部屋とジャンバーと妻
サイトウ純蒼
部屋とジャンバーと妻
「しばらく休業?」
「うん、しばらく。今の会社の状況じゃねえ……」
「はあ、ケータも小学校休みなのにどうしよう……」
「大丈夫、俺が面倒見てやるよ」
「はあ……」
リョースケの会社が突如社員に対して休業を命じたのは昨日のことだった。休業補償があるから給与面で心配はないが、それ以上に妻が色々心配している様であった。
「あなた、ゴミの分別して」
「あなた、花に水やって」
休み初日、リョースケは早速普段妻がやっている家事を命じられた。
「ええっと、ゴミゴミゴミ……、それから花の水と……」
何も金銭的価値を生み出さない仕事。それはリョースケが普段行っている会社の仕事は正反対のものであった。
とりあえずそつなくこなすリョースケ。しかし通りかかった妻が言う。
「何やってるのよ! プラゴミはこっちじゃないでしょ!!」
「え、燃えるでしょ?」
「そう言う分け方じゃない」
「ああ……」
更に花壇を見た妻が叫ぶ。
「あなた、何これ!!」
「ど、どうした?」
慌ててリョースケが駆け寄る。
「この観葉植物、こんなに水は要らないわよ!!」
「そ、そうなのか……」
「もういいわ。ケータの面倒見てて!」
妻はそう言うと忙しそうに洗濯物を干しに二階へ上がって行った。
「どうしたの、パパ?」
小学校に入学したばかりのケータが怒られてばかりのリョースケに言う。
「何でもないよ、ちょっと間違えただけだ。さ、ケータも早く服着替えて」
リョースケは服を着替えるようにケータに言った。しかし少し嫌な顔をして下を向くケータ。
「どうした? もう服ぐらい自分で着替えられるだろ?」
リョースケは腰を下ろしてケータの顔を見る。
「……ジャンバー、……やだ」
「ジャンバー?」
リョースケはそう言うと壁に掛けられたケータのジャンバーを取って見た。新しい。ただそれ以外特に変わった点はない。
「これ、着たくないのか?」
黙って頷くケータ。
「どうして?」
リョースケの問いかけにケータが小声で答える。
「……ハートのマーク、いやだ」
リョースケが改めてジャンバーを見ると、胸の辺りに小さな赤いハートマークと英文字が書かれたワッペンが縫い付けてある。
「ああ、これが嫌なのか」
――小さいとはいえもう小学生。こういった少しでも女の子っぽいのは嫌なんだな。
リョースケは息子の顔を見てそう思った。
「よし、パパに任せろ。男だからその気持ちは分かるぞ」
リョースケはそう言うと、タンスにある妻の裁縫箱の中から小さなハサミを取り出した。そして縫い付けられた小さなワッペンの糸をハサミで切り始める。
――ケータももう立派な男だ。
リョースケは何だか嬉しくなってケータの顔を見た。
「よし、これでいいか!」
ワッペンが取られたジャンバー。そこには少し縫い跡があるが、紺色だったのでほぼ目立たない。
「うん」
素直にジャンバーを着るケータ。リョースケはひとつの大きな仕事をやり終えた気持ちになった。
「あらケータ、そのジャンバー着るようになったの?」
洗濯干しを終え、二階から降りてきた妻がケータを見て言う。リョースケが少し得意顔で答えた。
「ジャンバーに付いていたワッペンがハートマークでさ。それが嫌だったみたい。だから取ってやったよ」
「えっ!?」
驚いた表情をする妻。リョースケはゴミ箱から小さなそのワッペンを拾い上げて妻に見せた。
「あなた……、何やってるの……」
「え? なんで?」
「それお隣の鈴村さんからお借りしたジャンバーなのよ……」
「!!」
隣の鈴村さんの男の子。ケータより少し幼い幼稚園児だ。妻の話ではおばあさんからプレゼントされたジャンバーが大き過ぎたので、しばらくケータに貸してくれていたとのこと。
「そんなこと、知らなかったよ……」
顔が青くなるリョースケ。妻が怒声で言う。
「何で余計な事ばかりするのよ!! そもそもどうして取っちゃうわけ?」
怒り出した妻にはもう何を言っても無駄であった。下を向き、黙ってお叱りを受けるリョースケ。
「とにかくあなたどうにかしなさいよ!!」
妻はまた家事をするために別の部屋へ行った。
「はあ……」
リョースケは大きくため息をつくと小さなワッペンを見つめた。横で心配そうにリョースケを見つめるケータ。リョースケはケータの頭を撫でながら言った。
「心配するな。パパが悪い、ごめんな」
リョースケはケータにテレビでも観て来いと言って別の部屋に行かせた。そして裁縫箱から針と糸を取り出し慣れない手つきでワッペンを縫い始める。
(裁縫なんて小学生で習って以来か……)
「痛て!」
部屋でひとり裁縫に悪戦苦闘するリョースケ。縫えそうでなかなか上手く縫えないワッペン。裁縫がこんなに難しいことを初めて知った。
「貸しなさい」
リョースケが裁縫に苦労していると、後ろから妻がそう言ってジャンバーを取り上げた。慣れた手つきで裁縫をする妻。流石である。でもリョースケは裁縫よりも別のものを見ていた。
――妻の手ってこんなに荒れていたんだ……
付き合っていた頃の妻の手は細くて繊細で、ちょっと力を込めたら潰れてしまいそうであった。でも今その手は家事のせいかガサガサで手荒れが酷いものであった。
でもリョースケにはその手がなんだかとても愛おしかった。邪魔をするとまた怒られそうだが、その荒れた手を思い切り握ってあげたかった。
「どうしたの?」
自分をじっと見つめるリョースケに気付いた妻が言う。
「ううん、ありがと」
「はいはい」
休みの朝、こんなおうち時間も悪くないなあとリョースケは思った。
部屋とジャンバーと妻 サイトウ純蒼 @junso32
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