1話 逆行の密室

副業の時間

 ある日の深夜。誰もが寝静まった時間、薄暗い部屋の中でなばりとおるはひとり副業に励んでいた。

 私立高校とは言え教師である彼が副業をしかもこんな遅い時間にするなど言語道断だと憤慨する人間もいるかもしれない。だがそんなことを考えること自体ナンセンスと言えよう。

 何故なら隠が現在進行系で励んでいる副業とは、他人の電脳空間への侵入。すなわち不正アクセスだからだ。

 部屋の中で隠は大きく深呼吸する。瞬間、彼の肺腑はいふを甘い空気が満たした。

 彼は今、自分の学校に通う女子生徒の電脳空間に侵入しているところだが、電脳の世界と言えどうら若き女子特有の匂いというものは存在する。

 世界には様々な好事家がいる故、やむを得ず隠もたまに男子生徒の電脳空間に入ることがあるが、あちらの臭いはどうも好きになれない。高校時代に遊びに行った友人の部屋を思い出してしまうし、何より同じ男としてどうも抵抗感がある。

 平等であるべき立場の教師として性別の観点から生徒を差別するのはよくないことだと頭では理解しているが、こればかりはどうしようもない。自分も教師である前に一人間なのだと、隠は思う。


 そんなどこか破綻している彼だったが、優秀な教師であることは疑うべくもない。

 教え方は上手く、勉強の得意な生徒に対しては得意な部分を伸ばすことを心がけ、勉強嫌いの生徒に対しても平易で薄いテキストを使うことでできるだけ苦手意識を柔げて平均点を取れる程度にまで成績を引き上げることを心がけていた。また勉強面のサポートだけでなく、生徒の相談にはひとりひとり親身になって乗った。業務時間外であっても教師としての職務をまっとうしようという今時珍しいその姿勢から、生徒のみならず他の教師や他の教師からの信頼も非常に厚いものだった。

 そんな彼だからだろう。生徒たちの個人的な趣味を聞き出して、彼らの電脳空間へのを作り出すことは、そう難しいことではなかったのだ。


(さて)と腰を下ろして隠は薄暗い部屋の中、道具の調整を始める。

 これが適当では、いい商品など到底作れない。

 絶妙な角度調整とそれによって生まれるリアリティ。これこそがいい商品を生み出す鉄則だ。

 ああでもないこうでもないとしばらく試行錯誤して、ようやくその角度に満足した隠が腰を上げると、彼は部屋をぐるりと見まわす。

 室内に人の姿が見当たらない。天蓋ベッドの中ももぬけの殻。それはそうだ。今ここに自分以外の誰かがいたら大問題になる。


 先人は『人間こそが最大のセキュリティホールシステムの穴である』と言ったそうだが、まったくもってそのとおりだと隠は思う。いくら高度なセキュリティを誇るシステムであっても、それを運用する人間が愚かでは意味をなさない。

 そこまで考えたところで、隠は自分の教え子たちを愚かなどと言ってしまったことを反省する。

 愚か者でもいいじゃないか。おかげで侵入は楽だ。今夜も副業の方は滞りなく進んでいる。

 それにそんな愚か者を少しでもマシにして社会に送り出すのが教師たる自分の使命だ。

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