第30話 争う声のあとにやってきた謎の女

 用足しから戻ってナナちゃんを荷台に乗せ、俺は馬に乗ってふたたび街道を進む。手綱を握るティアは、鼻歌を歌っていた先ほどとは打って変わっておとなしく、どこか機嫌が悪そうだった。


「ちょっと遅かったんじゃない?」

「なにが?」

「そいつの小便から戻ってくるの」

「そうかな」


 そうかも。


「マオ兄さんもしてたの?」

「あ、いや……」

「にーにもおしっこかの? ならば今度はわしが拭いてあげるのじゃ」


 背後の荷台から聞こえたその言葉に俺はゾッとする。


「拭くってなに?」

「いや……その……」


 正直に言ったら変に思われる……よな。やっぱり。

 2つか3つの子だったらともかく、8つの子のだもんなぁ……。


 頼まれたとはいえ、やはりするべきでなかった思う。


「にーににわしのお股をの……」

「ナ、ナナちゃんっ」


 振り返った俺は顔の前に人差し指を立ててシーッと呟く。

 うまく伝わらなかったのか、ナナちゃんは首を傾げた。


「拭くって……まさか小便の処理をしてやったとか」

「……仮にそうだとしたらどう思う?」

「汚いと思う。拭いた手を切り落とそうと思う」

「やってない。絶対にやってない」


 冗談とは思えない冷たい声で言われたので、俺は咄嗟に嘘を吐いて両手をティアから離して後ろ手に組んだ。


「嘘ついたってわかるよ。長い付き合いなんだから」

「ごめん。許して……」


 ティアに許しを請う意味はわからないが。


「1回だけ許す。2回目は無い。具体的に言うと手が無い」

「わかりました……」


 そんなに悪いことしたかな。

 少なくとも手を失うほどのことのことではないだろう。


 なんとも釈然としない気持ちのまま、俺はふたたびティアの腹に腕を回した。


 ……


「――けーけっけっけ、てめえら身ぐるみを……ぎゃー!」


 夕方ごろ。

 王都まではあと半分くらいだろうか。そろそろこの辺で野宿をしようかと思っていたところに盗賊が現れ、瞬く間にティアが排除した。


 数十人はいたか。

 獲物を見つけて笑っていただろう顔は恐怖に引きつり、連中は次々とティアの剣によって肉塊と化していった。

 気付けば周囲は死体だらけ。

 ティアは息ひとつ切らさず、盗賊から剥ぎ取った服で血まみれの剣を拭いていた。


「前から思ってたけど、どうやって返り血を浴びないで殺せるんだ?」


 派手に盗賊を斬り刻んだというに、ティアは返り血を一切浴びていない。共に旅をしていたときから疑問に思っていたことである。


「ん? んー……あんまり考えたことないけど、なんとなくかな。こーやって斬れば血があんまりでないとか、あーやって斬ったら血がこっちに飛ぶとかなんとなくわかんの。経験かな」


 端からはただ殺しているようにしか見えないが、なんとも職人芸のような殺し方をしているものである。


 死体だらけの場所から移動し、野宿の準備をする。まずは馬を木に繋いでエサの草やニンジンを何本か与え、それから小枝や草を集めた。


「小枝と草をどうするのじゃ?」

「火を起こして焚き火をするんだよ。火があれば明るいし獣避けにもなるからね」

「なるほどのう」


 屈んでこちらを見つめるナナちゃんの前で俺は火を起こす。パーティではいつもやっていたので手慣れたものだ。

 まあ火起こしなどやり方さえわかればそれほど難しくはない上、獣は避けても魔物には効果がないので、あまり重宝されない技術ではあったが。


 野宿の準備ができたころにはもう日が落ち、あたりは暗くなっていた。

 周囲を照らす焚き火を囲み、俺たちは夕食の干し肉とパンをかじる。


「ナナちゃん固くない?」


 俺は平気だけど、小さい子に干し肉は固くて噛みきれないかもと心配した。


「ちょっと固いのじゃ」


 はむはむと一生懸命に噛んでいるナナちゃんだが、肉が噛みきれる様子はない。


「俺のパンをあげるよ。こっちのほうが柔らかいから」

「にーにの噛みきった肉をもらうのじゃ」

「いや、一度、口に入れたのは汚いから……」

「にーにとは何度も口づけをしているのじゃ。そんなことは気にせんでもいいじゃろう」


 そうかな? いやでも……。


「マオ兄さん……」

「えっ?」


 肩を掴まれて振り返ると、そこには目を見開いてこちらを凝視するティアがいた。


「ひぇ……。なんて顔してるんだお前」

「そんなことよりマオ兄さんさ、なんでそいつとキスすんのさ? 私にはしてくれないのに」

「こ、子供のいたずらだよ。てかなんでお前にキスをするって話になるんだよ?」

「この鈍感が! 殺してやる! 殺してやるんだ! 私と一緒に死ねーっ! うわぁぁぁん!」

「ちょっ! ちょっと待て! 剣を抜くな!」


 剣を振り回そうとするティアの腹に抱きついて必死に押さえる。

 その横でナナちゃんは平静な面持ちで干し肉をしゃぶっていた。


「なんか聞こえるのう」

「テ、ティア! 落ち着けって! えっ? な、なんか聞こえるって? ティア?」

「うわぁぁぁん……ん? 確かになんか聞こえるかも」


 声を無くし、ピタリと動きを止めたティアと共に耳を澄ます……。

 剣を打ち合う高い音。それに多数が争う声が加わって遠くから聞こえていた。


「この辺りで誰かが争っているのか」


 襲われているという風ではない。小競り合いのような声であった。


「魔物や獣らしい声は無いし、人間同士の争いだね。たぶん盗賊が商人の護衛と戦ってるとかそんな感じじゃない?」

「まあ……そうだな。たぶん」


 ならば助けに……いや、俺の能力はナナちゃんを守るために発動したものだ。赤の他人を守るためには発動しないかもしれない。


「気になるなら私が行って助けて来ようか?」

「あーいや……それはやめておこう」


 助けたいと思ったのは俺だ。俺のお節介にティアを付き合わせるわけにはいかない。

 それに盗賊と商人の護衛が……というのはティアの予想だ。実際は盗賊同士が争っているだけという可能性もある。ナナちゃんもいるし、危険はできるだけ避けるほうが懸命だろう。


「うん。わかった。じゃあ続きをしようか」

「続き?」

「そ、続き。うわぁぁぁん! 私と一緒に死ねーっ!」

「勘弁してー!」


 ふたたび暴れだしたティアに俺は、腹に抱きついたまま振り回される。


 ……なんとかティアを落ち着かせて先に寝てもらう。

 ナナちゃんも眠ってしまい、俺だけが見張りとして起きていた。


 争う声や音はずいぶん前にやんだ。

 どうなったかを考えるのは無駄だろう。関係の無いことだ。


 俺は焚火をぼんやりと見つめ、周囲の音に耳を尖らせていた。


 眠い……。


 しかし全員が寝てしまうわけにはいかない。

 眠気に耐えられなくなったら、ティアを起こして見張りを代わってもらおう。


「……うん?」


 足音が聞こえる。

 音のする方角に目をやると、こちらへ近づいてくる人影が見えた。


「盗賊か?」


 しかしひとりだ。

 おぼつかない足取りで、ふらふらと歩いていた。


 焚火の光に当てられ、だんだんと姿がはっきりとしてくる。


「女……?」


 それは鎧を纏っているが、確かに女だった。

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