目の前には何の疑いもない、まるで心の底からサンタクロースの存在を信じている純真な子供のような瞳があった。

 確信した。この人は本気で私がアレに勝てると考えている。首が折れても平然と立ち向かってくる常識の埒外らちがいにいるあのスパーリングプログラムに。


 強く拳を握りしめる。

 この人の前で無様は見せられない。

 私が。

 私なんかが青山薫のそばにいていいのは、私にどんな敵をも退ける力があるからなのだから。


「丹下部長さんたちのところへ」


 言葉少なに言って、私はリングへと上がる。頭上からリングに降り注ぐ照明が、太陽の光を間近で浴びているかのように熱かった。

 リングの上で私とスパーリングプログラムはにらみ合う。今この場にいるのは、私とスパーリングプログラムだけだ。


 相手の様子をうかがいながら私は、今の状況を把握することに努める。

 この電脳空間、ボクシング部用にカスタマイズされているせいか体力や筋力に補正がない。

 要するにほとんど現実と変わらない。

 相対するのは疲れ知らずのプログラム。状況、相手から鑑みるに長期戦は愚の骨頂。

 ならばどうするべきか答えは決まっている。

 ――短期戦に持ち込んで叩き潰す。

 そう決意した私の前で、しかし驚くべき事態が起きた。

 突如スパーリングプログラムの身体が大きくなったのだ。まるで風船が膨れるようにして。それもただ単純に大きくなったわけじゃない。骨格、筋肉量ともに先程とは比べものにならない。


「で、でかくなるんですかこれ……」


 思わず声が上ずる私に丹下部長さんが叫ぶ。


「あらゆる階級の選手に対応したスパーリングプログラムだ。この体格はヘビー級ボクサーのものだな」

「私ヘビー級じゃないんですけど!?」


 名誉のために言っておくならライトフライ級くらいだ。失礼極まりないにもほどがある。

 ――と、そうのんきに怒っている暇もないらしい。

 スパーリングプログラムはその巨躯に似合わぬ俊敏しゅんびんな動きでこちらに迫ると、抉るようなアッパーを繰り出してくる。

 身体をのけぞらせて間一髪のところで拳をやり過ごす。顔を掠める拳がまるで死神の鎌のように思えた。一発でもまともに喰らえば、そのまま頭が飛んでいきそうな勢いだ。無論、他の部位で受けてもロクな結果は待っていないだろう。ガードしたとて一発でも喰らえばタダでは済むまい。頭の中で嫌な想像がチラつく。

 私は目標を『短期戦に持ち込んで叩き潰す』から、『一発も喰らわずに短期戦に持ち込んで叩き潰す』へと修正――――したところで、突如呼吸が止まる。遅れて激しい痛みと吐き気がこみ上げてきた。

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