エンドロールまで愛してね

位月 傘


 完璧な私のことを愛していると言ったその口で、彼は欠落こそ真に価値のあるものと宣った。だから私は彼の前から姿を消した。私たちが一生になるために。


 

 神である私から言わせれば、欠落とは人間の特徴であり、そして避けようのない欠点である。老いも病も怪我も、別れも失敗も略奪も、醜く汚らわしい。

 出会いは偶然ではなく、明確な意思を持って私のもとへ彼が訪れたことから始まった。

 私たちとは違って彼は人間に崇められた末に神に祀り上げられ、人としての肉体を捨て、英雄として星になるでもなく、こうして天の末席に身を置いた。

 所詮人間だと言っても、神として名を連ねるならば私たちと同じものだ。侮り見下すような態度は美しくない。それにどうせなら真っ向から威厳を見せ、立場を分からせたほうが手っ取り早いだろう。そんな考えを押し隠すために微笑んだ。

「ここに来るまで随分かかったのが気になるけど……まぁいいわ。新しい神の誕生を祝福します」

「それはそれは恐悦至極。以前から貴女とは直接お会いしたいと思っておりました」

「以前から?」

 男は槍のような物を片手に、口元だけで笑って見せた。私は安易に人前に姿を見せるようなことはしない。彼がこちらに来てから顔を見合せたのもここが初めてである。

「完璧な女神がいると聞いて」

 おそらく彼が人であったときに口承で聞き及んだのだろう。しかし人間が興味を持つようなことをしたことがあっただろうか。人間に崇められなければ存在できないほど柔ではないし、基本的に人間のためになにかをしてやろうと思うこともない。

 誰かに認められなければ自身が完璧であるという証明にならないような、そんな脆さは完成された私には関係のないことだ。

「言い伝え通りだ、貴女は完成されている。誰もがそういう貴女を求めているから、きっと今後も君の何かが損なわれることはないんだろう」

 男の言葉は取り繕ったような丁寧さを失っていた。興奮したように強くなる語気に、にこりと微笑む。

 男の言ったことは、当たり前すぎて賞賛にもならない。それでも私を前にしたのだ。賞賛せずにはいられないのも取り繕うことを忘れてしまうのも、目こぼししてやれるほどには理解できる。

「だから俺が、俺だけが、君をもっと美しくできる」

「……それはつまり、侮辱かしら」

 思わず眉を顰める。永久不変こそが美しいものであるからして、これ以上を求めることそのものが美しくないというのに。

 それになにより、この男、私に美しさを説こうだなんて。疑問より不快さが先に立ち、石にでもしてやろうかと考える。

「私を完璧だと言いながら、それ以上を求めるだなんて。おまえ、天から落とされる覚悟があって?」

「これは失礼。しかし侮辱のつもりも、驕り高ぶるつもりもないのです。ただこれは、信念と信仰の話なのです」

「それを証明しようと思うのなら、もっとこちらに寄ってお前の瞳を見せなさい。嘘を吐いたら、直ぐにそのおしゃべりな舌を引き抜いてあげる」

 素の話し方もそうだが、随分と芝居がかった様子が鼻についた。玉座に座したまま、背筋をまっすぐと伸ばして立ち上がる男を見やる。所作が堂々としているのも相まって、やはり傍から見ると仰々しい。

 目の前に来た男の瞳をじぃっと見つめる。やはり怯えや恐怖という感情は見えず、あるのは自信に満ちたそれと、どこか熱に浮かされたような色だけだった。まるで自分が唯一神であるのだと信じて疑わないような傲慢な姿に呆れと憐れみが沸き上がり、見ていられなくて思わず視線を視線を落とした。所詮人は人でしかない。

 ――そんなことをどこか別のところで考えていたのが悪かったのだろうか。左目に衝撃が走る。残った右目をぎょろりと動かして、男の表情を正しく捉える。やはり熱に浮かされたような色だった。

「………………最期に見える景色が私であることに感謝なさい」

 理由は理解できないが、状況は理解できる。空いた手を軽く左右に振って、宙で男が持っているものと同じ形を掴む。そこでようやく男の手にあるのが槍ではなく銛であることに気づいた。

 これが私と、最悪に悪趣味な人間上がりの神と呼ぶのもおこがましいような悪魔との因縁の始まりだった。

 


 人間が作るような鉄の塊が私を傷つけることなんて出来やしない。どこの神殿から盗んできたのか、はたまた温情でどこかの神から賜ったのか知らないが、よりによって刃をこの私に向けるなんて。

 非常に不本意なことだが仕留める前に男は煙のように姿を消して、私の瞳も持ち帰られてしまった。代わりに私の左目には男の物だった蒼い瞳が収まっていた。


 あぁ、許せない、憎らしい、一刻も早く殺してやりたい、殺すよりもひどい目に遭わせてやりたい。怒りに任せて男の故郷を嵐で襲えば、男は心底楽しそうに微笑んだ。

 なにも傷つけられたことが、いやそのこと自体も大層憎らしいが、それよりもこの私から『奪った』ことが許せない。

 完璧とは永久不変なことだ。どんな些細なことでも変化が起きてしまったなら、それはもう元に戻ったとしても完璧と呼ぶには至らない。だから私は絶望した。そしてそれ以上に憎くて憎くて、他のことが考えられなくなってしまった。


