小説家 花咲メイビのおうち時間

マフユフミ

第1話

花咲メイビは困惑していた。

と言っても、困惑の大半はその本体である原崎明美のものなのだが。


花咲メイビとは、原崎明美が小説を書くときのペンネームである。

他の作家がどうなのか詳しくはわからないが、こと原崎明美に関しては、「花咲メイビになる」ということが小説を書く第一条件となるため、この切り替わりというのがかなり重要事項であるのだ。


今回の困惑は、原崎明美が花咲メイビに成りきることができない、という現状からうまれている。花咲メイビになれない、即ち小説家としての役割を果たすことができないことを意味する。

原稿に穴をあけるなんてこと、今まで皆無だった花咲メイビにとって、現状は焦りとか恐怖とか以前に困惑でしかないのである。


(私、今までどうやって書いてたんやろ?)


幼なじみかつ担当編集者のスゴロク曰く、明美は天才肌なのだそうだ。

「あけちゃん、変態脳に切り替わったらもう向かうモン敵なしやからなぁ」

妙に得意気に言ったスゴロクの言葉が甦る。

そうなのだ。

明美自身、書いているときは本気で(オレ最強!)と思っている。走り出したペンは止まることを知らず、推敲に悩むこともほぼないのだ。


しかしそれは、変態脳のときに限る。


変態脳とは、あらゆる事態に対してオモロイ!と判断してしまう明美の悪いクセだ。

多少のことならこの世の全てはオモロイ。

見渡す限りネタの宝庫。

それらのネタを使い、明美もとい変態脳のときに生まれる花咲メイビは小説を書く。

そしてそれは、なぜか全て猟奇殺人事件なのだが。


なのでこの困惑の元凶は、明美が変態脳になる事象がここ最近全くないという事実に端を発するのであった。


(平穏な毎日、ツラっ!)


明美は心の中で嘆きながら、さらに困惑を深めていくのであった。



原崎明美は作家「花咲メイビ」であると同時に、ただの事務員であったりする。

その職場がまたなぜか精神科の病院という少々特殊な環境にある。

何が特殊なのかというと、来る客来る客なかなかにクセが強いのだ。


精神科というのは、周囲の人々が思うよりもかなり普通の場所である。

ガチガチに閉鎖された空間、というわけでもないし、みんながみんな俯き加減に暮らしているような場所でもない。

と同時に、思いつかないような出来事が起こる場所でもある。


なぜか受付カウンターから1メートル以上離れたところで自作のド演歌を歌うおばちゃんやら、自称松田聖子だったりキムタクだったりするお姉ちゃんやら、真冬でもタンクトップ一枚でやってくるおじちゃんやら、そんな人々が普通の顔して突然現れる。

言い出せばきりがないほどのネタの宝庫なのだ。

原崎明美は、この職場のおかげで好き放題花咲メイビになれたといっても過言ではない。


ではなぜ今、こんなに明美は困惑しているのか。


(クッソ、コロナめ!)

そう、全てはコロナのせいである。


地球規模で拡大を見せたコロナウイルスは、日本においても2度に渡る緊急事態宣言や外出自粛など、前代未聞の事態を招いた。

リモートワークなる言葉が飛び交い、時短営業や交代出勤などの影響から「おうち時間を充実させよう!」なる風潮さえ生み出した。


明美の職場はなんといっても医療機関であるため、リモートワークも何も関係なく全く変わらない日常を送ってきた。

しかし、そんな中でも変わったことが唯一ある。

それは、患者が病院に来ない、ということだ。

コロナ感染を防ぐために病院がとった措置というのが、対面での診察をさけ電話での診察を行う、というもの。

注射や緊急性を要する採血などを必要とする以外の患者は一切病院に来ることなく、入院患者への面会もない。

こうなると、いわゆる「濃ゆ~い」患者さんに直接会うことがなくなる、すなわち変態脳が発令しない、花咲メイビになれない、という図式のドツボにはまったのが今現在の明美の状態なのだ。


(くそコロナ、一回しばいたる!)

鼻息を荒くするものの、ウイルスのしばき方など分かるはずもなく、明美は明美のまま真っ白な原稿用紙と向き合っているのだった。



プルルル……


突然明美の携帯が鳴る。

相手の名前に嫌な予感しかしないものの、緊急な連絡である可能性も捨てきれず、明美はボタンを押す。


「ヤッホー、あけちゃん。進んでる?」


能天気なスゴロクの声に殺意すら覚えた明美はそのまま電話を切った。

(あいつ、絶対分かってかけてきてる)

スゴロクはそういう奴だ。

人のピンチも何もかもオモロがる。オモロイことは決して逃そうとしない。

ある意味一番の理解者かもしれないが。


プルルル……


たぶん、切っても切ってもかけてくるのだろう。

スゴロクはそういう奴だ。

諦めた明美は再度携帯に手を伸ばした。


「…何か用?」

「もう、あけちゃん切らんといてよ~!」

「猫なで声いらんからさっさと要件」

「相変わらず手厳しい!さすがそれでこそあけちゃんや」


もう、何と言っていいのか、ものすごく調子が狂う。


「用事ないなら切る」

「あるある、こっちは用事大ありよ!あけちゃん原稿は?」


ぶちっ。

思わず電話を切ってしまった。


プルルル……


「はい」

「珍しいなぁ、あけちゃんが原稿まだ出来てへんなんて」

「…出来てないなんて言ってないけど」

「じゃあ出来たん?」

「出来てないけど」

「不毛なやりとり!」

そんなことを言ってケタケタ笑う。相変わらずうるさい男だ。


「なんでか原因分かってんの?」

それでもやはり編集者、ちゃんと押さえるところは押さえてくる。

「全部コロナのせいや!」

「大きく出たな」

「何が自粛や何がおうち時間や、いーっこもネタあらへんがな!何てことない人間はおとなしく家おったらええ。どっかの女受けいい雑誌みたいにおうち時間充実さして手作りパンでも作っとったらええがな。その代わり変なおっさん寄越せや、おかしいおばはん寄越せや!煮るなり焼くなり、ええように味付けしたるっちゅうねん!!」


ついうっかりまくし立ててしまった。

はあはあ、と荒い息をつく明美に届いたのは大声で笑うスゴロクの声。


「そんなけ悪態つけるんやったら大丈夫や!そのまんまのノリで誰か殺しぃや。さっきのん思いっきりあけちゃんやったけど、同時に花咲メイビやったで」

「…このクソスゴロクめ。一回殺したる(小説で)」

「いや~ん、あけちゃん。もうオレ何回か殺されてるって~(小説で)」




そんな電話でのやりとりをした数か月後。

書店に並んだ新しいミステリー小説は、世界的にも新しいウイルスに感染した編集者が担当作家に自らのウイルスを感染させて殺害していく、というなんとも現代に出していいのか分からない問題作であった。


「うそーん、まさかのオレ殺す側~??」

という声が編集部に響き渡ったとの噂だが、本当のところはいまだ謎である。








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