おうちでスイーツ・バイキング(通年開催)
汐凪 霖 (しおなぎ ながめ)
リビング・スイーツ・パラダイス
ミルクティーとビスケット。
母は食べることが大好きで、当然のように、おやつも食事と同じほどに重要視している。だから、出される菓子の種類は豊富である。常に数種類の焼き菓子や冷菓子が揃えられていて、「今日は、どんな組み合わせにしましょうか?」という言葉から甘い時間が始まる。
ひとつかふたつでいいのに、スイーツ・バイキングでも開けそうなほどの品揃えと量を誇る榊原家の菓子庫を管理する女主人は、それを良しとしない。父が紅茶のコレクションを並べている棚も甚だしく大きいが、母が菓子類を蓄えているそれも、中身を考えると非常識なサイズだ。しかし、いつも、ほぼ、すべての空間が埋まっている。近所の洋菓子店、パティスリー・ブランローズの焼き菓子も多いが、有名な製菓会社のビスケットや袋菓子もある。それらは海外での仕事のときに配ると評判がいいらしい。
「美弦。それだけ?」
パンプキン・プディング、チーズタルト、チョコチップクッキー、苺のギモーブ、ドライトマトを次々に大皿に乗せている姉に訊かれ、美弦は頷いた。
「うん。最初から多いと大変だよ」
姉の
ビスケットは、
ミルクティーはアッサムでもいいけど、今日はディンブラ。シッキムのオータムナルが前回で切れてしまったから、しばらくミルクティーにするならルフナと三交代……ケニルワースも入れて四交代でもいいかもしれない……綺音は嫌がるけど、アールグレイでのミルクティーも、なかなかの味わいだ。
この家で紅茶を淹れるのは、父か美弦が多い。母が淹れることもあるが、綺音はティーポットに触れない。尋常じゃなく偏った紅茶党の父子が煩瑣いので、ティーバッグをこねくり回してしまうほど短気な彼女は、最初から黙って給仕されるのを待つほうが平和だと学んだのだ。そこで、彼女は作業室でオーボエのリードを削っている父を呼びに行く役目を名乗り出て廊下に出て行った。
厚地の白いカップに砂糖を入れていく。
綺音は三杯。自分と両親は二杯。
そこにミルクを少量注ぐ。これは全員、同じくらい。
温めたティーポットに茶葉を量り入れ、沸いた湯を注ぎ、ティーコジーで覆って保温する。
電子レンジにカップを並べ、時間を見計らってスタートボタンを押した。
紅茶が蒸らし終わるころに電子レンジが終了の音を鳴らしたので、取り出してかき混ぜる。砂糖が溶けたところに紅茶を注いで、優しく混ぜた。
クリーミーで茶葉の香りの邪魔をしないことから、ミルクは低温殺菌のものが望ましいというが、美弦は気にしない。茶葉の風味を優先したいなら、そもそもミルクを入れないからだ。毎日ミルクティーを飲むのならばいいが、気分で飲まない日も続くのだから、日持ちの良い牛乳を買い求めるほうをより重視すべきだ。
また、ミルクは常温にすべきという話も聞くが、父がスイスに留学していたころにミルクティー談義をした教授が、電子レンジを使ったこの方法でミルクティーを入れるのを強く推奨したのだという。これなら砂糖がミルクに溶けて、あの忌々しいタンパク質の膜はほぼ生じない。保温してジャンピングさせた茶葉の成果がミルクの冷たさに台無しになることもない。ミルクが常温になるまで放置という恐ろしくリスクを孕んだ危険な行為にも無縁。
教授室にシロッコ社のティーバッグとティーセット、電気ポットを置いていたのはともかく、電子レンジと小型冷蔵庫までキャビネットの中に設置していたという、かの人は、美味しいミルクティーを淹れられる生徒には試験前に笑顔で激励をくれるという噂があったという。父の試験時の雰囲気がいつも良かったのは、それが理由だそうだ。本人の談によれば。甘い評価をつけてくれるわけではないが、リラックスして試験に臨めるのは大きい。力みすぎても、いい演奏は出来ないのだから。
ワゴンの上に置いたトレイに並べてあるソーサーにカップを乗せ、キッチンを出る。先に綺音と美弦が選んだ菓子を盛った皿を運んできていた母が一口サイズに切り分けて取りやすく並べたサンドウィッチが倒れたのを直しているのが見えた。完璧主義な彼女らしい。家族が座って皿を前にしたときには、美しく整っているべきだと信じて疑わないのだ。
どうやら母の目に、サンドウィッチの整列は合格したようだ。すっと背を伸ばす。それから振り向いて、
「これでいいわ。ありがとう、美弦。今日はミルクティーなのね。まあ、綺麗な色。いい香りもして、美味しそうだわ」
カップを配膳しながら嬉しげに微笑んだ母に頷いたところで、父と姉が入ってきた。タイミングがいい。
リビングに揃ってお茶を娯しむのが美弦は大好きだ。
ときどき時間に追いつめられた父が少し離れたテーブルでリード作りを強行していても、母が次回の演奏会のために譜読みをしていても、綺音が宿題と格闘していても、全員が同じ室内で過ごす時間は、美弦にとって大切で、幸せなものだ。
穏やかな空気と優しい雰囲気が居心地のいい空間を保っていて、たとえば姉と喧嘩をしても、この部屋では素直に仲直りしようかという気持ちになる。そして、生来あまりお喋りではない美弦は、この安らぐ場所で家族の会話を聞いていると、
口のなかで砕けたビスケットがミルクティーを含んで甘さを増すのに目を細めていると、綺音が言った。
「パーパ。あとでテレマンのドーディチ、吹いてくれる?」
綺音はよく曲の名称を自己流に略して言う。一二の
もともとはフラウト・トラヴェルソのために作曲されたが、ヴァイオリンやオーボエの楽譜もあり、広く演奏されている。どうやらアマチュア奏者か学生のために作曲されたようで、技巧的にはそう難しくない。バッハよりも軽やかな曲調が、いまの綺音には好ましいらしい。
「第九番なんだけど」
父が何かを答えているが、ぼんやりとした美弦の耳には、その涼やかでありながら柔らかい、落ちついた優しい声が耳慣れた音楽のように流れていって、言葉を聞き取ることは出来なかった。
「あら、美弦はおねむさんね」
甘やかな母の囁きが撫でるような響きで近づいてきて、ふわりと軽いブランケットが身体を覆った感触を最後に、美弦の意識は深い眠りに包まれた。
──おうちがいちばん。
その気持ちとともに肌触りの良いフランネルに
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