 人から神になったような、あんなまがいものに、私の永遠を破滅させられるなんて、お前のせいで、完璧ではなくなるなんて。

 万全の状態であれば私が悪魔に負ける道理はない。殺すには至らなくても出会う度に腕を、足を、心臓を抉り取ってやる。いくら人間の器を捨てたとて苦しくないはずなかろうに、男はいつも心底楽しそうに笑って、煙のように消えていく。


「やはり完璧だなんてつまらない!君だってそう思うだろう?」

「よくそんな口が回るものね。やっぱり出会ったときに舌を抜いてやればよかったかしら」

「ははは!それは勘弁してくれ、君の美しさへ賞賛を送らないなんて耐えられない」

「……私の顔に泥を塗っておいて?」

「花を添えたと言ってくれ」


 完璧であることが私自身の証明であったのなら、完璧でなくなった私に価値はない。完璧でなくなった私を称賛する者はいない。この男を除いては。

 カーテンコールの最中のような賛美の声はは止まない。色違いの瞳を、いつの間にか歪に切り取られた髪を、嘆く声を、憎悪に歪んだ私の内面を、今まで誰も見向きもしなかったものすら、美しいものだと言う。


 欠けた私に対するそれは、侮辱か皮肉以外に有り得ないはずなのに、この男だけがこころの底から、まるで、そう、恋してるみたいに笑うものだから、なんとなく舌を抜くのは後回しにしてしまった。


 今日も左目が痛い。そんな柔な体ではないはずなのに。私のものでない左目が痛む度、私の物だった男の左目も燃えるような熱さを持つのだろうか。そう考えると少しばかり胸がすくような思いがした。


 これはすぐに気づいたことだが、私が男にそうであるように、男が私に執着しているのも紛れもない事実であった。奪われることを承知で、私がしばらく顔を見せなければ私の元へやってきて、また何かを奪おうとした。当然返り討ちにしたけれど。

 それが真に愛と呼ばれる類なのか、完璧と呼ばれたものに傷をつけた優越感からなのかは知らない。そんなことは問題にすらならない。

 本当に問題なのは、私が欠けたものに、欠けることができるものになってしまったことだ。そして欠けたから彼が興味を持ったことだ。そんなものは人間と、獣と、彼の愛する有象無象と同じだ。

 私からなにもかもを奪いつくしておいて、ぬるま湯の中にいるような大勢の愛すべきものの一つになるなんて、許せない。

 


 だから私は彼の前から姿を消した。彼は私の元へ訪ねてくるだろうから、言葉だけをその場所へ残しておいた。

 案の定、男は私が隠れていた場所にすぐに訪ねてきた。いつになく真剣な顔をしていたものだから、思わず声を上げて笑ってしまいそうだった。死にそうな顔とはこういうものを言うのだろう。

 いつものように得物を構える。いつものように男は私に向かって銛を向けた。いつもと違って腹部にそれが刺さるのを黙認して、私は自身の手に合った同じものを後ろに放り投げた。


 唖然とした表情で動きを止める男の顔を両手で覆ってキスをして、そのまま無理やり私の口に含んでいたものを相手に流し込んだ。可哀想なひと。でも最初に心臓を奪わなかった自分を恨んでね。

 飲み込んだのを確認してそっと離れる。私の腹には依然として男の手がつかんでいる銛が刺さっているからそう遠くへはいけないけれど。

 悪魔のような彼は赤い顔をしてげほげほとせき込んで、それからなんだかわからないような表情のまま私を睨んだ。なんだ、あなたって結構初心だったのね。

 やっぱり無性におかしくて、ついに声を上げて笑ってしまった。理解の追い付いていない男が口を開くよりも先に、もう一度口づけた。

 あなたの肉体がいとも簡単に失われて、あなたの表情が言葉を交わすたびに変わるから、ようやく私は変化を受け入れてあげる気が起きたのよ、そう言ったらどんな顔をするかしら。

 

 あなたが私を美しいと言ったから、それでも私にとっての美しいとは失われてしまったものだから、だから、私は完璧に美しく微笑んだ。

「運が良ければ、星になれるかもしれないわね」

 でもきっと、あなたは星になっても私の隣でじっと寄り添い続けることなんてしてくれないんでしょうけど。

 口に出すのは悔しくて、代わりにとびきり艶やかに笑って見せた。だって私は完璧に美しいものだから。

 ねぇ、流星のようなあなた。ほんとうは私、ずっと沈まない太陽で居たかったの。なのにあなたが、満ち欠ける月に追いやったのよ。

 もう、この際それは仕方ないから受け入れてあげます。だからあなたの愛した欠落と一緒に、私と永遠になってね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エンドロールまで愛してね 位月 傘 @sa__ra1258

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